地方の救急搬送の記録には、「転落」として扱われながら、落ちた先が床ではなく天井だった事故が含まれていることがある。
2023年8月24日の木曜日、北都県南條市の定食屋の厨房で、調理を担当する徹さん(仮名、52歳)が天井へ右肩を打ち、救急車で運ばれた。店は店主の松岡さん(仮名、63歳)が1人で始めた店で、徹さんは10年ほど前から厨房に立っている。
私に連絡をくれたのは、徹さんの妻の郁美さん(仮名、49歳)である。夫が入院してから、店で何があったのかを確かめてほしいという依頼だった。郁美さんには、初めから一つの疑いがあった。
「主人は、脚立から落ちたんじゃないかと思っていました。松岡さんに頼まれて電球を替えていて、それを言えずにいるんじゃないかと」
店で働く人が仕事中にけがをすれば、店は労働基準監督署へ届けを出し、労災保険の手続きをする。仕事中のけがの治療費などを補う保険で、届けには、何をしていてどうけがをしたかを書く欄がある。従業員を脚立に上らせてけがをさせたのなら、店の安全の管理が問われる。郁美さんは、松岡さんが話を作っているのではないかと考えていた。
8月31日、私は休業中の店で松岡さんに当日の話を聞いた。
その日の午前、松岡さんと徹さんは2人で開店前の仕込みをしていた。徹さんは調理台の前に立ち、松岡さんへ翌日の注文数を尋ねていたという。足元に台や脚立はなかった。
松岡さんが注文の控えから顔を上げると、徹さんの両足が床を離れていた。徹さんは台の縁をつかみ、胸を台へ近づけようとしていたが、肘が伸びていった。台の上の皿は動かず、床のバケツもそのままだった。
「台から手が離れたら、身体が上へ行ったんです」
徹さんは右肩を先に天井へぶつけ、横倒しになった。松岡さんは、次には床へ落ちてくると思った。しかし身体は下りてこなかった。背中と右肩を天井へ押し付け、顔を床へ向けた姿勢で止まっていた。
松岡さんは119番へ電話し、店の住所と負傷者がいることを伝えた。電話口では最初、天井から人が落ちたのかと聞き返されたという。松岡さんは、天井に人がいると言い直した。コンロの火を止め、徹さんに動かないよう声を掛けながら、救急隊を待った。
徹さんには意識があり、肩が痛いと答えていた。松岡さんは台に上がって引き下ろそうとはせず、入口を開けておいた。到着した救急隊員が徹さんの身体を下ろし、担架へ固定して運び出した。その間も、担架を床の方へ押さえている人が必要だったという。
私は松岡さんの案内で厨房を見た。調理台の真上の天井板に、浅いへこみと短い亀裂があった。松岡さんが、徹さんの肩の当たった所だと示した。床からの高さは2メートル40センチほどある。板は抜け落ちておらず、梁や天井裏は見えていない。私は厨房の入口から、調理台とへこみの位置が分かるように撮影した。
郁美さんの疑いを確かめるため、私は脚立のありかを尋ねた。脚立は裏口の物置にあり、いちばん上の段にほこりがたまっていた。厨房の蛍光灯は2本とも点いた。松岡さんによると、最後に管を替えたのは春だった。
換気扇に吸い上げられた可能性も考えた。しかし換気扇の吸い込み口はコンロの上にあり、調理台からは2メートルほど離れている。へこみのある板は調理台の真上で、その下に置いた紙の注文票も、台の上から飛ばされていなかった。
建物の持ち主も、松岡さんから連絡を受けて天井を点検していた。松岡さんが見せてくれた点検の結果には、へこみと亀裂のほかに傷みはなく、天井裏の梁や配線にも異常はないと書かれていた。
松岡さんは、労働基準監督署へ出す届けの下書きも見せてくれた。けがの状況を書く欄には、「調理台の前で身体が浮き上がり、天井に右肩を打った」とある。窓口で相談したとき、脚立や台を使っていなかったかを何度も確かめられたという。
