鵜ノ崎灯台の光に関する奇妙な記録

船長の息子撮影。霧の夜の海。遠くの岬の灯台のてっぺんが白く光り、手前に船の手すりが写っている。

地方の漁港では、役目を終えた灯台が、そのまま岬に残っていることがある。光は出さなくなっても、昔から海に出ている人には、そこにあるだけで目印になる。

北都県戸鳴町の鵜ノ崎で、2021年10月9日の23時すぎ、港へ戻る漁船が岬の岩場に乗り上げた。乗っていたのは、船長の前田昭文さん(仮名、64歳)と、息子の靖成さん(仮名、36歳)の2人。2人にけがはなく、船も自力で岩場を離れて港へ戻ったが、船底には穴が開き、水が入っていた。

乗り上げた後、昭文さんは船を後ろへ下げて岩場を離れ、靖成さんが船底の水をくみ出しながら、無線で漁協に知らせた。港へ着いたのは翌日の0時20分ごろで、岸壁では海上保安部の職員が待っていた。靖成さんは5年前に勤めていた会社を辞め、父の船に乗るようになった。

港へ戻る船の上で、靖成さんは使われていない灯台へ携帯電話を向けていた。昭文さんは、靖成さんが落ち着いて撮影しているのを見て、進む向きは間違っていないと思ったという。その後、船は灯台のある岬の岩場へ乗り上げた。

昭文さんによると、その夜は霧が濃く、見通しは100メートルもなかった。岸の形が分かりにくい中で、白い光が約10秒おきに見えた。昔の鵜ノ崎灯台と同じ光り方だと思ったという。昭文さんは、その光を右側に見ながら進めば、港の入り口へ向かえると判断した。

鵜ノ崎灯台は1958年に灯りがともり、白い光を10秒に1回出していた。船の位置を機械で知る方法が広まり、2016年に役目を終えた。灯りを出す機械は取り外され、白い塔は町が引き取って、今は外から眺めるだけの建物になっている。船の運航に使う海図にも、今使える灯台としては載っていない。昭文さんは廃止されたことを知っていた。それでも、その夜に見た光を、前から知っている目印として使った。

「40年、あの光を見て帰ってきたんです。見えたら、体がそっちに合わせてしまう」

靖成さんが残した元の動画を、私は本人の携帯電話で見せてもらった。手前には船の手すりがあり、霧の奥に岬の形が見える。その上の一部が白く明るくなり、いったん暗くなって、また明るくなる。強く見える場面の間隔は、およそ10秒だった。

光は灯台の上の方に重なるように見える。ただ、この映像から、取り外されたはずの機械が光を出したとは分からない。昭文さんが見たという間隔の光が、動画にも写っている。その点までは確かめられた。

私はその夜、別の取材で鵜ノ崎灯台の近くにいた。23時ごろ陸から撮った写真には、暗い建物が写っている。船からの動画と同じ時間帯だが、動画を撮った間ずっと、私が灯台を見続けていたわけではない。

霧島秀一が陸から撮影した夜の鵜ノ崎灯台。白い塔の上部は暗く、光の筋は見えない。手前に草と湿った通路がある。
霧島秀一撮影。2021年10月9日23時ごろ、陸から見た鵜ノ崎灯台。シャッターを切ったとき、上部の窓から光は見えなかった。靖成さんが船上で撮った動画とは別の写真。

事故の後、靖成さんは船の航跡を表示した画面も保存していた。航跡は、船が通った位置を地図の上につないだ線だ。見せてもらうと、普段港へ入るときの道筋から、鵜ノ崎の側へ寄っていた。海上保安部は霧で位置を見誤った事故として扱った、と昭文さんは話した。私は調べの記録の全体までは確かめていない。

画面には、船の位置が地図の上に出ていた。昭文さんも、その画面を時々見ていたという。ただ、霧の夜は画面の点より、目で見える物を信じてしまうと話した。

ほかの明かりを見間違えた可能性も考えた。漁港の防波堤の先にある灯りは赤と緑で、光る間隔は4秒である。岬へ上る道は夜は門で閉じられ、車の明かりが入ることはない。いちばん近い家も、岬から1キロほど離れている。同じころに港へ戻った別の漁船の船長は、霧で岬そのものが見えず、光にも気づかなかったと話した。

