古い団地の空き部屋には、電気が通っていないのに、向かいの棟からだけ明かりが見える窓があることがある。
たちばなニュータウンは、同じ形の3階建ての住棟が向かい合って並ぶ住宅地である。そのうち7号棟は、住人の転居が進んだ2017年に閉鎖された。3階建て18戸の棟は工事用のフェンスで囲まれ、入口の扉には鍵が掛かっている。閉鎖した棟では電気の契約を終え、各戸のメーターと引き込みの電線も外す。夜になれば、窓はどれも暗いはずだ。
向かいの8号棟に住む中村直昭さん(58歳)は、夕方に7号棟の窓が明るくなると、消えるまで見てしまうという。3階の東の端にある306号室である。誰かが戻ってきたのかと思うのだが、フェンスの中に人が入るところは見たことがない。中村さんは5年前に勤め先を早期退職し、夕方は台所の窓際で夕食の支度をする。顔を上げると、ちょうど向かいの3階が目に入る。
中村さんは、はっきり明かりを見た日を手帳に書き留めていた。数えると火曜日に偏っている。2020年12月15日は17時50分ごろから約20分、22日は17時45分ごろから約25分。窓が黄色くなり、閉じたカーテンの縦の折り目まで見えたという。
「蛍光灯の白さではないんです。電球の色で、布の向こうから照らしている感じでした」
12月29日も火曜日だった。私は歩道から7号棟を見上げ、17時30分から18時30分まで待った。窓は暗いままだった。ところが、同じ時間に中村さんが自宅のベランダから見ると、明かりがついていたという。
別の窓を見ていたのではないか。翌日、中村さんと窓の並びを数え直した。2人が見ていたのは、どちらも306号室だった。歩道とベランダでは高さも角度も違う。夕日や向かいの棟の明かりが、ガラスに映った可能性はある。そう話すと、中村さんは「どこかの光なら、その場所を見つけてほしい」と言った。
その30日は水曜日だった。17時40分から1時間、中村さんのベランダに私も立たせてもらった。8号棟の階段の明かりや、通りの街灯がガラスに映り込む位置を確かめたかった。306号室の窓には、階段灯の小さな白い点が右上に映るだけで、窓全体が黄色くなることはなかった。この日は中村さんにも、明かりは見えなかった。
棟を管理する住宅供給公社に問い合わせた。306号室は、棟を閉鎖する前の2015年から空室だった。前の住人が残したカーテンだけが掛かっている。閉鎖の後は、委託した巡回員が週に1度、夜にフェンスの外を回って窓を目で確かめ、紙の巡回簿に記入していた。2019年にはフェンスの入口に防犯カメラを付け、出入りした人を録画している。
公社の小林義成さん(34歳)が、巡回簿と録画を調べてくれた。2018年の巡回簿には、「306 点灯の届出あり」と書かれた日が2回ある。どちらも翌日に室内を確認し、「異常なし」と記されていた。小林さんによると、室内の確認では分電盤を開け、電気が来ていないことを確かめる決まりになっている。届け出た人の名前は書かれていない。カメラの録画では、12月15日と22日の夕方、フェンスの入口を通った人はいなかった。
人が無断で出入りしていないか確かめるため、小林さんが2021年1月5日に室内を点検することになった。この日も火曜日である。許可を得て、私も日中の点検に同行した。
部屋には照明も発電機もなく、床には退去後の細かなごみが残っていた。窓の鍵は閉まっている。窓から向かいを見ると、8号棟の東の端のベランダが正面にあり、手すりに干された中村さんのタオルまで見分けられた。掛かっていたカーテンの下部には縦の裂け目があり、布とは色の違う糸で縫い合わせてあった。
小林さんは窓際を調べるため、そのカーテンを外した。夕方に同じ窓を見れば、布がなくなったことで見え方が変わるかを比べられる。カーテンは公社で保管することになり、小林さんが袋に入れて車へ運んだ。
私は何も掛かっていない窓を室内から確かめ、そのあと中村さんのベランダへ行った。向かいから見ても、カーテンの縦の折り目はない。下部の繕い目も見えなくなっていた。
中村さん宅で夕方まで待った。17時42分に見た306号室の窓は、黄色く明るんでいた。縦に折り目が並んでいる。下のほうには、斜めにつれた細い影も見えた。昼に外したカーテンの繕い目と同じ位置だった。
中村さんはスマートフォンでその窓を撮った。私は、明かりが続いているあいだに歩道からも見ようと思い、中村さんに見続けてもらって下へ降りた。
歩道から見上げる窓は暗く、カーテンも見えない。電話で尋ねると、中村さんには明かりも折り目も変わらず見えているという。ベランダへ戻ると、私にもまた、カーテン越しの黄色い光が見えた。
近くに残っていた小林さんへ連絡し、306号室にもう一度入ってもらった。小林さんは、室内は暗く、窓には何も掛かっていないと答えた。私たちが見ている窓と、本当に同じ場所なのか。小林さんは、私たちがいるベランダへ懐中電灯を向けた。
ベランダからは、黄色いカーテンの中央を白い点が横切るのが見えた。小林さんが動かした懐中電灯の光である。部屋を取り違えてはいなかった。窓の内側にいる小林さんには布がなく、向かいのベランダにいる私と中村さんには、閉じたカーテンが見えていた。
18時を過ぎてしばらくすると、306号室の窓は暗くなっていた。消える瞬間は見ていない。光がどこから来たかは分からなかったが、中村さんが見た窓の位置と、カーテンを外してあったことは、別々の場所から確かめられた。
翌6日、私は公社で、小林さんが持ち帰ったカーテンを見せてもらった。5日に小林さんが運んだ袋の中にあり、下端を広げると、色の違う糸の繕い目があった。繕い目は下端から30センチほどの高さで斜めに走っている。5日の夕方に窓の下のほうに見えた影と、窓の中での位置が合っていた。

その日、小林さんは306号室の退去時の書類も出してくれた。公社は前の住人の名前を伏せたが、70代の女性で、一人暮らしだったという。書類には、退去の半年ほど前に女性が窓口へ来たときの記録が挟まっていた。
「夕方、向かいの棟のベランダから部屋を見られている気がする。暗くなる前にカーテンを閉めるようにしている。裂けたところは自分で繕った」
女性はその年のうちに高齢者向けの施設へ移った。公社には転居先の届けがあるが、今は連絡が取れないという。
記録の欄外には、相手の部屋番号として「8号棟 東端3階」と書かれていた。中村さんの部屋である。中村さんが8号棟へ越してきたのは2016年で、女性が退去した後だ。公社の記録にも、その部屋の当時の住人を確かめた跡はない。小林さんは「当時の担当者は、見られている気がするという話だけでは、8号棟の人に何か言うことはできないと考えたのだと思います」と言った。
私はこの記録を中村さんに伝えた。中村さんはしばらく黙ってから、明かりを見つけたときには人がいると思い、向こうからも自分のベランダが見えているつもりだったと話した。それから、5日の写真を拡大し、左右のカーテンが重なる中央を見ていた。小林さんの白い光が横切った場所である。あのとき室内には、窓からこちらを見るのを遮る布はなかった。
中村さんは、公社に保管してもらっているカーテンを、窓へは戻さないでほしいと言った。そしてその日から、17時半になると、台所の窓のカーテンを自分で先に閉めるようになった。



