病院の廊下の壁には、職員が業務の合間に付けた数の記録が、何を数えたのか誰にも分からないまま残ることがある。
浜松市郊外の旧病院は、2014年に閉院した。北棟2階には病室が1号室から5号室まで並び、廊下の奥に6つ目の扉がある。病室ではなく、食事を病室へ出し、使い終わったトレーを片付けるための配膳用の小部屋だ。職員は配膳係へ行き先を伝えるとき、並び順からこの小部屋を「6号室」と呼んでいた。
2020年12月、建物の引き渡しを前に、北棟で8年働いた元職員の田中良宣さんが設備の点検を手伝った。トレーを運ぶ看護助手として勤めていた人である。田中さんはそのとき廊下の壁で見つけた書き込みを撮り、私に送ってくれた。
壁には「一号室」から「六号室」までの文字が横に並び、それぞれの下に正の字が書かれていた。線を1本ずつ足して数を数えた跡である。田中さんは、自分ではこの表を書いた覚えがないという。食事の数は別の用紙に書いていたので、壁で数える理由も思い当たらなかった。
田中さんが覚えていたのは、6号室へトレーを戻す前の待ち方だった。先に誰かが中で片付けをしていれば、終わるまで廊下で待つ。扉を軽くたたき、返事を聞いてから入る。
「狭い部屋なので、中で台車を動かしている人がいると、扉を開けたときにぶつかるんです。だから必ずたたいて、はい、と聞こえてから開けました」
返事をしたのは誰だったのかと尋ねると、田中さんは少し考えて、いつも顔を確かめていたわけではない、と答えた。
12月15日、私は建物を管理する会社の担当者、伊藤久文さんと北棟へ入った。管理会社が保管していた北棟の鍵束を一本ずつ試したが、どれも小部屋の錠に合わなかった。扉は閉まったままである。伊藤さんが呼んだ鍵の業者は、錠の型が古いので開けるのは数日後になると言った。壁を撮ると、6号室の下には完成した正の字が4つと、次の字の書き始めの1画があった。
その前に清掃が入り、1号室から5号室までの線はほとんど消えていた。田中さんは、以前見たときより6号室の線が増えたと話した。だが、清掃の前と後の写真は光の当たり方が違い、私には、増えたといえる箇所を選べなかった。
12月18日、鍵の業者が小部屋を開けた。私も伊藤さんと田中さんに同行した。中にあるのは空の棚と配膳用の台だけだった。ほかの部屋へ抜ける扉はなく、人が隠れられるような棚の奥もない。私は戸口から室内を撮った。

廊下へ戻ると、6号室の下は正の字が4つだけになっていた。15日の写真にあった書き始めの1画が消えている。開ける直前の写真は撮っておらず、この変化がいつ起きたのかは分からない。伊藤さんは、消えた部分も含めて壁の写真を撮り直した。
業者が帰った後、田中さんは棚の寸法を測るため小部屋へ入ろうとした。閉じた扉を2度たたき、待った。中に誰もいないことは、今見たばかりである。勤めていたころの癖だろう。
そのとき、壁の正の字の脇に横線が見えた。汚れが浮いて見えたのかと思い、私は壁へ近づいた。4つの字の隣に、短い線が1本増えていた。田中さんは扉の前にいて、伊藤さんは私の隣にいた。3人とも、扉の向こうから返事は聞いていない。
壁にペンで線を書く人がいたのではないか。そう考えて、私は線を指でなぞった。指先に何も付かず、線は壁の表面に染みたような色をしている。新しく書いたインクなら、乾くまでに少しは指に移るはずだ。
伊藤さんは、温度や湿り気で色の変わる塗料を疑った。古い落書きが、湿気で浮き出て見えることもあるという。だが、清掃業者の報告では、1号室から5号室の線は洗剤を付けた布で拭くと落ちる普通の鉛筆と油性ペンの跡で、壁は病棟のほかの場所と同じ白い塗装だった。6号室の欄だけは扉の脇にかかり、置きっぱなしの台車の陰になっていたので、拭き残されたのだという。
私はカメラを壁へ向けて録画を始め、田中さんには廊下に残ってもらった。伊藤さんは少し離れて、壁と扉の両方を見た。私は小部屋へ入り、扉を閉めた。
田中さんがもう一度たたいた。私は部屋の中から「どうぞ」と答えた。廊下で伊藤さんが、線が消えた、と言った。
外へ出て映像を見た。たたく音の後、先ほどの横線の下に短い縦線が伸び、私の返事の後、その縦線だけが見えなくなっていた。先に増えた横線は残っている。伊藤さんが消えたと指したのも、縦線のあった場所だった。壁には誰も手を伸ばしていない。
私たちは、返事をすぐにしない場合も1度だけ確かめた。今度は伊藤さんが室内に入り、田中さんが扉をたたいた。伊藤さんには、すぐに答えず待ってもらった。私は壁の前に残った。
横線の下に、また縦線が現れた。初めから濃い線が見えていたのではなく、上から下へ書き進めるように黒くなった。しばらく待ってもそのままだったが、伊藤さんが「はい」と答えると、縦線は薄くなって消えた。録画にも、同じ順で変化が残っていた。
扉をたたいた回数だけ線が増えたのではない。田中さんは毎回2度たたいていたが、増えたのは1画だった。また、この日増えた線のうち、返事の後に消えたのは、その直前に伸びた縦線だけである。中に人がいて答えると、伸びかけた線は残らなかった。
田中さんは、この表が誰の習慣だったのかを知りたがった。伊藤さんが閉院時の名簿から配膳の担当者をたどり、12月20日、私は元配膳係の青木春江さん(76歳)に電話で話を聞いた。青木さんは1990年から閉院まで北棟の配膳を受け持っていた。
壁の表の写真を送ると、青木さんはすぐに分かった。
「あれは返事の数です。たたいて、はいと聞こえたのに、開けたら誰もいなかった。そういうときに1本足すんです。病室なら、患者さんが検査で出ていて空のときでした。6号室は、配膳の者しか入らない部屋でしょう。それなのに、あそこが一番多かった」
線を書き始めたのは青木さんの先輩で、配膳係の間だけの決まりだったという。看護師長に話すと怖がる人が出るので、壁の隅に小さく書いた。返事のあった部屋の名前の下に足していく。配膳の仕事が外部の業者へ移ったころには、新しく入った人にこの決まりを教えなくなった。田中さんが北棟に来たのは、その後のことだ。
電話の内容を伝えると、田中さんは、自分も何度か「はい」と聞いてから開けたことがあると言った。中が空でも、返事をした人はもう台車を押して出ていったのだろうと思っていた。小部屋の出入口は、その扉一つしかない。
私は青木さんに、18日に見たことを伝えた。たたいた後に誰も返事を聞いていないのに線が増えたこと、中にいる人が答えると、伸びかけた線が消えたこと。青木さんは黙って聞いてから、こう言った。
「中に人がいたなら、数えなくていいんです。決まりのとおりですよ」
私が数えた限り、6号室の下にある正の字4つと横線1本は、21画になる。私たちが聞いていない返事を、壁は1回だけ数えたことになる。
伊藤さんは、引き渡しまで小部屋の扉を開けて固定することにした。18日の作業記録には、壁の写真と撮影した映像を添えた。元からあった正の字と、この日残った横線を消すことはしなかった。
田中さんは道具を持って小部屋へ入った。帰りに癖で扉を閉めかけ、伊藤さんに止められた。田中さんは開いたままの戸口を見て、「ここなら、返事を待たなくて済みますね」と言って、道具を提げて階段の方へ歩いていった。



