川に人が落ちたという通報では、捜索が終わったあとに、人ではない物だけが岸に残ることがある。
柳瀬市の柳瀬橋は、柳瀬川に架かる長さ150メートルほどの橋である。人が落ちたという110番が入ると、警察と消防が出て、地域の消防団も岸から川を照らして捜す。橋の下の岸には県の水位計があり、川の水面の高さを10分おきに自動で記録している。水の中に沈めた管で水の重さを測り、そこから水面の高さを出す仕組みだという。
2021年3月6日の未明、柳瀬橋から人が落ちたという通報で、警察と消防が川を捜索した。朝7時に捜索が終わったとき、岸へ引き上げられていたのは黒い袋が一つだけだった。地域の消防団員、中村克弘さん(仮名、52歳)は、その袋について「引っ張る前は、人の手をつかんでいたつもりだった」と話した。
110番が入ったのは2時12分だった。通報した山本信宣さん(仮名)は、車で近くを通ったとき、橋の中央付近で黒い服の人が手すりを越えるのを見たと説明した。ただし、顔や手足は見分けていない。私に話した際にも、黒い物が手すりの外へ消えたところを見て、人が落ちたと思ったのだと言った。山本さんは通報後も現場に残り、到着した警察官に場所を伝えていた。
山本さん(46歳)は配送の仕事をしていて、その夜は隣の市の倉庫からの帰りだった。柳瀬橋は毎晩のように通る道で、夜中に橋を歩く人を見ることはほとんどないという。
私がこの件を知ったきっかけは、橋の近くに住む人からの連絡だった。夜中にサイレンが続き、朝になって、県が公開している水位計の数値に普段と違う山が残っていたという。3月7日の昼に橋を訪ね、捜索に参加した中村さんにも会った。
消防団には、通報から20分ほどで出動の連絡が回った。団員は岸を下流へ区切って受け持ち、照明で水面を照らしながら歩く。警察と消防は、日が昇ってから捜索を続けるかどうかを相談する。団に入って25年になる中村さんは、橋から200メートルほど下流までの左岸を受け持った。
中村さんによると、橋から少し下流の岸際に、黒い服を着た人が浮いているように見えた。照明の下で肩と腕が見えたが、顔は水の中だった。中村さんが岸から手を伸ばし、水面に出ていた手首をつかんだ。手袋をはめた手だった。
引き上げようとすると、手首から先が軽く、腕から胴へ続く膨らみが水を吐いてしぼんだ。岸へ引き寄せたのは、黒い上着を詰めた大きなごみ袋だった。中村さんがつかんだのは、袋の口から出ていた上着の袖と、その先に押し込まれた作業用の手袋だった。
「水の中で見たら、人の手でした。袖の先に手袋を入れて、指が開くように形を作ってあったんです。つかんだときは冷たくて、少し柔らかかった。引くまでは、人だと思っていました」
中村さんは袋を川岸の草の上に置き、すぐに現場の警察官と消防隊員へ伝えた。川に人が残っている可能性を捨てられず、周囲の捜索は続いた。照明で水面を照らし、ボートも出した。その朝の捜索は7時で打ち切られた。橋には靴や荷物が残っておらず、周辺でその夜から帰らない人がいるという届けも確認されていない。中村さんは袋を開けず、現場で警察へ渡していた。
下の写真は、警察へ渡す前に中村さんが撮ったものだという。引き上げた袋を草の上に置いた後の写真で、表面には泥が付いている。

後に県の河川課で見せてもらった水位計の記録には、2時10分に0.82メートル、2時20分に1.22メートル、2時30分に0.82メートルとあった。2時20分だけが前後より40センチ高い。前夜から雨は降っておらず、上流からの放流にも該当する記録はなかった。河川課は初め、計器の不具合として扱っていた。雨のない夜に、10分で40センチも上がって戻ることは、まずないからだ。
