地方の伝書鳩の会の古い名簿には、何十年も前のレースに出たまま、帰った時刻の欄が空いている鳩が残っていることがある。
2022年4月22日の金曜日、南條市の南條第一小学校で、昼休みに灰色の鳩が校舎の屋上へ降りた。教員の宮下啓子さん(41歳)が近づいても、鳩は飛ばなかった。宮下さんは段ボール箱に入れて休ませ、片足に細い金属の輪がはまっているのを見つけた。
「子どもたちが『名札が付いてる』と騒いで、職員室まで箱を運んできたんです。誰かが大事に飼っている鳩なら、早く返してあげたいと思いました」
宮下さんが調べたかったのは、鳩の持ち主の連絡先だった。
鳩のレースでは、離れた場所から放した鳩が、自分の小屋へ帰る速さを競う。足に付ける「足環」は、どの鳩かを見分ける番号札に当たる。宮下さんは、市内で伝書鳩を飼う大島勝夫さん(76歳)へ連絡した。大島さんは地元の鳩の会に50年近く所属し、迷い込んだ鳩の照会にも応じている。
大島さんは水と餌を用意し、足環を撮影した。輪には「75」と、会を示す文字、「3127」という4けたの番号がある。75は、足環を付けた年を表す。迷った鳩の照会では、まず今の登録名簿と、飼い主から届けが出た紛失鳩の一覧を引く。どちらにもその番号はなく、会の倉庫にあった1975年の出場簿に、同じ組み合わせが見つかった。
その年の春のレースに出た鳩だった。出場簿には、鳩ごとに持ち主と足環の番号、帰った時刻を書く欄がある。同じ持ち主のほかの鳩には時刻が入っているが、その1羽の欄だけが空いている。持ち主は大島さんの知人の藤巻清次さんで、2008年に78歳で亡くなっていた。藤巻さんの小屋も、その後に片づけられている。
鳩が帰らなければ、飼い主は数日のうちに会へ紛失を届けるのが普通だ。届けた番号は一覧に載り、ほかの会員が見つけたときに照会できる。ところが、藤巻さんは3127番の紛失を届けていなかった。1975年のレースには大島さんも鳩を出していた。
「藤巻さんは、あの鳩のことを聞かれても『そのうち来る』としか言わなかった。届けを出さないから、会の帳面ではずっと出場したままです。私はてっきり、諦めきれないのだと思っていました」
当時の時刻の取り方は、今とは違う。レースの朝、会の係が鳩の足に番号入りのゴムの輪をはめ、かごに入れて放鳩地へ運ぶ。鳩が小屋へ戻ると、飼い主はそのゴムの輪を外し、封をした計時用の時計へ差し込んで時刻を打つ。今は足環に読み取り用のチップを入れ、小屋の入口のアンテナが帰った時刻を自動で記録する。どちらの方法でも、鳩が小屋に入り、飼い主か機械がそれを確かめないかぎり、時刻は残らない。
私は4月25日、大島さんを訪ねた。保護された鳩は大島さんの小屋で餌を食べていた。大島さんは見た目から「2、3歳くらいでしょう」と言った。生まれた年を確かめる資料はないが、1975年から生きているとは考えられないという。
まず疑ったのは、足環だけを付け替えた可能性だ。大島さんは鳩を抱え、足を見せた。今の足では指が輪を通らない。輪を切ってつなぎ直した跡も、見える範囲にはなかった。
「ひなのうちなら入ります。古い輪を取ってあればね」
足環の年と鳩の年齢は、それだけでは結び付かない。大島さんは、藤巻さんの家族にも問い合わせていた。家族の手元には、レースへ出す前に藤巻さんが鳩を抱えて撮った写真があった。裏に今回と同じ番号が書かれ、写っている輪の縁は、片側が斜めにつぶれていた。保護直後に撮った足の写真でも、輪の同じ側に似た張り出しがある。古い輪そのものなら、帰らなかった鳩から誰かが外して取っておいたことになる。会を通じて尋ねても、輪を保管していた人や、今の飼い主は見つからなかった。
