白山神社の北東のイチョウに関する奇妙な記録

氏子の男性撮影。葉を落としたイチョウの大木の間に、1本だけ緑の葉をつけたイチョウが立っている。地面は黄色い落ち葉で覆われている。

地方の神社の境内には、氏子の世話役が毎年同じ順番で掃除をする木がある。秋の落ち葉は、木ごとに散る時期がだいたい決まっていて、それに合わせて袋を用意する。

北都県三ツ森町の白山神社の落ち葉掃きは、1度では終わらない。境内にある6本のイチョウのうち、北東の角の1本だけが12月の終わりまで緑で残り、ある朝まとめて葉を落とすという。ほかの木を掃除し終えても、その1本の分の袋を残しておく必要があった。

境内は拝殿と小さな社務所があるだけの広さで、6本のイチョウは昭和の初めに植えられたと伝わる。北東は昔から鬼門と呼ばれる方角で、その角の木は、ほかの5本より少し太い。

2021年11月7日に訪ねると、5本は黄色くなり始め、北東の木はまだ緑だった。世話役の後藤光文さん(71歳)は、集めた黄色い葉を袋に詰めながら、緑の木の下にも空の袋を置いた。この記事の冒頭の写真は前年12月上旬に撮ったもので、そのときも1本だけ葉が残っている。

「イチョウは、一晩でばさっと落とす木なんです。それは6本とも同じ。ただ、あの1本だけ、ひと月遅い」

後藤さんが違いに気づいたのは2017年。それから毎年、暮れにもう一度掃除をしているそうだ。私は、毎年同じ日に葉が落ちるのかと尋ねた。後藤さんは手帳を見せてくれたが、書いてあるのは掃除をした日だった。毎朝来るわけではないので、落ちた日と一致するとは限らない。手帳に残る日付は、2017年が12月27日、2018年が12月26日、2019年が12月28日だった。

掃除の日を一緒にたどるうち、2020年には落葉前の夕方と翌朝の写真が残っていると分かった。前年の12月24日、後藤さんはまだ緑の葉が付いている木を携帯電話で撮っていた。

その年、町が頼んだ樹木医に木を見てもらい、後藤さんは点検後も葉の様子を撮り続けていたという。幹や枝には、すぐ手当てが必要な傷みは見つからなかった。日当たりや土の水はけの違いで、落葉が少し遅れる木はある、という説明だった。ただ、なぜこの木だけひと月も遅いのかを突き止めた点検ではなかった。樹木医によると、6本とも実のならない雄の木で、種類の違いもない。

夕方の写真には、低い位置から横へ伸びた枝が写っていた。途中で2つに分かれ、片側だけがさらに小さく曲がっている。葉は一様に付いておらず、先端の近くに、ほかの葉から少し離れたまとまりがあった。枝分かれの形が、葉の間から見分けられる写真だった。

翌25日の朝には、その枝は裸になっていた。後藤さんは掃除を始める前に、地面へ落ちた緑の葉も撮っている。葉の間に、細く長い砂利の隙間があった。隙間は途中で2つに分かれ、片方が小さく曲がっている。

後藤さんが撮影したイチョウの落ち葉。緑の葉の間に枝分かれする砂利の隙間があり、その先に小さな葉のまとまりが離れている。
後藤さん提供。2020年12月25日朝、掃除前に撮った北東の木の下。緑の葉の間で、砂利の隙間が2つに分かれている。

私は、枝ごと折れて落ちたために、その形に葉が並んだのだと思った。後藤さんも同じことを考え、葉の下に太い枝がないか確かめたそうだ。枝はなく、足元を撮り直した写真では、隙間の底まで砂利が見えていた。掃除をするときにも、葉を枝から外す作業はしていない。

夕方と朝の写真の向きをそろえて並べると、枝が分かれる所と地面の隙間が分かれる所は、同じ形をしていた。片方が小さく曲がるところもある。離れて付いていた葉のまとまりは、地面でもその先に分かれて落ちていた。

枝の上で見えていた葉と葉の間が、地面にも残っているように見えた。風のない夜に、葉がまっすぐ下へ落ちれば、そう並ぶことはあるかもしれない。町の観測所の記録では、その夜の風は弱かった。ただ、ほかの5本の葉の落ち方を、同じように撮った写真はない。

