浅間沢郵便局の消印に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。シャッターの下りた小さな平屋の旧郵便局。前に赤い丸型のポストが立っている。

地方の郵便には、もう廃止された郵便局の消印が、新しい便りに押されて届くことがある。

はがきや手紙は、ポストから集められた後、集めた郵便局で消印を押される。消印の丸い枠の上には局の名前、真ん中には差し出された日付が入る。郵便局が廃止されると、その局の印は回収され、二度と使われない。

2021年1月9日、北都県深海市の鈴木善宣さん(74歳)へ、妹の鈴木千津恵さんから法事の案内が届いた。文面は普通のものだったが、宛名側の消印に、善宣さんの知っている郵便局の名があった。

「浅間沢」。深海市の山あいの集落にあり、2009年に廃止された局である。真ん中の日付は「3.1.8」。令和3年1月8日、はがきが届く前日を示していた。

善宣さんは、千津恵さんが浅間沢に住んでいたころのはがきを探した。2008年の年賀状に、同じ局の消印がある。日付は「20.1.1」で、平成20年の元日を示す。古い物と今年届いた物を並べて撮り、その日のうちに私へ送ってくれた。新しいはがきの消印は、写真でも3.1.8と読めた。

千津恵さん(70歳)にも直接話を聞いた。千津恵さんは浅間沢局が廃止される前の年に集落を離れ、今は深海駅の近くに住んでいる。今回は1月7日の夕方、駅前のポストへ入れたという。浅間沢には行っておらず、自分で印を押した覚えもなかった。

今年決まった法事の日時が、千津恵さんの筆跡で書かれている。以前の案内を間違って送ったものではなかった。善宣さんは、まだ開かれていない法事の予定として、その日時を手帳へ控えていた。

2月初め、私と善宣さんは深海郵便局へ原本を持っていった。窓口の職員は、駅前のポストから集めた郵便を扱うのは深海局だと説明した。集めた郵便は、機械でまとめて消印を押す。機械の消印は波のような線の入った形で、丸い印を手で押すのは窓口に持ち込まれた郵便などに限られる。深海局に浅間沢の印はなく、旧局の日付印も廃止時に回収したという。

ただ、窓口で見ただけでは、押された印の真偽までは判断できない。職員は、はがきを預かって調べることを提案した。

善宣さんは、いつ返してもらえるか尋ねた。法事に間に合うと分からないなら、今回は持ち帰りたいという。写真を残すのは構わないと伝え、はがきを袋へ戻した。

私は帰り道で、法事の場所と時刻を控えてあれば困らないのではないかと聞いた。善宣さんは、文面を読むためだけに持っていくのではないと答えた。

親戚の中に、県外に住む従姉がいる。千津恵さんと電話で話す機会が減り、元気にしているかをずっと心配していた。善宣さんは、法事で会うその従姉へ、千津恵さんの手書きの便りを見せると約束していた。謎の消印より先に、見せたい相手がいるはがきだった。

法事は2月6日に済んだ。善宣さんは会場で何人かにはがきを見せた。写しがほしいと言った親戚のため、近くの店で表裏をコピーし、自分の分も1枚持ち帰った。

翌日、そのコピーを見せてもらうと、消印の日付が「3.2.5」になっていた。2月5日である。1月9日に私が受け取った写真を開くと、こちらは3.1.8のままだった。

私は、法事の直前に千津恵さんがもう1枚送ったのか尋ねた。善宣さんは、届いたのは1枚だけで、保管していた袋から出して持っていったと答えた。

文面も比べた。最後の文字の払いが少し二重になったところや、宛名の横へはみ出したインクが同じ場所にある。紙の角の小さな折れも重なった。千津恵さんが同じ文章を書き直した別のはがきだとは考えにくかった。

