地方の公園の銅像には、肉眼では横を向いているのに、写真に撮るといつも撮った人の方を向いて写るものがある。
田島公園は、住宅地の中にある小さな公園である。入口を入った先の植え込みの中に、田島忠邦の銅像が立っている。田島は明治期にこの地域へ用水路を引いた人物で、像は長いコート姿で石の台座の上に立つ。公園の掃除は町内会の当番が月に1度受け持ち、終わると像の前で写真を撮って町内会に出すことになっている。
清掃当番を10年近く続けている鈴木千津代さん(67歳)は、写真を撮るとき、像の顔を見上げないという。スマートフォンの画面を見て、台座の周りまで入るように構える。落ち葉を片づけ、掃除を終えたことが分かればよいので、人を大きく写す必要はない。それでも拡大すると、参加者の顔より像の顔のほうがよく分かる写真もあるそうだ。
「正面に並ぶ年も、脇に寄って撮る年もあるんです。それなのに、どの写真でも像はこっちを向いているんですよ」
鈴木さんから私に連絡があったのは、2020年12月の清掃の後だった。町内会の会報に清掃の写真を載せることになり、昔の写真を探していて気づいたという。
鈴木さんが見せてくれたのは、町内会が保管する「清掃記録帳」である。1968年から続くアルバムで、2009年ごろまでは町内会のフィルムカメラで撮った写真を、それ以降はスマートフォンの写真を印刷して貼っている。見比べると、台座の見え方は撮影場所に合わせて変わるのに、その上の顔はどれもこちらを向いて見えた。
市の公園課に、像の設置図を見せてもらった。顔は台座の正面から少し東を向くように据えられている。余白には「入口ヨリ視線ヲ外ス」と書かれていた。2003年に像の表面を洗ったときには、方位磁針で顔の向きを測った記録もある。台座の正面に対して、東へおよそ15度だった。入口から来る人を真正面で迎えないように、わざと顔の向きをずらしたらしい。
台座の正面は、説明板を留めた4つの穴がある側だ。市に残る古い写真には板が付いていたが、記録帳の最初の写真ではすでに外れている。公園課にも、外した時期や板の行き先は分からなかった。いまは穴と長方形の板跡が見える。

ところが、その入口から撮った市の古い写真では、顔の正面が見えていた。記録帳には、裏に「東側の園路より」と書かれた写真もある。入口とは違う位置から撮っているのに、こちらも両目が見える。
目が合うという感じだけを比べても、確かめたことにはならない。私は写真の目の部分を指で隠し、鼻が顔の輪郭のどこにあるかと、左右の耳の見え方を比べた。
どちらの写真でも、鼻の左右に頬が写っていた。台座の角と背景の園路は違う向きから写っているのに、顔は横顔になっていない。公園課に確かめた範囲では、像の首を付け替えたり、台座ごと据え直したりした記録はなかった。
2021年1月9日の土曜日、私は昼間の公園で、台座の周りを歩いてみた。肉眼で見る像は設置図のとおり、少し東を向いている。横へ行くと頬の片側が隠れ、後ろへ回れば後頭部が見えた。像を見ながら歩いているあいだに、首が動くところは見なかった。
10か所で立ち止まって写真を撮った。顔だけを大きく写すと、自分がどこに立ったかが分かりにくくなるので、台座の角も一緒に入れた。この記事の冒頭の写真は、その日に南西から撮った全身像である。
帰って撮影順に並べると、顔の細部を判別できた7枚には両目が写っていた。残り3枚は影で顔の細部が分からない。7枚の中には、現地では横顔を見ていたはずの場所から撮った写真もあった。
カメラを向けるときに、知らずに正面へ歩いて戻ったのだろうか。台座を見ると、立ち位置が変わるにつれて、正面より側面のほうが広く写るようになっていた。コートの合わせ目と足も同じ向きに斜めになっている。体の向きに対して、写真の顔だけが私のいた側を向いていた。
レンズの歪みでも説明はつかない。私のカメラの標準のレンズと、鈴木さんのスマートフォンの広角のレンズとでは、写り方の癖が違う。それでも、記録帳のフィルム写真を含めて、顔の向きだけは同じ結果になっている。
その日の夕方、もう一つ試した。像の真横に三脚を立て、カメラをセルフタイマーにして、私は数メートル離れた植え込みの陰へ下がった。誰もファインダーものぞかず、画面も見ていない状態で撮れた写真には、片耳の隠れた横顔が写っていた。同じ三脚の位置で、今度は私がカメラの後ろに立って撮ると、顔は正面を向いていた。
記録帳を見直すと、1985年の写真に1枚だけ、像が横顔で写っているものがあった。当番の全員が台座の前に並び、裏には鉛筆で「タイマー」と書いてある。カメラの後ろに誰もいなかった写真である。600枚を超える記録帳の写真のうち、横顔はその1枚だけだった。
翌10日は1月の清掃の日で、鈴木さんは当番の人たちより早く来てくれた。鈴木さんは東側の園路、私は台座をはさんだ南西側に立つ。それぞれの立ち位置から、同時に撮ることにした。
声を掛け合って撮影し、それぞれの画面を持ち寄った。どちらにも両目が写っている。鈴木さんのスマートフォンでは左耳、私のカメラでは右耳が、同じくらいはっきり見えた。鈴木さんは「私はここにいた」と台座の向こう側を指した。前日のセルフタイマーの写真と、1985年の写真のことを話すと、鈴木さんは「じゃあ、撮っている人を見ているんですね」と言った。
その位置を確かめながら像を見ると、2人がいた場所の両方へ顔を向けているようには見えない。私はその場でもう一度、肉眼で横顔が見える位置に立った。片耳が隠れているのを見てから、カメラを目の横へ持ち上げて撮った。
画面には鼻の両側が写っていた。カメラを下ろして像を見ると、また片耳の隠れた横顔だった。
鈴木さんは、昔から像の顔をじっと見ないようにと言われてきた。言ったのは、鈴木さんの前に当番をしていた義母である。理由までは知らない。目を合わせると何か起きるとか、誰かが襲われたという話も聞いていない。清掃のときも、像を見上げずに台座の周りの落ち葉を集めているという。
その日の帰りに、記録帳の最初のページをもう一度見せてもらった。1968年に当時の町内会長が書いた、当番の決まりが貼ってある。掃除の手順の最後に、「清掃後、翁ニ御報告ノ写真ヲ撮ル。翁ノ顔ハ仰ギ見ヌコト」とあった。
その次のページには、外された説明板の文面を書き写した紙が挟まっていた。用水路の由来の最後に、「翁ノ遺志ニ依リ、像ハ人ヲ正面ヨリ見ズ」とある。設置図の「入口ヨリ視線ヲ外ス」は、田島本人が望んだことだったらしい。像は人を正面から見ないように据えられた。そのうえで町内会は、毎月の写真を像への報告として撮り続けてきた。写真の中の顔は、50年以上、カメラを構えて報告する人の方を向いている。
私は、写真を撮るのが嫌なら、清掃のあとの撮影はやめられないのかと聞いた。
「撮らないと終わったことにならないから」
町内会に出す決まりがあるからではない、と鈴木さんは言った。誰も顔を見上げないまま、掃除だけをして帰るのは失礼な気がするという。
掃除が終わると、鈴木さんは集めた落ち葉の袋を植え込みの脇に置き、像を見上げないまま、画面の中で像と台座が収まるのを確かめてから撮った。写った顔は確かめずに、スマートフォンをポケットへしまった。



