戸鳴駅の伝言板に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。木造の無人駅の待合室。緑の伝言板の左上に黄色い書き跡がある。文面はこの広い写真では判読できない。

地方の小さな駅の待合室には、黒板の伝言板が残っていることがある。携帯電話のなかったころ、待ち合わせに遅れた人へ用件を書き残すための板で、駅員が古い伝言を消していた。

北都県戸鳴町を通る北都線の戸鳴駅は、2010年から無人駅になっている。待合室の掃除は、地元の人が引き受けている。伝言板は倉庫にしまわれていた古い物で、2015年に飾りとして掛け直した。緑に塗った板に木の枠が付き、枠の上には白いペンキで「戸鳴駅」と書いてある。掛け直したのは、駅を使う高校生や観光客に、昔の駅の様子を見てもらうためだった。受け皿に白いチョークも置き、使いたい人が書けるようにしていた。

掃除を受け持つ石川和江さん(70歳)は、古い伝言をいつ消すか、自分で決めていた。書いた人が申し出ることはない。2日ほどたてば、待ち合わせの相手も読んだだろうと思い、次の人が使えるように板を拭く。

「先に行っています K」

消しても戻るのは、この一文だった。誰に宛てたものかは書かれていない。

ところが、Kの文は黄色だった。石川さんが初めて見たのは2017年10月。消すと数日後に同じ文があり、11月になると書かれなくなった。その後も、毎年10月に繰り返しているという。

石川さんは、掛け直した年から掃除の日誌を付けている。その日に拭いた所や、落とし物を書き留める帳面である。2017年10月の頁には、「黄色の伝言 消す」が4日、9日、15日、21日、26日と5回並んでいた。2018年からの10月にも、4回から6回ずつ同じ書き込みがある。11月の頁には一度もない。

黄色いチョークを持ってくる人がいるのだろうと、石川さんはほかの掃除の当番にも尋ねた。誰も書いた覚えがなかった。町の文房具店で聞くと、黄色いチョークはばら売りをしておらず、箱で買う客もここ数年いないという。

「いたずらなら、10月だけというのが分からないんです。学校の休みとも、お祭りとも合いません」

2021年は10月2日、6日、9日に見つかった。私は10日に駅を訪ねた。前日に見つけた文を石川さんに残してもらっていたので、まず写真を撮った。

黄色い字は板の左上にあり、少し右上がりだった。受け皿の端には黄色い粉が落ちていた。

霧島秀一撮影。緑色の伝言板の左上に、黄色いチョークで「先に行っています K」と書かれている。下の受け皿に白いチョークが数本ある。
霧島秀一撮影。2021年10月10日、戸鳴駅の伝言板。左上に黄色い一文があり、受け皿には白いチョークと黄色い粉が見える。

待合室は、夜中にも人が入れる。日中でも列車の合間には無人になるので、朝見つけた文字が夜に書かれたとは限らない。備え付けにない色でも、チョークを持ってくれば書ける。

戸鳴駅に停まる列車は、上りと下りを合わせて1日18本ある。駅前で商店を営む女性にも尋ねたが、黄色いチョークを持った人を見たことはなく、待合室に夜遅くまで人がいるのを見た覚えもないという。

私が尋ねたのは、消した後のことばかり記録していたのではないか、という点だった。石川さんは、いつも一文を全部消していたという。今回は、もう一日残してもらった。

翌11日に石川さんから届いた写真では、文は同じ場所にあった。同じ文が別の場所に増えたり、重ねて書かれたりはしていなかった。石川さんは写真に、「これなら待ち合わせをしている人も困らないでしょう」と書き添えた。

12日朝、石川さんは私と相談したうえで、「先に」の2文字だけを消した。「行っています K」は残し、位置を比べられるように木枠ごと撮ってもらった。

その日の夕方、私が駅へ行くと、文は「先に行っています K」に戻っていた。朝の写真と比べると、残しておいた部分の位置は変わっていない。空けた場所に、2文字が収まっていた。

