汐見屋の宿帳の住所に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。旅館の帳場の木のカウンターに、古い宿帳が開いて置いてある。

地方の小さな旅館の宿帳には、毎年同じ日に、同じ名前と、その旅館自身の住所が書き込まれていることがある。

北都県戸鳴町の戸鳴漁港の近くに、汐見屋という旅館がある。客室は5つで、海に面しているのは3号室だ。7月10日に3号室へ泊まりたいという問い合わせがあると、女将の石川美津子さん(64歳)は、先に別の部屋を勧める。3号室に予約が入っているわけではなく、その日も販売は止めていない。石川さんは、毎年その日に来る客がいるからだと説明した。

宿帳に書かれる名前は浅野和津子。住所の欄には、汐見屋の住所が書かれる。翌朝、石川さんが朝食を出す前にはもういない。帳場に置かれた白い封筒に、3号室の1泊分の代金が入っているという。

封筒の中の金額は、毎年その年の3号室の料金と同じだった。汐見屋は2014年と2019年に料金を上げているが、封筒の額もその年から変わっているという。

「来たと言えるのは、朝になってからなんです」

私は初め、夜遅くに着く客なのだろうと考えた。石川さんの説明は違った。翌朝に部屋を片付けたことは覚えているのに、本人を部屋へ案内した記憶がないのだという。

旅館の宿帳は、泊まる客が着いたときに帳場で書くものだ。名前と住所を書いてもらい、宿は鍵を渡して部屋へ案内する。汐見屋では、布団を敷くのも石川さんの仕事で、客に自分で出してもらうことはない。客を迎えれば、少なくとも宿帳、鍵、布団の三つに、宿の側の手が加わる。

2021年7月6日、私は汐見屋を訪ね、2012年から2020年までの宿帳を見せてもらった。石川さんが先代の女将から宿を引き継いだのが2012年で、それより前の宿帳は物置にしまってあるという。9年分とも、7月10日の欄に浅野和津子の名前と汐見屋の住所があった。筆跡はよく似ている。

石川さんがこの客のことを知ったのは、引き継ぎのときだった。

「先代から、7月10日は3号室を勧めないように、とだけ言われました。理由を聞いたら、行けば分かると。最初の年の朝、宿帳に知らない名前があって、3号室に布団が敷いてあったんです。誰を泊めたのか、自分でも分からなかった」

宿帳だけなら、前の年のページを見て書き写すこともできる。石川さんが自分で書いている可能性も考え、私は帳場の予約ノートにある石川さんの字と比べてみた。石川さんの字は丸く、浅野和津子の字は右へ細く傾いている。同じ人の字には見えなかった。そのうえで、鍵と布団のことを尋ねた。

「私がやったはずです」と石川さんは言った。それでも、浅野さんに鍵を渡す場面も、布団を敷いている間に浅野さんがどこにいたのかも、思い出せなかった。毎年、翌朝には布団と湯飲みを片付け、昼には次の客を入れられるようにしてきた。

石川さんは以前から、ほかの人にも来客を見てもらいたかったという。廊下にカメラを置けば、別の客も写る。誰が不審なのか説明できないまま、館内を撮影することにはためらいがあった。

今年は私が4号室に泊まることにした。石川さんの了解を得て、夕方からロビーに座り、見えた来客と帳場でのやり取りをノートに書き留める。

7月10日の土曜日、17時に石川さんと3号室を確かめた。掃除は済んでいて、布団は押し入れの中にあった。3号室の鍵は、帳場の鍵入れに掛かっていた。

私がロビーにいた22時までの間に、近所の人が1人訪ねてきた。回覧板を届けに来た人で、宿泊客ではない。私も顔を見ている。浅野和津子と名乗る客は来なかった。

20時すぎ、石川さんが3号室の鍵を持って帳場から出てきた。私の隣の空いた席に鍵を置き、「和津子さん、お部屋はいつものところです」と言った。

その席には誰もいなかった。帳場にいちばん近い長椅子の端で、私が座ってから一度も人は来ていない。私が尋ねると、石川さんは鍵を置いたことは認めたが、私に渡そうとしたのではないかと答えた。私の4号室の鍵は、もう目の前の机に出してあった。

