柳瀬市の空き家の背比べの柱に関する奇妙な記録

不動産会社の社員撮影。古い家の木の柱に、鉛筆や刃物でつけた短い横線がいくつも並んでいる。

地方の空き家を売るとき、家族が一つだけ手元に残したいと言う物がある。仏壇や欄間のほかに多いのが、子どもの背丈を刻んだ柱だという。

北都県柳瀬市の空き家から、2021年9月、背比べを刻んだ柱が盗まれた。柱のあった所には隙間ができ、向こうの畳が見える。それでも「みつる 1989.5.5」と、その少し上の「みつる 2021.5.5」は、元の高さに残っていた。

私は9月18日、この家の売却を扱う不動産会社の社員、森本慎二さん(仮名、45歳)に話を聞いた。6日前の12日の夜、向かいの家の70代の女性が、空き家の窓に動く明かりを見て110番したという。森本さんが警察官と入ったときには、誰もいなかった。向かいの女性によると、明かりは懐中電灯のように細く、10分ほど居間のあたりを動いてから消えた。その後、家の裏の道で車の戸を閉める音がしたという。

持ち出されたのは、居間の出入り口の脇に立っていた柱だった。森本さんが家の図面で確かめたところ、後から付けた飾りの柱で、屋根や上の階を支えるものではなかった。上下に取り付けた跡があり、その間に木材はない。森本さんは懐中電灯を向けたとき、見慣れた名前を読めたため、柱がなくなったことに気づくのが遅れたと話した。

「線と字が、いつもの高さにあったんです。柱がないと分かったのは、その向こうに畳が見えてからでした」

家の持ち主は藤田美佐子さん(仮名、73歳)。息子のみつるさん(仮名、44歳)は県外に住んでいて、この3年、実家には帰っていない。美佐子さんは家の売却に同意していたが、息子の背を測ってきた柱だけは手元に残したいと、森本さんへ頼んでいた。

みつるさんが最後に帰ったのは、3年前の父親の葬儀のときだった。家を売るかどうかで美佐子さんと言い合いになり、それきり電話も少なくなったという。

今年の線は、美佐子さんが5月5日に書き足したものだった。電話で尋ねると、予備の鍵で家へ入り、昔の線のすぐ上に息子の名前と日付を加えたという。

「ここで育った子がいる家だったと、忘れないためです」

息子を立たせて測ったわけではない。最後に残っていた1989年の線より、少し高い所を選んだ。美佐子さんは、書いたときには木に指をつき、鉛筆を動かしたと話した。

森本さんからは、6月の点検の写真を見せてもらった。茶色い木肌に新旧の線が並び、下の線には浅く刻んだ溝が見える。売却の前に柱を引き取る費用を調べるため、森本さんが美佐子さんへ送ってあった写真だった。工務店の見積もりでは、柱を傷めずに外して今の住まいへ運ぶのに、3万円ほどかかる。

不動産会社提供。古い木の柱にある2本の背比べの線。上は「みつる 2021.5.5」、下は「みつる 1989.5.5」。
※不動産会社提供。2021年6月の点検で撮った柱の上部。1989年の線の少し上に、2021年の日付の線がある。

私は9月22日、美佐子さんと森本さんに同行して家を訪ねた。居間の出入り口には、森本さんが話したとおり、柱1本分の隙間があった。床の四角い跡の上に何も立っていない。

前の柱を正面から見る位置へ行くと、短い黒い線と、名前や年号が見えた。文字の間からは、隙間の向こう側の畳が見通せる。木目も、字を書き付けられそうな板もなかった。森本さんが巻き尺を当てると、1989年の線は床から146センチの高さにあった。6月の点検で測った数字と同じだった。

