山の道路トンネルの点検記録には、設置した数より1枚多い標識が書き込まれることがある。
北都県が管理する山岸回廊は、長さ約1.2キロの道路トンネルである。北から入って南へ向かう車線では、北口から約800メートルと1000メートルの位置に出口案内の標識がある。先の標識は出口まで約400メートル、次の標識は約200メートルと知らせる。トンネルの中で車を降りて逃げなければならないとき、人はこの数字を見て、出口へ向かうか引き返すかを決める。2枚の標識の間に、横へ出る通路はない。
設備の点検は月に一度、夜間に通行を止めて行う。担当者は車で標識の近くまで行き、文字の欠けや、ライトを当てたときの見え方などを調べる。終わると、点検票へ枚数と状態を記入し、標識の写真を添える。
多くの月の点検票は「出口案内標識 2枚 異常なし」となっていた。ところが2018年10月12日の票には、2時14分の欄に「3枚」とある。続けて、「真ん中の1枚は古い型。反射材なし」と書かれていた。
標識の反射材は、車のライトを受けて文字や縁を明るく見せるものだ。夜のトンネルでそれがない標識を、担当者は何の案内だと判断したのか。私は、3という数字より、そのメモが気になった。
この票を見せてもらったのは2021年1月だった。旧白川街道の見回りの記録で、峠の前後の距離が短く書かれた日を調べた際、同じ土木事務所へ、ほかの道路の点検でも似た記載がないか尋ねた。その中に山岸回廊の票があった。
翌月の点検票は、同じ担当者が2枚と書いている。3枚から1枚を撤去したという報告はなく、事務所では10月分の数え間違いと考えていた。担当者が2015年からの票をめくってくれたが、3枚と書かれた月はほかになかった。トンネルが開通したときの図面にも、古い型の標識を付けた記録は見当たらないという。
その夜の点検を担当した佐藤和宣さん(67歳)は、すでに退職していたが、事務所を通じて連絡がついた。2月に電話で話すと、その夜の細かなことは思い出せないと言った。ただ、点検票を書く前に使っていた手帳が手元にあり、該当するページの写真を送ってくれた。佐藤さんは退職までの10年ほど、山岸回廊の点検を受け持っていた。標識は時速20キロほどで走りながら、ライトに浮かぶ板を一枚ずつ声に出して数えていたという。
手帳には「770」という数字と、「降車、戻る」というメモがあった。佐藤さんによると、車の距離計を見て、止めた位置を控えていたという。ふだんは北口を基準にするが、当夜どこで距離計を合わせたかまでは覚えていなかった。
北口から770メートルという意味なら、通常の最初の標識より30メートル手前になる。しかし、この数字だけで停車位置を決めることはできない。私は距離よりも、何を通り過ぎたと思って戻ったのかを尋ねた。
佐藤さんは、自分なら暗くて読めなかった標識を見直すために戻る、と答えた。車を離れ、手持ちのライトを近くから当てる。写真では文字が読み取れない場合には、手帳にも書き写していたという。
次の行には2時16分と「撮影」、その横に「3枚目を確認」とある。さらに下に、小さな鉛筆の字で「出口 0」と書かれていた。

私は、この0は出口までの距離なのかと聞いた。佐藤さんは、そのつもりで書いたように見えるが、単位まで記していないので言い切れないと答えた。古い文字の一部が消えていた可能性もある。
土木事務所には、その夜に撮影した写真が残っていた。通常の2枚の案内が、手前と奥に写っている。間の壁を拡大しても、古い型の標識や「出口 0」に当たるものは見つからなかった。撮影時刻は2時16分で、手帳の「撮影」と合っている。佐藤さんは、3枚目を確かめた直後に、その場所へカメラを向けていたことになる。
仮に0が残りの距離なら、トンネルの途中を出口として案内したことになる。けれども、手帳の文字だけでは、その標識をどこで見たかも確定しない。現物のない表示を、実際の避難口があった証拠として扱うことはできなかった。
佐藤さんの手帳の末尾には、「白川街道分と照合」ともあった。二つの道について何を比べようとしたのかは、本人にも分からなかった。
私は最後に、0と読める標識を見つけた場合、何のために写真を撮るのか聞いた。佐藤さんは、数字を直してもらうためだと答えた。修理を頼むには、どの標識か分かる写真が要る。
残っている写真の2枚は、どちらも正しい残り距離を示している。そのことを伝えると、佐藤さんはしばらく考えたあと、こう言った。
「じゃあ、私は何を直してもらうつもりで、車から降りたんでしょうね」
2月9日、私は許可を得て夜間点検に同行した。今の担当の森本光彦さん(41歳)と、通行止めにした区間へ北口から入った。今の点検車には前を写すカメラが付いていて、走った距離と一緒に映像を残す。佐藤さんのころは手帳と紙の票だけだった点検に、機械の記録が加わっている。
森本さんは、400メートルの標識を過ぎた所で車を止めた。先にもう1枚、暗い板が見えたからだという。車を降り、2人で近づくと、壁に付いた細長い板に「出口 0」と白く書かれていた。板の下の縁は壁からわずかに浮き、細い影を落としていた。奥には、いつもの200メートルの標識が見える。私は手帳に文字を写した。
森本さんがライトを当てたまま、私はカメラを用意した。顔を上げると、板の中央に壁の継ぎ目が見え始めていた。白い文字と板の色が薄くなり、その向こうにあるはずのコンクリートのざらつきが見えてくる。ライトの明るさは変わっていない。森本さんも板を見ていた。2人の前で、文字も輪郭も消えた。
私が撮れたのは壁だけだった。森本さんはライトを左右へ動かし、表示のあった場所を確かめた。そこには通路も、板を取り付けた金具もなかった。私たちが見た0に距離の単位はなく、どこへの出口を示すのかも分からない。
点検車に戻り、前を写すカメラの映像を2人で見た。車が止まる前の数秒、ライトの先の壁が映っている。そこに板はなく、2枚の標識だけが手前と奥に光っていた。車を止めた位置の表示は、北口から約880メートルだった。佐藤さんの「770」とは合わない。佐藤さんの夜と同じ場所で板を見たのかどうかも、決められなかった。
森本さんは、車の距離計だけで停車場所を決めてはいないと話した。ライトに浮かぶ標識を見つけ、近づいて読める所へ車を寄せる。私は佐藤さんの手帳にあった「降車、戻る」を思い出した。佐藤さんも、暗い板を通り過ぎてから気づき、歩いて戻ったのかもしれない。
点検を終え、森本さんは票の枚数欄へ「3」と書いた。通常の2枚を写した写真に、何もない壁の写真を添えた。次の担当者へ渡す欄には、「400と200の間、降車して確認」と書き加えた。
「写真に写らなくても、見たものは書くしかありません。次の人が同じものを見たときに、自分だけだと思わなくて済むように」と森本さんは言った。
翌日、私は佐藤さんに電話で、その夜のことを伝えた。佐藤さんはしばらく黙ってから、「それなら、あの0は書き損じではなかったんですね」と言った。
佐藤さんは、手帳の2018年10月のページを開いていた。電話を切る前に、その下の余白に「2021.2.9 3枚」と書き入れると言った。受話器の向こうで、鉛筆が紙をこする音が続いた。



