南條市の団地の踊り場に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。団地の2階から見下ろしたコンクリートの階段と踊り場。壁沿いに金属の手すりが続いている。人は写っていない。

エレベーターのない古い団地では、階段を下りられなくなった住人を、家族が背負って運び下ろすことが今も珍しくない。

北都県南條市の団地に住んでいた寛介さん(仮名、74歳)は、膝を痛めて通院を続けていた。部屋の中では杖をついて歩けるが、階段の下りがつらい。棟は5階建てで、寛介さんの部屋は2階にある。通院の日には、市内の平屋に住む娘の知穂さん(仮名、46歳)が車で迎えに来て、父を背負って1階まで下ろすことがあった。

2023年9月4日の月曜日も、そうする予定だった。受診を終えたら、寛介さんはそのまましばらく知穂さんの家で過ごすことになっていた。この日の階段で、寛介さんの身体が小さくなった。知穂さんから連絡を受けた私は、その場にいた隣室の住人、早瀬さん(仮名、71歳)にまず話を聞いた。

知穂さんは寛介さんを背負い、部屋の鍵を閉めた。廊下で会った早瀬さんが手伝いを申し出て、杖と着替えの袋を持ち、2人の後ろを歩いた。早瀬さんは、寛介さんが知穂さんの肩越しに振り返って礼を言ったのを覚えている。

階段は2階の廊下から下り、途中の踊り場で向きを変えて1階へ続く。踊り場まで、あと数段という所だった。知穂さんの胸の前で組まれていた父の両手が離れた。片手ずつ肩へ戻っていったので、知穂さんは、つかむ所を変えたいのだと思った。

ところが、支えていた太腿まで細くなり、手の間から抜けそうになった。知穂さんは踊り場で足を止め、早瀬さんへ父の背中を支えてほしいと頼んだ。

早瀬さんが見たのは、シャツの襟から頭が沈んでいくところだった。白髪の頭は、初め知穂さんの肩より上に出ていた。それが背中の中央へ下がり、左右の肩幅も狭くなっていった。襟も袖も、布の幅は変わっていなかった。

「お父さん、背中を丸めてるのかと思ったんです。でも、首も頭も小さくなっていくので」

知穂さんがしゃがみ、早瀬さんは寛介さんを支えながら背中から下ろした。シャツの裾とズボンが余り、足先は靴から抜けていた。身体は、知穂さんが座って膝へ横たえられる大きさになっていた。寛介さんは、顔に掛かった襟をどけてほしいと話した。

知穂さんは父を支えたまま、早瀬さんに119番へ電話してもらった。部屋へ戻すために階段を上がることも、抱えて下まで行くこともせず、踊り場で救急隊を待った。寛介さんには意識があり、呼び掛けには答えていたという。

早瀬さんの携帯電話には、その日の午前10時42分に119番へかけた記録が残っている。早瀬さんは電話口で、高齢の男性が階段で急に小さくなったと言えず、「具合が悪くなった」とだけ伝えた。救急隊員は寛介さんを毛布で包み、担架で運んだ。病院へ運ばれた後、寛介さんは入院した。私は医師に取材していないため、入院中の検査や診断については分からない。

9月22日、私は早瀬さんの案内で階段を見た。早瀬さんは、知穂さんがしゃがんだ所と、自分が電話をした所を示した。私は2階から、階段と踊り場を一緒に撮影した。段の高さは揃っていて、手すりにも床にも、当日の変化を示す跡は見つからなかった。

私が最初に考えたのは、背負われた人が身体を縮めたように見えた、という説明だった。だが、早瀬さんの記憶では、知穂さんの肩の上にあった頭が背中の中ほどまで下がり、その間、襟の幅は変わらなかった。下ろした後の身体は、服の中で手足が余るほど小さかった。身体を丸めただけなら、下ろして横にすれば元の長さに戻るはずだ。

背負っていた知穂さんの疲れで、父の身体が軽く、細く感じられたという説明も考えた。しかし、小さくなっていく頭と肩を見ていたのは、杖と袋を持って2人の後ろにいた早瀬さんだった。早瀬さんは誰も背負っておらず、手すりも握っていなかった。

