地方の古い銭湯の壁の絵は、たいてい7、8年ごとに塗り替えられる。湯気でペンキが傷むからで、塗り替えのたびに、前の絵の上へ新しい絵を重ねていく。
北都県柳瀬市の柳湯は、1958年から続く銭湯である。男湯の湯船の上には、左に山、右に松の生えた岸、その間に広い海を描いたペンキ絵がある。今の絵は、2016年に描き直したものだ。
主人の岡田昌文さん(63歳)が昔の写真を探したのは、壁の絵の塗り替えを相談するためだった。営業は15時から23時まで。番台には岡田さんの妻が座り、1日に60人ほどの客の多くは、近所の年配の常連だという。前回と同じ職人の藤田忠雄さん(78歳)に頼みたかったが、藤田さんはすでに仕事を退いていた。まず今の傷み具合と、前にどんな絵だったかを見てもらうことになった。
岡田さんが藤田さんに写真を見せると、海の白い船について聞かれた。小さな帆かけ船で、岡田さんは当然、絵の一部だと思っていた。藤田さんは、そこに船を描いた覚えはないと話したという。
「描いていない物を、褒められても困ります。どこの職人が足したのかと思いました」
銭湯の絵は、店を休む日に1日で描き上げる。湯を抜いた湯船に足場を組み、空、山、海の順に上から塗っていく。藤田さんは、塗り替えのたびに下絵を描いて主人に見せ、決まった絵だけを壁に移してきた。下絵にない物を、壁の上で足すことはないという。
写真を古い順に並べると、さらに気になる点があった。2017年には左の山の下、2019年には海の中央、今年は右の岸近くに白い船がある。山と岸の位置は変わっていないのに、船の場所だけが違っていた。
岡田さんが残していたのは、店の行事や掃除の折に浴室を撮った写真だった。船を見張るために、毎回同じ位置から撮ったものではない。カメラの高さや向きの違いで、岸との距離が違って見えることも考えられた。
私は壁の四隅と右の窓枠を基準に、写真の同じ範囲を見比べた。壁の中央付近にはひびもあり、その左右のどちらに船があるかも確かめられた。2017年の船が描かれていた所は、2019年の写真では海の色になっていた。2019年の写真は年末の大掃除の日に撮ったもので、船はひびのすぐ左にあった。
下は、岡田さんが2017年に撮った写真である。白い船は、左の山の下の水面に見える。右の松の手前にはない。

10月23日、私は開店前の浴室を見せてもらった。船は右の松の手前にあり、岩の岸との間に細く海の色が残っていた。写真の光や湯気が作った形ではなく、壁に白い塗料で船が描かれている。
岡田さんに、その部分の補修を誰かへ頼んだか尋ねた。2016年以降、絵の補修は頼んでいないという。船のある所は壁の高い所で、日々の掃除のついでに手を伸ばせる高さではない。脚立を使えば届くが、浴室は営業が終わると鍵を閉め、鍵は岡田さんしか持っていない。ただ、営業時間外の壁をずっと撮っていたわけではない。
常連のいたずらも考えた。番台に座る岡田さんの妻は、湯船の縁に上がる客がいれば必ず声をかけるという。湯船の縁から船の高さまでは、さらに1メートル以上ある。
「毎日見ていると、動いていても気がつかないものですね。言われてから写真を見て、初めて分かりました」と、岡田さんの妻は話した。
藤田さんは、この月に近くから白い部分を見ていた。私も本人に話を聞いた。帆や船の線は、自分が普段使う描き方に似ているという。しかし、似ているから自分が描いたと答えることはできない、と話した。藤田さんは爪の先で船の縁を軽くこすり、白いペンキが海の青の上に乗っていることを確かめた。下から透けてきた色ではない。
藤田さんが保管する2016年の下絵には、船はなかった。完成の日に撮った写真を見ても、同じ範囲には青い海が広がっている。
「何も浮いていない方が、広く見えるから」
藤田さんは、完成した絵でも、海には何も浮かべないつもりだったという。
私は、一つ前の絵についても尋ねた。前回の塗り替えは2008年で、藤田さんが手掛けていた。その下絵にも船はない。一方、岡田さんが見つけた2015年の写真には、右の岸近くに、小さな白い形があった。
拡大すると帆を張った船に見える。今の絵とは岸の輪郭が違うので、全く同じ場所とは言えない。ただ、右の岸のすぐ手前に白い船がある点は共通していた。
藤田さんはその写真を見て、2016年の作業を思い出した。白くなっていた箇所は、以前ひびを直した跡だと思い、少し厚めに下地を塗ったという。作業途中の写真にも、白い形のあった所まで覆っている様子が残っていた。
完成写真では、その部分は海に隠れている。そして翌2017年の写真では、白い船が左側に現れている。古い塗料が同じ場所から透けてきただけなら、前の船のあった右側と位置が合わなかった。
2008年の絵が仕上がった後の写真も、岡田さんは1枚見つけた。2010年の夏祭りの日に撮ったもので、白い船は左の山の下にあった。2015年には右の岸の手前にあったので、5年ほどで海の左から右へ渡ったことになる。今の絵でも、仕上がった翌年に左の山の下に現れ、4年ほどで右の岸の手前まで来ている。
藤田さんは、柳湯の最初の絵を描いたのは自分の親方だったと話した。藤田さんが弟子入りしたのは1960年で、最初の絵はその前に描かれている。親方は1985年に亡くなった。1958年の開業の日に撮った記念写真が、岡田さんの家に残っていた。湯船の上の絵には、右の岸に白い帆かけ船が着いている。岸の岩に、船のへさきが触れていた。
写真の裏には、岡田さんの父、昌平さんの字で一行書いてあった。
「船は岸に着けること 昌二の分」
昌二さんは昌平さんの弟で、開業の2年前の春、戸鳴の沖で漁船に乗っていて戻らなかった。20歳だった。岡田さんは、父からその話を何度か聞いていた。親方に絵を頼むとき、岸に着いた船を描いてほしいと頼んだのも父だったという。
「店を閉める前に、親父は男湯の絵に向かって、もう上がれよ、と言っていました。子どものころは、客に言っているのだと思っていたんです」
「親父が亡くなってからの塗り替えでは、船のことは誰も言わなかった。私も、職人さんに任せていました」
藤田さんの話では、自分が受け持ってからの絵では、海に船を入れていない。どの絵も、仕上がったときには何も浮いていなかった。
船が岸へ着いたら何か起きる、と分かったわけではない。古い写真は毎年そろっておらず、2015年に写る船が、さらに前の時点で岸へ着いていたことも考えられる。写真で確かめられるのは、それぞれの日に描かれていた位置までだった。
藤田さんは、今度は海を描かない案も出せると岡田さんへ伝えていた。岡田さんはすぐに決められなかった。常連は長いあいだ同じ側の山と松を見て湯につかっており、そこを替えるだけでも、慣れた浴室とは感じが変わる。
岡田さんは藤田さんへ、塗り替えるたびに船を沖へ戻していたことになるのかと尋ねた。藤田さんは、消したのであって、移したのではないと答えた。
私が見た次の絵の下案には、まだ海が描かれていた。岡田さんは船を頼んでおらず、藤田さんも描くつもりはないという。決めかねていたのは、右の岸を前と同じ位置に置くかどうかだった。
帰りがけ、岡田さんは下案の紙を番台の上に広げ、1958年の写真を横に置いた。鉛筆で右の岸の岩を写真と同じ形に描き直し、その手前の海を、指一本分だけ空けておいた。