石川さんは3号室の鍵を帳場へ戻した。22時に部屋へ戻る前、宿帳も見せてもらった。私の名前の次の行は空いていた。

翌11日の7時、石川さんに呼ばれて帳場へ行った。昨夜は空いていた行に、浅野和津子の名前が書かれていた。住所は今年も汐見屋。白い封筒には3号室1泊分の現金が入り、鍵は鍵入れに戻っていた。

3号室には布団が敷かれ、掛け布団の上の端が折り返してあった。卓の上には湯飲みが出ていた。

石川さんは明け方、客が出ていった気がして片付けに来たという。ただ、先に私を呼ぶ約束だったので、布団には触らなかった。誰かが帰るところを見たのかと尋ねると、首を横に振った。私は片付けが始まる前に、入口から室内を撮影した。

霧島秀一撮影。海に面した畳の部屋に1組の布団が敷かれ、掛け布団の上部が折り返されている。低い卓上には湯飲みがある。人は写っていない。
霧島秀一撮影。2021年7月11日朝、片付け前の汐見屋3号室。掛け布団が折り返され、卓上に湯飲みが出ている。

私は夜通し玄関を見ていたわけではない。4号室で眠っていたので、誰かが夜中に入り、名前を書いて布団を使い、代金を置いて出ていった可能性は確かめられなかった。

それより気になったのは、宿帳に名前が加わる前に、石川さんが空いた席へ鍵を差し出していたことだった。昨夜の言葉をノートから読み上げると、石川さんはうなずいた。

「ここへ帰ってくる方には、それで分かります」

旅館へ泊まりに来る人にも「帰ってくる」と言うのか、私は尋ねた。石川さんは自分でも少し驚いた顔をして、言い慣れた言い方ではない、と答えた。

それから石川さんは3号室へ戻り、布団を上げた。枕カバーを外す手つきに迷いはなかった。3号室は、その日の昼からまた客を迎えられる。

その日の午後、石川さんは物置から古い宿帳を出してきた。2012年より前の分で、いちばん古いものは1980年だった。7月10日のページを順にめくると、1980年から毎年、浅野和津子の名前がある。ただ、住所の書き方が今と違っていた。古い年の宿帳では、住所の欄に「汐見屋内」とだけ書いてある。料金の欄には、先代の字で毎年「封筒にて」と書き添えてあった。先代も、代金を帳場の封筒で受け取っていたことになる。

宿帳の箱の底には、先代の女将が使っていた従業員の控え帳が入っていた。住み込みで働いた人の名前と、雇った日、辞めた日が手書きで並んでいる。そのなかに、浅野和津子の名前があった。1968年に雇われた住み込みの仲居で、住所の欄はやはり「汐見屋内」。辞めた日の欄には「1979年7月10日」とあり、理由は書かれていない。控え帳には給金を受け取ったときの署名欄もあり、浅野さんの署名は、宿帳の浅野和津子と同じように右へ細く傾いていた。私は筆跡の専門家ではなく、同じ人の字だと言い切ることはできない。ただ、並べて見た石川さんは、しばらく何も言わなかった。

控え帳の余白には、鉛筆で「仲居部屋を客間に直す 三号」と書き足されていた。石川さんによると、今の3号室は、昔は住み込みの仲居が寝起きしていた部屋で、1980年に客室へ改めたと聞いているという。

宿帳の住所を、私は毎年泊まる客が冗談で書いているものと考えかけていた。控え帳と並べると、住所の欄に書かれていたのは、浅野さんがかつて住んでいた場所そのものだった。石川さんが空いた席に向けて言った「いつものところ」も、客室ではなく、もとは浅野さんの部屋だったことになる。

控え帳の浅野さんと、毎年宿帳に名前を書く客が同じ人なのかは分からない。石川さんは浅野さんに会ったことがなく、先代の女将も2016年に亡くなっている。石川さんは、今年の封筒を古い宿帳と一緒に別の箱へしまった。

夕方、石川さんは帳場の鍵入れの前に立ち、3号室の鍵の下に掛かった札へ、鉛筆で小さく「浅野」と書き足した。

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