美佐子さんは1989年の線を指さした。子どもの背を測ったあと、薄れないように浅く傷をつけておいた線だという。

「見えているなら、溝も触れるんでしょうか」

美佐子さんは人差し指を線へ近づけた。私はその横に立っていた。刻みに指を添えるはずの所で、指は止まらなかった。柱のあった隙間を通り、向こう側へ出た。

「何もないですね」

美佐子さんが手を引くと、線と年号はまた同じ所に見えた。手には鉛筆の黒い粉も、木片も付いていない。美佐子さんは指をこすってから、手を下ろした。

誰が柱を持ち出したのかは、早く分かった。森本さんは通報の後、8月に建具の買い取りを見積もった古材業者の荒井さん(仮名、61歳)へ連絡していた。荒井さんは見積もりのとき、柱も買いたいと申し出ていたが、美佐子さんに断られていた。荒井さんは、9月12日の夜に柱を持ち出したことを認めた。倉庫に置いてあり、まだ売れてはいないという。買い手の名前は、そのときは言わなかった。美佐子さんは取り外しも譲渡も認めておらず、森本さんと一緒に警察へ被害を届け出た。森本さんは家の錠を交換した。

私も荒井さんへ電話で尋ねた。断られた柱をなぜ持ち出したのかと聞くと、荒井さんは少し黙ってから、頼まれたからだと答えた。頼んだのは、みつるさんだった。

荒井さんによると、8月の見積もりの後、会社の電話にみつるさんから連絡があった。柱を外して、自分の住む町まで送ってほしい。代金は払う。母には自分から話す、という内容だった。荒井さんは、家族の頼みなら構わないと考えた。夜に外したのは、昼に来ると近所の人に母へ伝わるから、とみつるさんに言われたからだという。

後日、荒井さんは倉庫で、その後にみつるさんから届いたメールを見せてくれた。最後に一行、こう書いてあった。

「1989年より上の線は母が書いたものなので、送る前に削ってください」

1989年5月5日、みつるさんは12歳だった。その翌年から、柱に線は増えていない。私がメールの文面を伝えると、美佐子さんはしばらく何も言わなかった。

「あの子は、自分の背が12歳で止まっている柱が欲しかったんですね」

荒井さんは、柱の表面には何もしていないと話した。削る前に警察から連絡が来たので、送ることも、代金を受け取ることもしていない。柱にあった文字や線を削ったかと重ねて聞いても、何もしていないと答えた。

美佐子さんは、警察から聞くまで、息子が柱を欲しがっていたことを知らなかった。

「欲しいなら、取りに来ればいいんです。来たくないから、ああいう頼み方をしたんでしょう」

みつるさんには、森本さんを通して取材を申し込んだが、返事はなかった。美佐子さんによると、警察の聞き取りには、柱は自分が持っていたかったと答えたという。警察は、柱を外したいきさつを荒井さんとみつるさんから聞いている。私が取材を終えた時点で、誰かが罪に問われたという話は聞いていない。

9月末、柱が空き家へ運び戻された日に、私はもう一度訪ねた。柱は居間の畳に横たえられていた。荒井さんが持ち出した物として返した柱を、美佐子さんと森本さんが受け取ったところだった。荒井さんは自分の軽トラックで柱を運び、玄関で頭を下げて帰ったという。

森本さんは6月の写真を開き、木肌と見比べた。写真で1989年の「9」の下に写る小さな傷は、実物にもあった。傷から横へ伸びる木目も同じだった。私もその部分を確かめた。

しかし、傷の上には名前も年号もなかった。1989年の線があった所を美佐子さんが指でなぞると、浅い溝も見つからない。私も触れたが、指先が引っかかる所はなかった。その部分だけを削り直したような新しい木の面は見当たらず、周りと同じ茶色の木肌が続いていた。

私は柱から顔を上げた。出入り口の空いた所には、9月22日に見た線と名前があった。今年の年号も読めた。手元の柱を見下ろすと、名前のあった所には木目が見えた。

森本さんは美佐子さんに柱の運び先を尋ねた。盗まれる前は、今の住まいへ届けてもらう予定だったという。息子の所へ送るかと聞かれると、美佐子さんは横たえられた柱を見てから、出入り口の隙間を指さした。

「柱を持って帰ったら、あちらはどうするんですか」

その場では運び先が決まらなかった。美佐子さんは、家の売却を進めるのを待ってほしいと森本さんに頼んだ。森本さんは柱を畳の上に残し、居間の戸を閉めた。新しい錠の鍵は、美佐子さんが受け取って、自分の財布にしまった。

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