私は、消す前と消した後、夕方に戻った文字の写真を拡大して比べた。「先」の下のはねには、二股に分かれた短い方の線があり、その端がわずかに離れていた。朝、拭いた後の写真では、その短い線も消えている。夕方には同じ長さの線が、同じ位置にあった。「に」の2本の線の間にある小さな切れ目も一致した。

覚えている文をもう一度書くだけなら、意味が同じになるよう書けばよい。今回は、読めるかどうかには関係しない細かな欠け方まで同じだった。

誰かが前の字を細かく写した可能性は残る。板の前を見張っていたわけではないので、型などを使った書き足しも否定できない。私が確かめたのは、元の文のうち消した部分が、筆の跡の細部も含めて戻ったことだった。

13日朝には、石川さんが「K」だけを消した。昼に送られてきた写真にはKがあり、残した本文の字には変化がなかった。私も夕方、現地で同じ状態を確かめた。

伝言板がいつから駅にあったのかを知りたくて、私は1990年代に戸鳴駅に勤めていた加納敏夫さん(81歳)を訪ねた。加納さんは板の写真を見て、左上の黄色い字を指でたどった。

「左上は、駅員が書く場所でした。列車の遅れや運休を、黄色で書いたんです。お客さんは白。色を分けておかないと、どれが駅の知らせか分からなくなるので」

加納さんは、勤めていたころの手帳を何冊か取っておいた。伝言は2日たったら消す決まりで、消す前に手帳へ書き写していたという。書いたのに読まれていない、と後から言いに来る客がときどきいたからだ。そのうちの1冊、1996年10月の頁に、同じ一文が何度も並んでいた。

「先に行っています K(黄、代筆)」

日付は10月3日から29日まで、2、3日おきに続いている。最初の日の横に、加納さんの字で書き込みがあった。「白墨なし。K様より頼まれ、駅の黄で代筆。相手の方が来るまで、消えたら書き直すこと」。

加納さんは、その客の顔をよく覚えていないと話した。年配の男性で、10月の初めの夕方に列車を降り、駅の外で人を待っていたが、最終の列車の前に1人で歩いて出ていった。白いチョークを切らしていたので、加納さんが頼まれて書いた。相手が誰なのかは聞かなかった。

手帳によると、その男性は月の半ばにもう一度駅へ来て、板の前で少し立っていた。加納さんが、まだ相手の方は来ていませんと伝えると、男性は「消えたら、また書いておいてください」と言って帰ったという。手帳に男性が出てくるのは、その日が最後である。

手帳の11月の頁に、その一文はもうない。10月30日の欄に「K様の件、相手の方来ず。月末につき終了」とだけある。

私は加納さんに、石川さんの写真の字を見てもらった。少し右上がりの癖を、加納さんは自分の字に似ていると言った。ただ、25年前の自分の字と比べられる物は、手帳の鉛筆の字しかない。同じ人の字だとは決められなかった。

石川さんにこのことを伝えると、しばらく考えてから、消しても書き直すのなら、まだ相手に伝わっていない用件かもしれないと言った。消されたことを、伝言が届いていない合図として受け取る誰かがいるのかもしれない。ただ、その相手を見た人はいない。

その後、石川さんは駅の倉庫を探した。伝言板が掛け直されるまでしまわれていた棚に、黄色いチョークの古い箱が残っていた。12本入りの箱で、中には11本あった。箱の表には、ほこりが厚く積もっていた。減った1本がいつ使われたのかは分からない。

石川さんは白いチョークを取り、「分かりました」と書こうとして、やめた。誰が先に行き、誰を待っていたのか、自分は知らない。掃除をしているだけの人が返事をすれば、宛先の人が読んだと思われるかもしれない。

石川さんは黄色い一文を残すことにし、白いチョークを受け皿の右へ寄せた。ほかの人が伝言を書く場所は残したが、Kへの返事だけは、誰の代わりにも書かないことにした。今後は文の周囲だけを拭くという。その日も石川さんは、ぬらした布を小さくたたみ、黄色い字に触れないように、枠の内側を少しずつ拭いていった。

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