私は後日、点検をした樹木医にも2枚の写真を見てもらった。風のない夜に落ちた葉が、枝の形をおおまかに残すことはあるという。ただ、隙間の幅がそろい、縁がこれほどはっきりしているのは見たことがない、と話した。

それに、木全体を比べられたわけではない。写真のほかの枝は葉に隠れ、形を追えなかった。見分けられるのは、低く伸びた1本の枝と、その周囲の葉だった。

後藤さんは、落葉が済んだことを知らせるため、朝の写真を掃除の手伝いをする人にも送っていた。近くに住む70代の女性で、その人にも話を聞くと、緑の葉が薄く広がっていて、集めにくかったことを覚えていた。枝の形との比較はしたことがなかったという。

2人は拝殿を開ける前に掃除を終えている。木の下には裏へ回るための砂利道があり、ぬれた葉を残すと歩きにくくなる。写真を撮った後は、ほうきで葉を寄せ、袋に入れた。掃くと葉の並びは崩れ、普通の落ち葉と同じように集められたという。

私は今年の木の下で、写真に写った枝を探した。2つに分かれた先の片側が小さく曲がり、その先には今年の緑の葉がある。枝は地面から2メートルほどの高さにあり、幹から1メートル半ほどの所で分かれていた。去年の枝が地面へ落ちたために、同じ形の葉があったという説明は、この枝を見ても合わなかった。

後藤さんが世話役を継いだのは2017年で、前の年に亡くなった父の武雄さんから引き継いだ。北東の木に気づいたのが2017年なのは、その年に初めて自分で暮れの境内を見たからだという。武雄さんは40年以上世話役を務め、掃除の手帳を何冊も残していた。

私は、その手帳も見せてもらえないかと頼んだ。後藤さんは家から箱を持ってきた。昭和50年代からの手帳が20冊ほど入っていて、どの年の12月の終わりにも「北東の銀杏 落葉」と書いてある。日付は12月25日から29日の間に収まっていた。落葉の日の後には、毎年のように「形の内 踏まず」と小さく書き添えてある。

昭和54年の手帳の最初の頁に、武雄さんの字で、掃除の決まりが書き出されていた。その中に、こういう一行があった。

「北東の銀杏、葉の落ちる朝、下の砂利に枝の形が残る。その形の内を踏まぬこと。物を置かぬこと」

後藤さんはこの頁を、初めて読んだと話した。父から掃除の手順は口で教わったが、北東の木の下に物を置いてはいけない理由は聞いていなかった。手帳の箱は、父が亡くなってから一度も開けていなかったという。

「子どものころ、12月の終わりにあの木の下で遊んでいると、父に呼ばれて連れ戻されたことがあります。寒いからだと思っていました」

後藤さんは自分の手帳も読み返した。2019年の掃除の日の欄に、「袋を置いた所だけ、葉が少ない」と一行書いてあった。その年も、後藤さんは北東の木の下に空の袋を置いていた。

「親父は、知っていたんですね。知っていて、言わなかった。言わなくても、誰も置かないと思ったのかもしれません」

なぜ置いてはいけないのかは、手帳のどこにも書かれていない。昭和の手帳を順にめくっても、物を置いてどうなったという記録は見つからなかった。

後藤さんは、来年から少し若い人へ掃除を引き継ぐ予定だという。手帳には、北東の木だけ落葉が遅いことと、袋を余分に残しておくことを書いていた。葉の並びについては、写真を比べるまで気にしていなかった。今年の暮れには、去年と同じ場所から、夕方と翌朝の写真を撮るつもりだという。

私が夕方と朝の2枚を並べて見せると、後藤さんはしばらく眺めた。それから、枝の下に置いていた空の袋を砂利道の端へ動かした。「ここには、何も置かないでおきます」と言った。袋を置いていた場所は、去年の写真で、離れた葉のまとまりが落ちていた所だった。

その日の帰りに、後藤さんは自分の手帳の今年の頁を開き、父の一行をそのまま書き写した。引き継ぐ人に渡す頁だという。

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