救急への通報には、「車から人を降ろせない」という相談が混じることがある。たいていは、事故でドアがゆがんだか、具合の悪くなった人が自分で体を動かせない場合で、隊員はドアを外したり、担架へ移したりして車外へ出す。
「ここでいい。ありがとう」
自宅の前まで送ってもらった伊波修介さん(仮名、68歳)は、いつものように運転席へ声を掛けた。ところが、車を降りて立った直後、修介さんの姿は地面の上から消え、後部座席へ戻った。送ってきた友人の石合孝久さん(仮名、67歳)は、修介さんと顔を見合わせたという。
2023年5月10日の水曜日、北都県南條市内でのことだ。私はその日の夕方に連絡を受け、夜まで現場にいた。この記事を書く11日の朝も、修介さんの家族は、車外へ連れ出せていないと話している。消防や医療機関への相談は続いており、ここに記すのは、私が10日に見聞きした経過である。
石合さんと修介さんは、以前同じ職場に勤めていた。ときどき友人を誘い、3人で日帰りの温泉へ出かける。石合さんが車を出し、帰りは駅へ1人を送り、その後で修介さんの家へ回る。修介さんは助手席の後ろに座り、家が近づくと、どの角を曲がるかを後ろから教えていた。修介さんの家を最後にするのは、石合さんの家からそこまで歩いて10分ほどしか離れていないからだ。定年後に始めたこの温泉行きを、修介さんは毎月楽しみにしていたと、後で妻が話してくれた。
10日も同じ順に帰り、16時過ぎに修介さんの家へ着いた。車は玄関脇の空いた駐車場所へ入れた。修介さんが最後の客で、ここからは石合さんが1人で自宅へ帰るはずだった。
最初に座席へ戻った後、石合さんは運転席から降りた。修介さんがふざけて乗り直したのかと思ったが、本人は「今、下に立った」と言った。シートベルトは外れている。足も手も動き、開いたドアから靴を外へ出せた。
家から出てきた修介さんの妻、三津江さん(仮名、65歳)が、腕を支えて降りてもらおうとした。修介さんは両足で地面に立ったが、三津江さんの手から腕がなくなり、また同じ座席に座っていたという。三津江さんは腕を引かれておらず、車の脇に立ったままだった。
石合さんは119番へ電話し、車から人を出せないと伝えた。来た救急隊員にも、ドアが開かないのではなく、外へ立った人が座席へ戻ってしまうと説明した。隊員がそばで支えたときにも、修介さんは外へ出た後、座席に戻ったと3人は話した。
隊員は、修介さんの意識や脈、血圧を確かめた。どれも普段と変わらなかったという。石合さんによれば、その日は誰も酒を飲んでいない。石合さんは運転があり、修介さんは湯上がりに牛乳を1本飲んだだけだった。反対の右の後部ドアから降りることも、17時前に一度試していた。修介さんは右側の地面にも立ったが、やはり元の左側の座席に戻ったという。
石合さんから私へ連絡が来たのは、17時半ごろだった。以前、別の話を寄せてもらったことがあり、電話番号を交換していた。助けを呼んだものの説明するたびに同じことをやり直しているので、見たことを書き留めてほしいという。私は市内におり、18時過ぎに着いた。
車は銀色の小型乗用車だった。左の後部ドアは大きく開き、修介さんが座っていた。足元から玄関まで、低い段差のある通路が続いている。石合さんは運転席の外に立ち、三津江さんは家から水の入ったコップを持ってきた。
救急隊員も残っていた。修介さんの話を聞いている人と、少し離れて連絡を取っている人がいた。私は取材してよいか修介さんに尋ね、了承を得てから、車の後ろ寄りに立った。
修介さんはコップを三津江さんへ返し、もう一度、自分で降りてみたいと言った。隊員に声を掛けてから、体を左へ向け、両足を外へ出した。私はドアの開口部を斜め後ろから見ており、修介さんの頭から靴までと、その奥の座席が同じ視野に入っていた。
修介さんは上のドア枠に右手を添え、腰を上げた。頭を車の外へ出し、両足で地面に立つ。枠から手を離し、車から遠ざかる向きへ2歩進んだ。修介さんの背中と車体の間には、誰もいない隙間が見えた。
その姿が、立っている場所から消えた。同時に、開口部の奥の後部座席に、修介さんが座っていた。両膝は前へ向き、靴は車内の床に下りている。車へ向き直る動作も、頭を下げてドアをくぐる動作もなかった。修介さんが立っていた地面から座席まで、私の目の前を横切った物はなかった。
修介さんは両手で膝を押さえた。三津江さんが、体に痛い所はないかと尋ねた。修介さんは首を振り、いまは足の下に車の床を感じると答えた。目の前で起きたことについて、私は隊員からも話を聞かれ、外へ2歩進んだ後に戻ったと伝えた。
なぜ修介さんの体が座席へ戻ったのか、どこを越えると戻るのかは分からない。私から同じ動作を繰り返すよう頼むことはしなかった。
隊員の1人は、病院へ運ぶには車外へ移す必要があると私に説明した。座席ごと運ぶ方法や、車をそのまま動かす方法も話に出たが、どれも、車から離れた途端に修介さんがどうなるのか分からないまま試すことになる。隊員は、本人の体に異常がないうちは無理をしない、と話していた。
修介さんは三津江さんに、玄関へ置いた鞄を持ってきてほしいと言った。温泉へ持っていったタオルと着替えが入っていた。三津江さんが、脱いだ服は洗っておくと言うと、修介さんは、いま羽織れる物だけは残してほしいと頼んだ。
石合さんは、車をどこかへ動かした方がよいかと隊員に尋ねた。運び先や移し方についての相談はまだ続いていた。その場では車を動かさず、修介さんを急いで引っ張り出すこともしなかった。
暗くなってから、三津江さんは玄関の照明をつけ、車の脇へ椅子を運んだ。修介さんの弟にも来てもらうことになった。水と毛布を用意し、家族の誰かが車のそばにいるよう話していた。隊員は車のそばで連絡を続けていた。修介さんを車外へ移せる方法は、まだ見つかっていなかった。
私は了承を得て、車の左側と、玄関までの通路を撮った。開いたドアの外には、修介さんが立った場所があった。通路に置かれていた温泉の土産の袋は、三津江さんがすでに家へ入れていた。

19時を過ぎると、石合さんの家から電話が来た。石合さんは車から少し離れ、まだ修介さんの家にいると伝えた。夕食を先に食べていてほしいとも話した。
電話を終えた石合さんに、修介さんは、石合さんの自宅まで歩いて帰れるかと尋ねた。石合さんは、近いから大丈夫だと答えた。車をここへ置いたまま帰り、必要になったら連絡してもらうこともできた。
「ここでいいよ。もう、家の前だから」
修介さんは、到着したときと同じ言い方をした。石合さんはうなずき、運転席に残していた上着を取った。そのまま帰るのかと思ったが、車の後ろを回り、右の後部ドアを開けた。
石合さんは修介さんの隣へ座った。帰り道に何度も振り返って話した相手と、同じ向きで並んだ。修介さんは毛布を膝から少しずらし、間に置いていた鞄を足元へ下ろした。
石合さんが、自分の側のドアへ手を掛けた。修介さんは、開けたままにしておいてほしいと言った。左のドアもまだ開いていた。石合さんは取っ手から手を離した。
三津江さんが玄関へ戻ると、修介さんはその背中を見ていた。石合さんも隣に座ったまま、玄関の戸が閉まるのを見ていた。2人の足は車内の床に下り、両側のドアは開いたままだった。


