地方の工事現場の入口には、工事の名前と期間、会社の名前と電話番号を書いた看板が立つ。近くに住む人にとっては、何の工事をどの会社がしているかを確かめる手掛かりになる。北都県柳瀬市本町で電線が盗まれたときも、近所の人はその看板を見ていた。
2021年11月8日の朝、水道工事に使うポンプ用の太い電線が、約30メートルなくなっていると分かった。中に銅線が入った物で、施工会社は警察へ届けた。柵に大きな破損はなく、会社は代わりの電線を手配して作業を再開した。なくなった電線は、買い直すと15万円ほどになる。銅線は重さで買い取られるので、工事現場の電線は盗まれやすいという。
入口の看板も替わっていた。会社が10月に用意した物がなくなり、同じ社名と「本町の水道工事」という工事名がある、古びた白い板が取り付けられていた。
開始日は「昭和64年1月8日から」。届けを受けて現場へ来た警察官が、その日付に気づいたという。
昭和64年は1月7日で終わり、翌8日から平成元年になっている。昭和64年1月8日という日は、暦の上にはない。会社では初め、存在しない日付をわざと使った悪ふざけだと考えた。
私は11月13日、会社の倉庫で、警察から返された看板を見せてもらった。日付は、後からペンで直したものではなかった。ほかの文字と一緒に印刷されている。電話番号も今の会社のものとは違い、以前使っていた番号だった。
社長の小川秀文さん(仮名、58歳)は、父親が会社を経営していたころにも、本町の水道工事を受けたはずだと言った。会社は1987年にできており、始めて間もない時期の帳面が残っていた。父親は2015年に亡くなり、帳面はそれから誰も開いていなかった。
社員が探してきた帳面の1988年12月の欄には、翌年1月8日から本町の工事を始める予定があった。後ろには赤鉛筆で「延期」と書かれている。延期の理由を書いた別の紙は残っていなかった。
1988年の暮れに翌年の予定を印刷すれば、開始日を昭和64年1月8日と書くことはあり得る。印刷を頼んだ時点では、まだ誰も年号が変わることを知らない。看板を頼んだ控えは見つからず、この板が当時作られた物かは確かめられなかったが、日付だけを理由に偽物とすることはできなくなった。
小川さんは、入口にあった脚は残され、文字の入った板だけが替えられていたと説明した。私は倉庫で、板の裏側も撮影した。

銅線を持ち去るだけなら、看板まで替える必要はない。古い板を持ち込み、入口で取り付ける時間をかけた理由は何だったのか。
小川さんは、倉庫の棚を見直した。昔の看板は、使い回せるように何枚か取ってあった。そのうち本町の工事の1枚が、いつからか棚にない。倉庫の鍵は今の社員5人が持つほか、2019年に辞めた元社員が1人、鍵を返さないままだという。警察はその人にも話を聞いたが、本人は倉庫に入っていないと答えた。それ以上のことは分かっていない。警察によると、看板の板の表からは、はっきりした指紋は出なかった。
近くに住む後藤和伸さん(仮名、62歳)は、11月7日の14時ごろ、巻いた電線のような物を現場から運び出す人を見たと話した。警察にも同じ話をしており、私には自宅の玄関先で撮った写真を見せてくれた。
撮影したのは、家の前に車を長く止められて困り、家族に相談するためだった。現場の入口と車の後部、作業着で荷物を運ぶ人が写っていた。顔や車の番号は小さく、読み取れない。荷物がなくなった電線そのものかも、写真からは分からなかった。
小川さんは、7日に会社の作業員は現場へ行っていないと説明した。作業日報でも、その日は休みになっていた。
後藤さんは、初めは日曜なのに工事をするのかと思ったという。それでも入口の看板に、知っている社名があった。予定が変わったのだろうと受け取り、開始日の細かな文字までは読み直さなかった。
聞き取りの終わりに、後藤さんはもう1枚の写真を出した。家族が2階から撮ったもので、車へ積む巻いた電線の端を、後藤さん自身が支えていた。
「そちらだけ支えてください」と頼まれたのだという。後藤さんが電線の輪の片側を持つと、作業着の人は礼を言い、「前の工事のときも、お父さんに助けてもらいました」と続けた。
後藤さんの父親は2008年に亡くなっている。施工会社の先代社長を知っており、昔、工事の車を庭へ入れる話をしたことがあった。後藤さんは、その付き合いを覚えていたので、相手の言葉にも疑いを持たなかった。
後藤さんが影に気付いたのは、2人で電線を持ち上げたときだった。ほどけた部分を踏まないように、足元を見ていたという。
車の後ろには日が差していた。後藤さんの影が道路へ斜めに延び、その横には、腰の高さで持っている電線の輪の影もあった。向かいの人の服や靴にも日が当たっていたが、その足元には人の影がなかった。
自分の影と重なっているのかと思い、後藤さんは相手の靴の周りを見た。後藤さんの影は相手の靴まで届かず、車体の影も別の場所にあった。相手が荷台へ向かって1歩下がっても、明るい路面には靴に続く影がなかったという。
後藤さんは影の位置がおかしいと思いながら、荷台へ載せるまで電線から手を離せなかった。家へ戻り、足元で見たことを家族に話した。そこで、2階からも写真を撮っていたと知った。
私もその写真で足元を見た。後藤さんと電線の影は写っている。向かいの人の靴から先は明るく、車の影にも隠れていなかった。写真の濃淡だけで影の有無を決めることはできないが、後藤さんは写真を見る前、実際の路面で気付いていたと話した。
後藤さんは、父親の古い日記帳を出してきた。亡くなった後も捨てられずにいた物で、1989年の分も残っていた。1月8日の欄には、こう書いてあった。
「小川さんの所の人、本町の工事。電線を車へ積むのを手伝う。礼を言われる」
「父も、同じように手伝ったんですね。礼を言われると、それを日記に書いておくような人でした」
1989年1月8日は日曜日だった。今年の11月7日も日曜日である。
私は後藤さんと、会社で見た古い帳面をもう一度確かめた。1989年の工事は、延期の後の月にも着手したという記入がない。小川さんも、結局中止になったと父親から聞いていた。ところが、同じ帳面の1月10日の欄の端に、先代社長の字で小さく書き込みがあった。
「倉庫の電線 1巻足りず」
届けを出したという記録はない。小川さんは、父親から電線がなくなった話を聞いたことはなかった。延期した工事の現場へ人を出した記録も、その日にはない。
看板の社名と「お父さん」という呼び方は、後藤さんに昔の付き合いを思い出させた。しかし、今年電線を運んでいた人が、当時の相手と関係するかは分からない。父親のことを知っていたのか、後藤さんの反応を見て話を合わせたのかも確かめられていない。
後藤さんは手伝ったことを警察へ伝えている。盗品と知っていたとする材料はない。会社は、古い看板が倉庫から持ち出された時期を調べているが、銅線と新しい看板は、まだ見つかっていない。
後藤さんは、父親がいたころの写真を探すことにした。盗んだ人を古い写真から見つけるつもりではないという。父親が実際に親切にした相手と、自分が荷物を支えた相手を、別々に思い出したいと話した。
日記帳は、1989年1月8日の頁に紙を挟んだまま、後藤さんの家の居間の棚に戻された。


