地方の海辺の町には、天気のよい朝にだけ見える島の話が残っていることがある。たいていは遠くの陸や船が、冷えた空気の重なりで浮き上がって見えるもので、昼には見えなくなる。
北都県の汐見浜で、日の出前に島の写真を撮った村上良江さん(66歳)から、その島の名前を調べてほしいと頼まれた。近所に住む女性で、朝の散歩中に何度か見たという。晴れた昼間に探しても見つからず、送られてきた11月14日の写真には、低い灰色の影が写っていた。
「地図で探しても、南東の沖には何もないんです。名前だけでも分かれば、人に話せると思って」
2021年11月20日、私は村上さんに案内され、日が出る前の浜へ行った。汐見浜は三崎浜急行の終点で、駅の先には線路の車止めがある。前の年に最終列車の放送を調べに来たが、島が見えるという話は初めて聞いた。
水平線に現れた影は、中央が低く、右側が少し盛り上がっていた。双眼鏡を外しても同じ所にある。方角は南東だった。私は立った場所と、海岸沿いの建物の位置をメモした。
見えたのは4分ほどで、明るくなるにつれて輪郭が薄れた。村上さんが見た朝も、風がなく冷えていたという。昼間まで残っているのを見たことはなかった。町の観測所の記録では、20日の朝の気温は2度で、風はほとんどなかった。村上さんの散歩の記録では、見えた朝は11月に入って3回あり、どれも気温が5度を下回っていた。
島の名を尋ねて回ると、元漁師の松田喜三さん(84歳)が、祖父から受け継いだ海図を出してくれた。海岸や島、水深などを記した、船のための地図である。昭和初めの図には、汐見浜から南東へ約30キロの所に「沖ノ瀬島」があった。
ただし、横には「所在疑ハシ」とある。場所が確かでないという注記だった。今の海図では同じ地点に島はなく、松田さんも、祖父が上陸した話は覚えていなかった。
「祖父は、あの島のことはあまり話しませんでした。見えても、見えたと言わない人でした」
遠くの陸や船が、空気の屈折で形を変えて見える蜃気楼も考えられる。私は20日の朝に沖を通った船を探した。島の名を当てはめる前に、形のもとになった物がないか知りたかった。漁協によると、その朝、汐見浜の沖に出ていた船は2隻だった。1隻は南へ向かっていて、船長は何も見ていないと話した。
もう1隻に乗っていた漁師の長谷川直也さん(45歳)は、似た形を撮っていた。汐見浜へ帰る途中で、船は浜から南東へ約7キロの所にいたという。ところが、カメラを向けた先は、沖ノ瀬島が描かれた南東ではない。帰る先の浜がある北西だった。

写真には船首の手すりと、浜側の防波堤の灯が写っている。時刻は私が浜で影を見ていた間に入り、輪郭も似ていた。ただ、別々の景色が似た形に見えたのかもしれず、同じ島を両側から見た証拠とはできなかった。浜と船の間には海しかなく、その向こうに島があるなら、どちらか一方からは背中側にあることになる。
長谷川さんは、帰る方向に陸が見えて、ほっとしたのだと話した。船を進めても、何かに近づいて避けた覚えはない。そのまま港へ入っていた。
23日、私と村上さんは、同じ場所でもう一度待った。島の形は前とほぼ同じ所に現れた。今回は浜沿いの建物も画面へ入れ、途中で撮影する場所を替えるつもりだった。
影の輪郭を撮っていると、海の方からの明るさが気になった。私はカメラから目を離さず、左手のメモ用の板をレンズの前へ持ち上げた。板の上端が水平線を越え、海が隠れた。それでも、島の右側の盛り上がりが見えた。
板に挟んだ白い紙の上に、灰色の輪郭が続いていた。板からはみ出た左側は海に重なり、板に隠れるはずの右側だけが紙の上にある。私は撮影を止め、カメラを下ろした。目で見ても同じように見えた。
薄い紙を通して景色が透けたのではないか。使っていたのは、紙の下に厚い樹脂の板がある筆記用の物だった。村上さんに持ってもらい、防波堤の灯の前へ重ねると、灯は板の後ろへ隠れた。島の形は消えなかった。
板を少しずつ左へ動かした。白い紙に重なる部分は変わるのに、島全体の位置は、板の外に見える水平線に対して動かない。紙に初めから描かれた模様なら、板と一緒に動くはずだった。
村上さんは紙を外し、樹脂の面をこちらへ向けた。紙の裏にも板の表にも、線を描いた跡はない。板へ目を近づけると、灰色の部分は見分けにくくなった。元の位置へ下がると、海の上の輪郭とつながって見えた。
白い紙を板へ挟み直してから、私は村上さんと場所を替えた。今度は私が板を持ち、村上さんが後ろからスマートフォンで撮った。2台の写真には、どちらも白い紙に重なる部分が写っている。カメラの中だけに出る傷や、私の目に残った像ではなかった。2台とも、写真の時刻は6時21分から24分の間だった。
やがて海の側から輪郭が薄れ、紙の上の部分も見えなくなった。日が出た6時40分ごろに同じ板を同じ位置へ置いても、海も防波堤の灯も、普通に隠れるだけだった。
どこから光が来ていたか、当朝の空気がどう重なっていたかは測れていない。島の形を作る仕組みは分からなかった。ただ、遠くの陸が浮き上がって見えるだけなら、その手前へ置いた不透明な板で隠れるはずである。板の手前に見えたということは、影は板と私の目の間にあったことになる。
私は23日の写真を持って、もう一度松田さんを訪ねた。松田さんは写真を見てから、海図の箱の底から、祖父の小さな手帳を出してきた。祖父の喜作さんは、昭和の初めから戦後まで汐見浜で漁をしていた。漁に出た日の天気と獲れた魚を書いた帳面で、昭和9年の冬の頁に、沖ノ瀬島の名が出てくる。
「沖ノ瀬島見ゆ。浜より見れば南東、沖より見れば浜の方。いずれより見ても、見る者の前にあり」
その下に、もう一行あった。
「島に向けて舵を取るべからず」
松田さんは、祖父が霧の朝に船を出さなかった日が何度かあったことを覚えていた。理由を聞いても、天気が悪いとしか言わなかったという。松田さん自身も、若いころに一度、霧の朝の沖で、船の前に低い島の形を見たことがある。一緒に乗っていた父親に言うと、父親は黙って舵を港の方へ戻したという。
海図の「所在疑ハシ」は、場所が分からないという意味だと思っていた。手帳の書き方に従えば、場所はいつも見る人の前にあり、海の上の一点には決められないことになる。海図に描くには、ほかに書きようがなかったのかもしれない。
長谷川さんに23日の写真と手帳の写しを見せると、次からあの形を帰る方向の目印にしないと言った。20日の朝は、陸が見えたと思って、そちらへ少し舵を寄せていたという。航跡を確かめると、いつもの道筋より、わずかに東へずれていた。それでも船は港へ入っていた。
「陸だと思って寄せたのに、着いたのはいつもの港でした。寄せた分だけ、遠回りしただけです」
村上さんに頼まれた島の名前は、古い海図の上では沖ノ瀬島だった。ただ、村上さんが見た影と、松田さんの祖父が見た物が同じかどうかは、確かめようがない。それでも村上さんは、名前があるなら、それで呼ぶと話した。
調査に使った白い紙は、板から外して保管している。そこには立った場所と撮影時刻のメモだけがあり、写真に写った灰色の形は残っていない。村上さんは今も朝の散歩を続けているが、島が見えた朝は、海の方を向いたまま、浜から先へは歩かないことにしたという。