それでも、私がこのとき見たのはコピーである。原本を並べて確かめるため、2月13日に善宣さんの家へ行った。

善宣さんが缶から出した原本の日付は、今度は「3.2.12」だった。印の上の浅間沢の文字と、最初の3は同じ位置にある。別の印を重ねたような線は見えず、中央の日付だけが違っていた。虫眼鏡で見ると、日付の数字のインクも、局名と同じように紙の繊維へしみ込んでいる。後から上に書き足したものではなさそうだった。

私は表裏を撮影し、善宣さんにもカメラの画面と現物を見比べてもらった。下の写真は、その日に撮った消印の部分である。

霧島秀一撮影。はがきの角を写した接写。切手の端と紙にまたがる丸い黒の消印に、浅間沢という局名と3.2.12という日付が読める。右上の角には小さな折れがある。
霧島秀一撮影。2021年2月13日、受取人宅で確認した原本の消印。このときの日付は3.2.12だった。宛名や文面は画面に入れていない。

同じ缶に入っていた2008年のはがきも出してもらった。古い方の消印は、1月の写真から変わっていない。今年のはがきの文面にも書き換わった箇所はなく、法事の日は2月6日のままだった。

ここまでに確かめた日付を、善宣さんと順に読み直した。1月9日の写真では1月8日。2月6日に取ったコピーでは2月5日。2月13日に見た原本では2月12日。いずれも、撮影やコピーをした日の前日になっている。

変わる瞬間を見た人はいない。毎日進んでいるのか、缶から出したときに変わるのかも、この3回の資料からは決められなかった。保存していた写真とコピーを見直しても、以前読んだ日付のままだった。

私はその日のうちに旧浅間沢局へも行った。木造の平屋の局舎はシャッターが下りたままで、前に残る丸型ポストの差し入れ口は古いテープでふさがれていた。

局舎の向かいに住む女性は、昨年の年末に配達のバイクが前で止まったのを見たと話した。ただ、郵便を集めたところは見ていない。千津恵さんのはがきがこのポストや局舎を通ったと分かるものはなかった。

その女性の紹介で、浅間沢局に最後まで勤めた岡部澄江さん(79歳)に会えた。岡部さんは、消印の写真をしばらく見てから、局の仕事の手順を話してくれた。

浅間沢局では、局の前のポストを夕方の閉局前に一度だけ開け、集めた郵便に、その日の日付の丸い印を一通ずつ手で押していた。岡部さんが残していた最後の年の手帳には、毎日の閉局の欄に、押した通数が鉛筆で書いてある。多い日でも20通ほどだった。郵便は翌朝の便で深海へ運ばれ、配達はその日のうちになる。

「浅間沢から出した便りは、受け取る人にとっては、いつも昨日の日付だったんです。夕方に押して、次の日に読んでもらう。集落の人は、昨日出したよ、と電話で言い合っていました」

岡部さんによると、廃止の日に回収された日付印は、最後の日の日付に合わせたまま箱へ納められた。今どこにあるかは知らないという。岡部さんは、千津恵さんの家に毎年の年賀状を届けていたことも覚えていた。

私は深海局に電話で問い合わせた。数日後に返事があり、廃止した局の日付印は、まとめて保管している箱の中にあることを確かめたという。浅間沢の印の日付は2009年の廃止の日のままで、箱から持ち出された記録もなかった。

後日、千津恵さんから善宣さんへ別の用事の手紙が届いた。そちらには深海局の機械の消印があり、日付も変わっていないという。消印の日付が変わっていく話を善宣さんから聞いた千津恵さんは、浅間沢から出したことになっているのなら、それはそれでいい、と笑ったそうだ。

善宣さんは、浅間沢のはがきの原本を取り出すのをやめた。消印を見ると、千津恵さんから新しい案内が昨日届いたように思えてしまうという。法事は済み、会いたかった親戚にも会った。善宣さんが残しておきたいのは、そのときに見せた便りだった。

電話の横には、法事の文面だけを写した紙が置かれている。千津恵さんの筆跡と2月6日という日付は読めるが、宛名側の消印は写っていない。善宣さんは千津恵さんに電話をかけるとき、受話器を取る前に、その紙を少し自分の方へ引き寄せる。

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