3月8日、河川課の職員が水位計を点検した。水の中の管に詰まりはなく、汚れも少なかった。計器を外して水槽で試しても、数字は正しく出たという。袋は水位計から50メートルほど下流で引き上げられており、管に触れた跡は見つからなかった。担当の職員は念のため、残っている20年分の記録を調べ直した。前後より40センチ高い山は、もう一度だけあった。2001年3月6日の2時20分である。その夜も、雨は降っていなかった。
中村さんは、その日付を聞くと、消防団の詰所から古い出動記録を出してきた。2001年3月6日の欄には、柳瀬橋から男性が転落したとの通報、2時15分、とあった。中村さんが団に入って6年目の春で、その夜も同じ左岸を受け持ったという。男性は見つからず、捜索は朝7時で打ち切られた。記録の余白には、家族が橋の上で夜明けまで待っていた、と鉛筆で書き添えてあった。
警察が袋を開けると、中には黒いダウンの上着と、作業用の手袋が片方、それに小石を詰めた小さな袋が入っていた。上着の内ポケットには、クリーニング店の札が付いたままだった。中村さんは、捜索の後に警察から聞いた範囲だと断ったうえで話してくれた。札の名前の男性は市内に住む70代で、無事だった。上着は2月に、町内会の古着の回収に出したものだという。回収の袋は、集める日の前の晩から公民館の前に積んでおくので、夜のうちなら誰でも持ち出せる。男性は、捨てたつもりの上着が人の代わりにされたと聞いて、気味が悪いと話していたそうだ。
3月7日、私は橋の手すりを測った。歩道からの高さは1.1メートルほどある。警察によると、袋は水を含む前で8キロほどだった。大人なら1人で持ち上げて、手すりの外へ落とせる重さである。
上着の持ち主が住む町内会の会長にも話を聞いた。2月の古着の回収では、朝に業者が来る前に、積んであった袋が3つ減っていたという。そのときは、ほかの人が自分の袋を持ち帰ったのだろうと考え、誰にも届けなかった。減った袋に何が入っていたかは分からない。
人が落ちたように見せる物を、誰かが作り、橋から落とした。山本さんが見た「手すりを越える黒い服」は、その袋だった可能性がある。ただ、袋を手すりの上へ持ち上げた人がいたはずで、その人を山本さんは見ていない。
中村さんは、捜索の間のことを一つ覚えていた。4時ごろ、橋の上の歩道に男が1人立ち、1時間近く、川を照らす照明と隊員の動きを携帯電話で撮っていた。野次馬だと思い、気に留めなかったという。男は捜索の打ち切りが決まった7時ごろ、駅の方へ歩いていった。山本さんもその男を見ていたが、顔は覚えていない。
「誰かが落ちたと聞けば、こっちは何時間でも捜します。どこから捜し始めて、何時にやめるか、全部見られていたのかもしれない」
これは中村さんの考えで、男が袋に関わったと分かったわけではない。警察は、山本さんは見たとおりに通報したと扱っており、袋を橋から落とした人がいるものとして調べているという。袋を落とした人については、私が取材した範囲では何も分かっていない。20年前の転落と今回の袋が関係しているのかどうかも、分かっていない。水位計の2つの山についても、河川課は原因を特定できていない。
山本さんにも、通報後に何を見たかを尋ねた。山本さんは岸へ下りる道で待っていたが、中村さんが誰かを引き上げようとしているのを見て、近くまで行ったという。山本さんが見たのは、岸へ引かれた人の肩の形が平らになり、草の上に黒い袋が置かれるところだった。
警察に確かめると、山本さんは翌日にも袋について問い合わせていた。上着の持ち主のことを気にしていたという。「私が見たのが袋なら、それでいいんです。でも、あれを人に見せようとした人がいるんでしょう」。私はその問いに答えられなかった。山本さんはその後、夜の帰り道で柳瀬橋を通るとき、橋の中央で少し速度を落とし、手すりの外を確かめてから渡るようになったという。
中村さんは、偽物だったと分かった今でも、次に人が落ちたと聞けば捜しに行くと話した。当夜は袋の写真を撮った後、自分の上着を脱いで、その上に掛けていた。警察官が袋を受け取るまで、上着はそのままにしておいたという。