大島さんは、元気になってもすぐには放さず、ほかの鳩とは別の区画で預かっていた。その区画の低い位置に、小さな木の戸がある。上の大きな戸を開けても、鳩は低い戸の前へ降りる。私がいる間にも、床を歩いてそこへ寄った。

木枠と戸は、藤巻さんの小屋を片づけた際に譲り受けた物だという。傷みが少なく、自分の小屋へ取り付けて何年も使っていた。今回の鳩が来たので、思い出の品を出したという順序ではなかった。いまは掃除のときにだけ開ける戸で、その先は小屋に付いた網張りの囲いへ通じている。
25日は戸を閉めたまま、留め具を掛けていた。私が鳩を撮っていると、大島さんは、鳩が小さな戸の上端をくちばしでつつくことがあると話した。動画に切り替えて待つうちに、鳩は1度だけ板へくちばしを当てた。
そのまま頭を下げ、前へ進んだ。戸は開かなかった。頭が板の向こうへ隠れ、首、胴の順に見えなくなった。羽をたたんだ背中の途中で、板の表面が背中に重なって見える時間があった。
私はカメラから目を離した。大島さんも鳩を見ていて、留め具に手を掛けかけた。鳩の尾が戸の下へ消えるまで、誰も戸を動かしていない。すぐ外の囲いで、足環の付いた灰色の鳩が体を震わせた。
大島さんは囲いの外へ回り、鳩を小屋の中へ戻した。留め具は掛かったままで、戸の下には指先が入るほどの隙間もない。戻った鳩の輪には「75」と、先ほど見た縁の張り出しがあった。戸を開けてみると、普通の1枚の板で、途中に開け閉めできる仕切りはない。動画では、木枠の中の板が最後まで同じ位置にあった。
私の角度だけの見間違いかと思い、大島さんにも、鳩がどこを通ったように見えたか聞いた。大島さんは板の中央より少し下を指した。私が動画で背中を見失った所だった。同じことを確かめるために、鳩を戸の前へ押し戻して試すことはしなかった。大島さんは、低い戸のない別の区画へ鳩を移した。鳩はそこで餌を食べ始め、その日のうちに姿が見えなくなることはなかった。
その夜、私は自宅で動画を1コマずつ送って見直した。鳩の頭が板に触れてから尾が見えなくなるまでは、約1秒だった。そのうち数コマでは、板の木目が鳩の背中の上を途切れずに横切っている。鳩が板の手前を歩いていただけなら、背中で木目が隠れるはずだ。
26日、藤巻さんの長男の藤巻和也さん(63歳)が、父親の鳩舎日誌を大島さんの家へ届けた。27日に私も見せてもらった。1975年のレースの日の欄に、藤巻さんの字でこうあった。
「夕方、75の3127番、下の入口の前に降りる。輪を取ろうと近づくと、戸の前で見えなくなる。小屋の中にもいない」
番号は今回の足環と同じだった。当時、その低い戸は、レースから帰った鳩を入れる入口として使われていた。鳩が小屋に入る前に姿を消したので、藤巻さんはゴムの輪を外せず、時計も打てなかった。藤巻さんにとって、出場簿の空欄は帰らなかった鳩の印ではなかった。入口の前まで来て、まだ入っていない鳩の印だった。紛失を届けなかった理由も、それで説明がつく。和也さんは、父親が生前、その入口だけは小屋を建て直しても替えなかったと話した。
出場簿の空いていた欄には、大島さんが鉛筆で「帰着」と書き、自分の名と今年4月22日の日付を添えていた。私が日誌の話をすると、大島さんは「帰着」を横線で消した。代わりに「南條第一小学校で保護」と書いた。
「帰ったというなら、受け取る人がいないとね」
大島さんは区画の戸を開け、保護された鳩に水を替えてやった。それから譲り受けた低い戸の留め具を確かめ、上からもう一つ、新しい掛け金を取り付けた。