翌23日、寛介さんが退院後に移った知穂さんの家を訪ねた。寛介さんは居間の肘掛け椅子に座っていた。大人用の椅子で、肘掛けより少し高い所に顔があり、前へ伸ばした足は座面の縁にも届いていなかった。顔には目尻のしわがあり、頭髪は短く、白かった。

寛介さんは、身体に合わせて縫い直した紺の上下を着ていた。小さな両手を腿の脇の座面へ置き、自分から名乗った。声は低く、知穂さんによれば、以前と変わらないという。私が質問すると、知穂さんより先に寛介さんが答えた。膝について尋ねたときには、今も曲げると痛むと話し、右膝を指した。

4日のことも、寛介さん自身に尋ねた。娘の肩を握り直そうとしても手が届かなくなり、ずり落ちると思った。背中を丸めたり、下りようとしたりはしていない。病院で目を覚まして小さくなっていたのではなく、背負われたまま自分の両手を見ていたと話した。

私は身体が縮む場面には居合わせていない。階段での変化は3人から聞いたことであり、この日、目の前で確かめたのは、小さな身体の寛介さんが会話し、自分で手足を動かす姿だった。

あの団地にはいつから住んでいたのかと尋ねると、寛介さんは1971年からだと答えた。初めは両親と3人で、同じ2階の部屋に入った。1983年、病気になった父親を病院へ連れて行くとき、寛介さんは今の知穂さんと同じように、父親を背負ってあの階段を下りた。

「踊り場の手前で、親父が胸の前の手をほどいて、片方ずつ肩へ置いたんです。ここで下ろしてくれ、と言われました。私は、もうすぐだからと言って、そのまま下まで下りました」

そのとき父親の身体が軽く感じられたのを、寛介さんは自分の力が余っていたせいだと思っていた。父親は小さくなってはいない。そのまま入院し、団地の部屋へは戻らなかった。

知穂さんは、この話を初めて聞いたという。4日に父の手が肩へ移ったとき、知穂さんはつかみ直したいのだと考え、歩みを止めなかった。寛介さんは、自分が下ろしてくれと言ったかどうかは覚えていないと話した。

椅子の横には、4日に着ていた灰色のシャツが畳まれていた。知穂さんは、寛介さんから洗ってしまっておいてほしいと頼まれていた。今日は私に見せるために出してある。服まで小さくなったのではない、と早瀬さんが話していたシャツだった。

寛介さんはシャツを撮ってもよいと言い、知穂さんへ、座面に置いて見せてはどうかと提案した。いったん寝台へ移る予定だったので、知穂さんが寛介さんを抱き上げた。その後、知穂さんが空いた椅子にシャツを広げ、私は袖まで入るように撮影した。

霧島秀一撮影。木の肘掛け椅子の座面と背もたれに広げられた大人用の灰色の長袖シャツ。左右の袖は肘掛けの外へ垂れ、椅子に人はいない。
霧島秀一撮影。2023年9月23日、知穂さん宅。寛介さんが9月4日に着ていた灰色のシャツを、空いた肘掛け椅子に広げたところ。

撮影後、寛介さんは椅子へ戻りたいと言った。知穂さんはシャツを畳み、父を元の座面へ下ろした。私が手帳をしまい始めると、寛介さんは知穂さんを呼び、玄関へ行きたいと頼んだ。

「抱いていくよ」

知穂さんが両手を差し出すと、寛介さんは両手で座面の布をつかんだ。

「椅子を運んでくれないか。ここに座ったままで」

知穂さんは椅子の背に回り、少し持ち上げてから下ろした。1人で持ったまま戸を通るのは難しそうだった。私が手伝おうとすると、寛介さんは首を振った。

「帰る人に運んでもらうのは変だよ」

知穂さんは居間の戸を開け、玄関まで通して見えるようにした。ここからでよければ、と父に尋ねた。寛介さんは玄関を見て、しばらくしてうなずいた。

私が靴を履くと、居間から、気をつけて帰ってください、と声がした。振り返ると、寛介さんはまだ座面の布を両手でつかんでいた。知穂さんが近づいて手を伸ばすと、寛介さんは「まだ、戸が開いてる」と言った。知穂さんはかがんだまま両手を膝へ置き、私が戸を閉めるまで待っていた。

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