光の出どころが分からないままでも、船が岬に近づいたいきさつは聞ける。私は動画をもう一度再生し、靖成さんが撮影を始めたとき、昭文さんに何と言ったのかを確かめた。

音声には「そっちは鵜ノ崎だ」という靖成さんの声が入っていた。すぐに昭文さんが「分かってる」と答える。その後も画面は光を追って動いている。曲がるのか、止めるのかを言い合う声はない。

靖成さんは、鵜ノ崎の岩場へ向かっているから、そちらへ曲がってはいけないと言ったつもりだった。昭文さんが「分かってる」と答えたので、危ないことも承知していると思った。灯台が使われていないことを昭文さんが忘れていた、と考えたわけではなかった。

「父は、この海を長く走っていますから」

なぜ撮影をやめて、もっとはっきり止めなかったのか。私が聞くと、靖成さんは前の帰港の話をした。機械が示す位置と、目で見える目印が少し違っていた夜にも、昭文さんの判断で港へ戻れた。その経験があったので、昭文さんが迷わず舵を切るなら、自分に分からない理由があるのだろうと思ったという。

昭文さんに同じ音声を聞いてもらうと、「そっちは鵜ノ崎だ」は、見えている光が鵜ノ崎灯台だという確認に聞こえた、と答えた。靖成さんが場所を確かめ、同じ所を撮っている。もし進む向きが危なければ、撮影を続けず、止めるはずだとも思った。

2人とも、相手も自分と同じことを分かっているつもりでいた。昭文さんには、靖成さんが撮り続ける姿が、安心して進める理由になっていた。靖成さんには、昭文さんが進み続けることが、船を任せて撮影を続けられる理由になっていた。

ただ、靖成さんの携帯電話には、10月9日より前の動画も残っていた。9月25日の夜、同じ船の上から撮ったものである。霧はなく、岬の白い塔がはっきり見える。灯りのないはずの塔の上の方が、10秒おきに白く明るくなる。船は港へ向かって進んでいて、港の明かりは画面の反対側、船の後ろにあった。

靖成さんは、その動画を翌日、昭文さんに見せていた。昭文さんは、港の明かりが映り込んだのだろうと言い、取り合わなかったという。

「見間違いだと言われたので、それ以上は言いませんでした。でも、次にまた光ったら、ちゃんと撮っておこうと思っていたんです」

10月9日の夜、靖成さんが携帯電話を向けたのは、そのためだった。「そっちは鵜ノ崎だ」は、靖成さんにとっては、光っているのは前に見せた、あの灯台だ、という意味も含んでいた。昭文さんは、9月の動画のことを、事故の後まで思い出さなかったと話した。

「見せられたとき、ちゃんと見ておけばよかった。あいつが撮っていたのは、灯台じゃなくて、私に見せる物だったんです」

戸鳴漁協の職員、平沼正樹さん(52歳)は、2016年に灯台の廃止が決まったときの漁協の集まりの記録を見せてくれた。代わりの目印の浮きを県へ求めるかどうかを話し合い、その年は求めないことになっている。浮きを置くには、使う船の数や事故の例をそろえて県に示す必要があり、ほかの船長たちも、しばらく様子を見ようという意見だった。記録には、昭文さんの発言が1行残っていた。

「灯台がなくても、鵜ノ崎の位置は体が覚えている」

平沼さんによると、その場にいたほかの船長たちも、同じようにうなずいていたという。

取材の時点では、船底の修理が終わらず、この船で漁には出られていない。漁協は事故の後、沖に目印となる浮きを置くよう県へ求めている。親子は、次から地名だけで進む道の話を済ませず、曲がるのか止めるのかまで口にすると決めたという。

私は最後に、陸から撮った暗い灯台の写真を2人に見せた。昭文さんは、やはり「あの光で間違えた」と話した。靖成さんは「だから撮ったんです」と答え、9月25日の動画を、10月9日の動画の隣に並べて保存し直した。

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