「脚立から落ちたと書けば、話は早いんでしょう。でも、徹さんを上らせてはいません。上らせてもいないことを、店の落ち度として書くわけにはいかない」
その夜、私は郁美さんに、脚立と換気扇のことを電話で伝えた。郁美さんは少し黙ってから、搬送の日に見たものを話した。
松岡さんから電話を受けて郁美さんが店へ着いたとき、徹さんは担架に固定され、店の入口にいた。担架の帯が胸と腰に当たり、背中と敷物の間に隙間ができていた。郁美さんはそのとき、夫が起きようとしているのだと思った。
「寝ていて、と言ったら、寝ているつもりだって」
郁美さんは搬送先の病院まで付き添った。肩のけがの治療と、身体が浮く状態の確認のため、徹さんはそのまま入院することになった。私は診察に立ち会っておらず、医師から原因についての説明も受けていない。
9月2日、徹さんから私に電話があった。肩の痛みは軽くなってきたが、身体を留める帯はまだ外せないと話した。背中を寝台へつけようとしても、今も自分では体重を掛けられないという。
厨房では足を滑らせたのかと思い、台をつかんだ。けれども靴が床へ戻らず、腕が頭の方へ伸ばされていった。天井へ当たるまでのことは短くしか覚えていない。救急隊員に身体を下ろしてもらっていた間は、肩とは別に、帯が身体を引く感じがあったと話した。
徹さんは、自分だけが軽くなった感じではないと言った。天井に触れていた背中には、床へ横になったときのような重さが掛かっていた。私は重さを測っておらず、どんな力が働いたのかは分からない。
徹さんは、もう自分で歩けるとか、帰宅できるとか言われたわけではないと断った。そのうえで、帰れたときに居間がどう見えるかを、郁美さんに撮ってもらっていると話した。以前は閉店後に2人で食卓につき、夕飯の残りを温めて食べていた。徹さんの席は窓際で、向かいが郁美さんの席だった。
「うちの天井に何があるか、電灯くらいしか覚えていなくて」
9月3日の日曜日、郁美さんに自宅で写真を見せてもらった。最初の1枚には食卓と、向かい合う2脚の椅子が写っていた。徹さんの返事は、もう少し上を写してほしい、というものだった。撮り直した方には、天井から下がる丸い電灯と、隣の部屋へ続く鴨居が写っている。どちらも郁美さんが2日に撮り、入院中の徹さんへ送った写真だった。天井を写した方を、記事に掲載するため預かった。

郁美さんは、帰宅に備えて電灯を外す必要があるかどうか、まだ誰にも聞いていないと言った。家をどう直せばよいか以前に、徹さんをこの部屋へ連れて帰れるかも決まっていなかった。
話をしていると、徹さんから郁美さんへ電話が来た。郁美さんが私のいることを伝え、了解を得てスピーカーに切り替えた。徹さんは、写真の右端に見える天井の出っ張りについて尋ねた。郁美さんは立って近づき、カーテンの上の箱だと答えた。
徹さんは少し間を置き、いつもの椅子へ戻ってほしいと頼んだ。郁美さんが座ると、徹さんは顔を上げるよう頼み、電灯の窓側が見えるかと聞いた。
「見えるよ。何もないよ」
郁美さんはその天井を撮ろうとした。徹さんは、写真はもうよいと言った。自分がその辺りにいたら、座っている郁美さんと話せるか知りたかったのだという。
窓際の席の真上は、電灯の窓側の、何もない天井である。徹さんが2枚目の写真で確かめていたのは、帯を外せないまま帰ったとき、背中がどこに着き、何にぶつかるかだった。
郁美さんは椅子を窓の方へ回した。背を反らして電灯の脇を見上げた後、顔を戻した。
「ずっと上を向いているのは無理だよ」
徹さんは、食べている間は向かなくてよい、と答えた。郁美さんはすぐには返事をせず、電話を食卓の向かい側へ置いた。徹さんがいつも肘を置いていた辺りだった。
通話はそのまま続いた。郁美さんは、斜めにした椅子を食卓へ向け直した。徹さんからカーテンの上をもう1枚撮ってほしいと頼まれるまで、天井の方は見なかった。


