地方に伝わる古い歌には、楽譜も録音もなく、歌える人の手書きのノートにしか歌詞が残っていないものがある。ノートが傷めば歌も失われるので、別の紙へ清書しておくのは、ごく当たり前の用心だ。
「読みにくいところは空けておいて。あとで私が入れるから」
北都県三ツ森町に住む田上多加子さん(73歳)は、友人の西片澄江さん(65歳)へ古い歌詞帳を渡した。2023年4月15日の土曜日、清書を作ろうと2人で集まった日のことだ。清書したものを練習に使い、古い方は棚へしまっておくつもりだった。
西片さんが1曲分を写し終えたとき、歌詞帳の同じページでは、ほとんどの文字が消えていた。罫線や歌の区切りに引いた赤い線は残り、写さなかった箇所にだけ、元の字があったという。
田上さんは、子どもの頃から覚えている土地の歌を、近所の西片さんと歌っている。決まった会や発表の予定はない。月に何度か田上さんの家へ集まり、西片さんが1節ずつ教わっていた。
歌詞帳は、田上さんが20代の頃、祖母の歌を聞いて作ったものである。小さな横罫のノートに、青いボールペンで言葉を書き、その横へ音を伸ばす線を引いていた。思い出した歌詞を後で書き足したページもあり、文字の大きさはそろっていない。
田上さんは、自分の大きな字を見せながら、祖母に待ってもらって何度も聞き直したと話した。歌詞だけなら別の紙でもよいが、そのときの字まで捨てる気はなかった。西片さんと練習するたびに開くので、清書を作れば元のノートを傷めずに済むと考えていた。
15日は、西片さんが前半を写し、後半は田上さんが担当することになった。読みにくい箇所は、あとで田上さんが確かめる。西片さんが机で最初の曲を書いている間、田上さんは台所で茶を入れていた。台所からは机が見えない。
西片さんは、1行ごとに歌詞帳を見て、別の便箋へ大きめの字で書いた。細く重なって読めない所は、便箋の同じ位置を空けた。1曲分を書き終え、最初から照らし合わせようとして、歌詞帳の空白に気づいたという。
田上さんが机へ戻ると、曲の題と、ところどころの数文字しか残っていなかった。消しゴムのかすはなく、紙がこすれて毛羽立った様子もなかった。西片さんが書いた便箋には、歌詞が並んでいた。
2人は書くのをやめた。どちらかが違うページを開いたのかとも思ったが、残った字の位置と赤い線は同じだった。田上さんは、その夜、歌詞帳と便箋を並べた写真を私へ送ってきた。相談には「写した方には読めるのに、元の字がない」と書いてあった。
私が田上さんの家を訪ねたのは4月19日である。西片さんにも来てもらい、机に歌詞帳と便箋を並べて話を聞いた。便箋の字は黒く、元の歌詞帳に残った字は青かった。西片さんは、市販の白い便箋に黒いサインペンで書いていた。
途中の1行には、青い「の」が1字だけ残っていた。田上さんによれば、元は「かわのむこう」だったという。便箋には「かわむこう」とある。西片さんが書き落とした「の」だけ、歌詞帳に残っていたことになる。読めずに飛ばした箇所のほかにも、写していない字が残っていた。
書き写す前の写真はない。字が消えた瞬間を、西片さんも田上さんも見ていなかった。
私が初めに考えたのは、インクの性質だった。熱やこすれで色が抜けるインクなら、ペンを持つ手の熱やほかの紙との摩擦で消えることもありうる。しかし、田上さんがこの歌詞帳を書いたのは50年ほど前で、使ったのは近所の文房具店で買った普通の青いボールペンだという。それに、色が抜けたのなら、写した字と写さなかった字を分けて消えることはない。消えずに残っていたのは、どれも便箋へ写されなかった字だった。
ページの上には、田上さんが曲を区別するために書いた「かわうた」という題が残っていた。祖母が川で洗い物をしながら歌っていた歌で、田上さんが自分で付けた呼び名だ。西片さんは歌詞だけを写し、題は後から便箋の上へ書くつもりだったという。
田上さんは、その題の一部なら私が書き写して構わないと言った。題の字も、書き写すと元のノートから消えるのかを、自分でも見ておきたいという。私は手帳をノートから離して置き、後ろの2文字だけを書くことにした。
まず、手帳へ「う」と書いた。ペンを持ち上げたとき、歌詞帳の青い「う」の丸く曲がった線が途中から途切れた。線の両端も短くなり、罫線だけになった。
田上さんはノートの脇に手を置いたまま、そこを見ていた。私は次の「た」を手帳へ書いた。青い「た」の横線と縦線が薄くなり、下の部分も消えた。題の所には「かわ」だけが残り、私の手帳には黒い「うた」があった。
その間、誰も歌詞帳の紙には触れていない。机の上にノートを開いたまま、私は残った「かわ」と、その右の空白を見た。ページが違ったわけでも、古い字を初めから読み落としていたわけでもなかった。
田上さんは、ここでやめようと言った。私はペンに蓋をした。西片さんは、自分の便箋から目をそらしていた。「私が写したから消えたのなら、写さなければよかった」と小さな声で言った。私は2文字のほかは写さず、残ったページと西片さんの便箋を撮影した。撮影する間に、残った文字が変わる様子は見なかった。

なぜ手書きで写した部分が消えたのかは分からない。
歌詞帳の空白へ書き戻すことも、西片さんは考えたという。田上さんは断った。西片さんの字が悪いのではなく、消えた場所を埋めても、祖母の横で書いたときの自分の字には戻らないからだと話した。
4月30日、私は2人が歌う日に、もう一度訪ねた。田上さんは、残っているページを西片さんのスマートフォンで撮ってもらっていた。西片さんはその画像を家で見ている。私も画面を見せてもらったが、画像の中のページにも、残った字が同じ位置に写っていた。撮影したことで文字が消えたとは、2人とも話していない。歌を録音しておくことも相談していた。
その日、田上さんは祖母のことを少し話してくれた。祖母は三ツ森町の上地区で育ち、字はほとんど書かなかった。田上さんが歌詞を書き留めたいと言うと、祖母は嫌がりはしなかったが、「書いたら、書いた方へ行ってしまうよ」と言ったという。田上さんは、書いた紙ばかり見て、歌を覚えなくなるという意味だと受け取っていた。それでも書き留め、そのぶん祖母に何度も歌ってもらった。
私は自分の手帳も開いて見た。19日に書いた黒い「うた」は、そのまま残っていた。歌詞帳の題の所は、「かわ」の右が空いたままだった。
2人はその日、字が消えた最初の曲を歌っていた。西片さんは便箋を見て、田上さんは歌詞帳を開いている。田上さんが、1節の途中で歌うのをやめた。ノートの欄外に、青い小さな字が残っていた。西片さんが読めずに空けた箇所だった。
田上さんはノートを近づけ、その字の上へ指先を寄せた。前の言葉をゆっくり歌ってから、続きの短い言葉を口にした。西片さんは同じように歌い返した。
西片さんは便箋の空欄を指し、ここへ今の言葉を書いてよいか尋ねた。田上さんは歌詞帳を見たまま、すぐには答えなかった。
「そこは、もう少し残しておきたい」
西片さんはペンを置いた。田上さんがもう一度その節を歌うと、途中で西片さんが止まり、先ほどの言葉を聞き直した。田上さんは最初から歌い直した。便箋の空欄は空いたままで、青い小さな字は、2人の間に開いたノートに残っていた。



