町内の回覧板には、もう誰も住んでいない家の欄が、いつの間にか書き足されていることがある。
北都県柳瀬市本町二丁目では、町内会の15軒が月に1度、同じ回覧板を順番に回している。表紙の裏には各戸の確認表があり、読んだ家は自分の欄に印を押して、次の家へ渡す。欄の番号は回す順番を示すもので、住所の番地ではない。
この確認表に、2021年1月から、印刷された11番と13番の間へ鉛筆で「12 井口」の行が足されるようになった。12番だった家は2015年に取り壊され、そこに1人で暮らしていた井口さんは前年の2014年に亡くなっている。町内会長の佐藤昌典さんに見せてもらった1月、2月、3月の表には、どれもその行に赤い丸印が押されていた。
11番の家に住む鈴木志津恵さんは、自分の印を押したら、13番の家の郵便受けへ入れると話した。13番の家に住む高橋久枝さんによれば、郵便受けから出したときには、もう井口さんの印があったという。高橋さんは初め鈴木さんのいたずらを疑ったが、鈴木さんは否定した。
「私が押すなら、自分の印の下に押します。わざわざ鉛筆で行を作って、亡くなった人の名前を書くようなことはしません」
佐藤さんは、確認表の作り方も説明してくれた。表は町内会長がパソコンで作り、年に1度刷り直す。井口さんの家がなくなった後も、前の会長は12番の行を消さずに空欄のまま残し、11番の家は13番へ飛ばして回していた。2020年に会長を引き継いだ佐藤さんが、2021年の分を作るときに、使っていない12番の行を初めて削ったという。鉛筆の行が現れたのは、その新しい表が回り始めた月だった。
私は、別の町で暮らす井口さんの息子、井口信夫さんにも連絡した。父親の印鑑は、家を片付けた際に持ち帰り、今も保管しているという。紙に押して送ってもらうと、「井」の字の右上に小さな欠けがあった。回覧板の印にも似た欠けがある。ただ、写真で見比べただけで、同じ印鑑と決めることはできなかった。
信夫さんによると、父親は回覧板を長く止めないよう気を使っていた。次の家の人が取りに来ると、読んでいなくても先に印を押し、あとで必要な紙だけ見せてもらうことがあったという。
4月8日、佐藤さんと私は鈴木さんの家を訪ねた。鈴木さんに印を押してもらい、12番の行がないことを確かめた。佐藤さんが表を開いたまま持ち、私も見ながら高橋さんの玄関まで歩いた。間にある井口さんの家の跡は砂利敷きで、道路側に低いブロック塀の一部が残るだけだった。
高橋さんは確認表を見て、まだ受け取れないと言った。「うちの前の家が済んでいないから」という。井口さんの家がなくなり、11番から直接回していることは知っている。それでも、11の次に13が並ぶところで指を止めた。
佐藤さんが、今回は自分が責任を持って回すと伝えると、高橋さんは受け取って印を押した。私たちは14番の家へ渡すところまで同行した。その時点では、井口さんの行はなかった。
4月11日、佐藤さんのもとへ戻ってきた表には、また「12 井口」と赤い印があった。今度は、13番の欄より下の余白に書かれていた。

私たちが見ていなかったのは、14番から先を回り、佐藤さんのもとへ戻るまでである。行の位置だけを理由に、鈴木さんや高橋さんが書いたとは言えない。佐藤さんは2人にそのことを伝えた。
高橋さんは戻った表を見て、「最後に全員そろえばいいんです」と言った。井口さんが元気だったころ、回覧板はいつも井口さんの家から自分の家へ来た。13番の欄に印を押すときは、上の12番に赤い丸があるのを見てから押すのが習慣だったという。「上が空いていると、まだ回ってきていない気がするんです」
佐藤さんは、12番の行を初めから印刷しておけば揉めずに済むだろうか、と私に尋ねた。
私はその前に、井口さんの家へどう届けていたのかを確かめたかった。今の家々の郵便受けを比べても、間にあった家へ渡す手順だけが抜けていたからである。
4月12日、鈴木さんに、井口さんの家へ届けていたときの動きを見せてもらった。佐藤さんは、戻ってきた4月の回覧板を持っていた。高橋さんも自宅の前から私たちを見ていた。
鈴木さんは回覧板を受け取り、残った塀の切れ目に立った。「ここに、横から入れる箱があったんです」と言い、板を縦にして、薄い方の端を空き地へ向けた。
腰ほどの高さで、鈴木さんの手が止まった。「何かに当たっています」と言う。板の先には何も見えない。私は横へ回り、板の先と地面の間を見た。棒や台はなかった。
鈴木さんがゆっくり指を離した。回覧板は落ちず、縦に立った向きのまま、その場に残った。塀の切れ目へ半分ほど差し入れた形である。佐藤さんが反対側へ回っても、支えている物は見つからなかった。
私は板の下へ手を差し入れた。空気に触れるだけで、郵便受けの底のような物には当たらない。板を上へ持ち上げると動いたが、手を緩めると元の高さへ戻った。横へ引くと、最後まで引き抜くことができた。
手元へ戻した回覧板は、普通の重さだった。少し道路側へ離して手を緩めると、そのまま落ちそうになる。私はすぐに持ち直した。
もう一度、同じ塀の切れ目へ板を差し入れた。途中から手応えが変わり、手を離しても板は残った。今度は佐藤さんが横から撮影し、鈴木さんが板の周りへ手を回した。支えは見つからなかった。回覧板は、裏返して差し入れても同じ位置で止まった。
板を回収して確認表を開いた。井口さんの行も印も、11日に見た表のままだった。その場で新しい印が増えたわけではない。私たちが見たのは、郵便受けのない場所で回覧板が支えられるということだった。
私は信夫さんに、その場所が写る昔の写真はないか尋ねた。送られてきた写真には、塀の切れ目の脇に金属の郵便受けがあった。鈴木さんが板を向けたのと同じ向きに、新聞や回覧板を差し込む形だった。高さも大きくは違わないが、写真から正確な位置までは測れない。郵便受けは家と一緒に撤去したという。
信夫さんは、もう一つ話してくれた。2014年の春に入院してから、父親は見舞いに来た信夫さんに何度も回覧板のことを尋ねた。自分の家を飛ばして回してもらうよう、隣に頼んでおいてくれと言ったという。
「回覧板が止まるのを、父は一番嫌がっていました。飛ばしてもらえば止まらない、と言うと安心していました。番号まで消してくれとは言っていなかったと思います」
前の会長が空欄の12番を6年間残したことと、父親の頼み方が関係あるのかは分からない。分かっているのは、その行が表から消えた月から、鉛筆の行が書き足されるようになったことだ。表の行を足した人は特定できなかった。ただ、井口さんの家を通さずに渡した4月8日と、昔と同じ所へ差し入れた12日では、起きたことが違った。
佐藤さんは、5月からは11番と13番の家で手渡しをしてもらうことにした。12番を確認表へ戻す案は取り下げた。今いる15軒へ届いたかどうかは、その15軒の印で確かめるという。
高橋さんは、私たちの撮った映像を見た後、鈴木さんに、次から直接声を掛けてくださいと頼んだ。空き地へ置いておけば届くかもしれない、とは言わなかった。
4月14日、ごみ当番の連絡を回すために、佐藤さんが臨時の回覧板を出した。受け取った鈴木さんは塀の切れ目の前を通らず、道の反対側を歩いて高橋さんの玄関へ向かった。呼び鈴を押し、出てきた高橋さんに両手で板を渡した。



