町の防災無線が毎夕流す音楽には、どの家にも同じ曲が届いているはずなのに、一本のスピーカーだけが別の曲を流した記録が残ることがある。
三ツ森町では毎日17時、屋外の防災無線のスピーカーから「夕焼け小焼け」が流れる。役場の放送設備から町内24か所のスピーカーへ一斉に送られ、どの場所でも同じ曲が同じ長さで鳴る。子どもにとっては帰る時刻の合図で、家にいる人にとっては夕方の家事の区切りでもある。
上地区に住む伊藤美保子さん(62歳)は、その曲を聞きながら2階で洗濯物をたたむことが多い。曲が始まると、道を走って帰る子どもの声も聞こえてくる。
2021年2月22日の月曜日は、初めから知らない旋律だったという。伊藤さんは手を止め、スマートフォンを2階の窓へ向けた。曲の終わりまで録れた音声は18秒。ゆっくりした短い節が3回続き、音色は普段の放送とよく似ていた。
「音はいつものスピーカーの音でした。曲だけが違う。誰かが間違えたんだろうと思って、役場に言うつもりで録ったんです」
録音には、音楽以外の声も入っている。初めに伊藤さんの小さな「おかえり」。少し後に、外から聞こえる別の女性の「おかえり」。終わり際には、子どもの「まだ外だよ」と、戸をたたくような音があった。
私は初め、それを夕方の生活音として聞いていた。伊藤さんが確かめたかったのも、知らない曲が流れた理由だった。窓から見えるのは上地区7番のスピーカーで、近所の住人2人も、その日は違う曲だったと話した。町の南側の下地区では、普段の曲を聞いていたという。伊藤さんは翌23日の朝、役場に電話で知らせ、録音を私にも送ってくれた。
3月1日、私は役場の防災担当に記録を見せてもらった。放送設備は、どのスピーカーへ何を何秒送ったかを自動で記録している。2月22日も、17時に「夕焼け小焼け」を送った記録があった。
各地点で再生した長さの記録では、7番だけが31秒だった。ほかの23か所は普段と同じ46秒である。担当者は、7番の機械か記録に不具合があると考え、3月中に点検する予定だと話した。機械の故障なら、曲が途中で切れることはあっても、知らない曲を流すことは考えにくいとも言った。
伊藤さんの録音は、曲が終わるところまでの18秒だった。7番の記録どおり31秒流れたのなら、録れなかったのは始まりからの約13秒になる。曲名が分からないため、音楽を教える知人にも録音を聞いてもらったが、心当たりはなかった。
私は伊藤さんに、スマートフォンを取る前には何が聞こえていたのか尋ねた。伊藤さんは、最初から同じ音色だったと答えた。それから、階下で「ただいま」と声がした、と付け加えた。
同居する夫の声だと思い、「おかえり」と返した。録音の初めに入っている返事は2度目だったという。伊藤さんは階下に夫がいるつもりで、窓に向けた電話をそのまま持っていた。
曲が終わってから下へ行くと、玄関には誰もいなかった。夫は何かを取りに寄り、また出たのだと思った。だが、夫が帰宅したのは19時すぎで、尋ねても夕方に家へ寄っていないと答えたという。伊藤さんは玄関に立つ姿を見てはいなかった。
「曲がおかしいのは分かったんですけど、声のほうは普通だったので」
録音の子どもは、道を挟んだ家に住む渡辺亮真くん(8歳)だった。母親の渡辺真紀恵さん(38歳)は、違う曲を聞いたと話していた住人の1人である。私は真紀恵さんにも録音を聞いてもらった。途中に入るもう一つの「おかえり」は、自分の声だと言った。
2月22日の放送時、家の中には真紀恵さんしかいなかったという。
放送が始まったとき、真紀恵さんは亮真くんを呼ぼうと玄関へ出た。道の角から走ってくる姿が見えた。ところが、その後、背後の廊下から亮真くんの「ただいま」が聞こえたという。真紀恵さんは、もう家に入ったのだと思って返事をし、玄関の戸を閉めた。
真紀恵さんの了解を得て、玄関と廊下の位置を撮影した。写真で戸の向こうに見えるのが外の道で、屋内へ続く廊下は、その脇にある。真紀恵さんが「ただいま」を聞いたのは、この屋内側だった。

亮真くんにも真紀恵さんと一緒に話を聞いた。チャイムのときは家の手前の角におり、帰ってきたら戸が閉まっていたという。まだ「ただいま」とは言っていなかった。真紀恵さんが見えなくなったので、戸をたたいて「まだ外だよ」と呼んだ。その声と音は、伊藤さんの18秒の録音に残っている。
真紀恵さんは、廊下で聞いた声も確かに亮真くんだったと言った。私が録音を戻して、外から呼ぶ声を聞かせると、もちろんこれも亮真くんの声だと答えた。
真紀恵さんが廊下の声を聞いた時刻は、録音が始まる前か後かまでは分からない。2軒で同時に声がしたとは確かめられなかった。共通していたのは、放送の最中、家の中から帰宅の声を聞き、姿を確かめず返事をしたことだった。
もう1人、違う曲を聞いた男性にも尋ねたが、人の声については覚えがなかった。18秒の録音にも「ただいま」は入っていない。残っているのは、それに答えたという2人の声である。
私は3月1日から5日まで、毎日17時に7番の近くで録音した。5日とも、普段の曲が約46秒流れた。
6日、7番のスピーカーの前で録音を聞き返していると、通りかかった長尾善次さん(83歳)が足を止めた。上地区で生まれ育ち、若いころは10年ほど、地区の公民館で夕方の放送の当番をしていたという。長尾さんは録音の節を口ずさみ、「公民館で流していた曲だ」と言った。
防災無線ができる前、上地区では公民館の屋根の拡声器から、当番が夕方の曲を流していた。当番は17時になると、棚のテープを機械に掛け、曲が終わったら止める。曲は地区の分校の先生が作ったもので、名前はなく、テープの長さは30秒ほどだったという。防災無線に切り替わった年に、拡声器もテープも片付けられた。今の7番のスピーカーは、その公民館の跡地に立っている。
「あの曲が鳴ると、子どもは家へ入る。家の者は戸口で迎える。そう決まっていました」
長尾さんは、当番の仕事には曲を流した後にもう一つ手順があったと話した。曲が終わると、当番は地区の道を一回りし、まだ外にいる子どもがいないか見て歩いた。年寄りから、そうするよう教わったという。
「家の中で『ただいま』が聞こえても、子どもの顔を見るまでは戸を閉めるな、と言われました。理由までは聞いていません。私の当番のあいだに、そういう話を家の人から聞いたことは一度もなかった」
役場の記録にある7番の31秒は、長尾さんの言うテープの長さに近い。3月10日に役場が7番の機械を点検したが、壊れた部品は見つからず、再生した長さを残す記録の仕組みにも異常はなかったという。2月22日にどこから曲が流れたのかは分からない。ただ、真紀恵さんが戸を閉めたのは、曲が鳴っている間、家の中から声がした後だった。
真紀恵さんは後で亮真くんに、わざと無視して戸を閉めたのではないと説明した。そのために、伊藤さんの録音を聞かせたという。「ほら、ちゃんとおかえりって言ってるでしょう」。その返事の後に、戸の外から呼ぶ亮真くんの声が入っている。
長尾さんの話を伝えてから、真紀恵さんは17時前になると玄関の戸を開け、道の角が見える位置に立つようになった。曲が終わり、亮真くんが戸口をくぐるのを見てから、戸を閉めている。



