中古のフィルムカメラには、前の持ち主が撮りかけたフィルムが、入ったまま売られていることがある。
北都県南條市に住む田中紗恵さん(20代)は、古い一眼レフを使ってみたくなり、2021年1月に市内のカメラ店でその1台を買った。中に撮りかけのフィルムがあることは、買うときに店主の伊藤重宣さんから聞いていた。撮り残した部分を自分で使い切り、2月に現像へ出した。
このカメラには、撮った枚数を示す小さな窓がある。買ったとき、窓の数字は「8」だった。田中さんはそこから続けて撮り、フィルムを最後まで使い切った。
戻ってきたプリントを、田中さんは自分で撮った27枚と、知らない8枚に分けた。知らない8枚は前の持ち主の写真だと思っていた。ところが、その中に自分の住むアパートが3枚あった。
同じ町で使われていた品なら、近所が写っていてもおかしくはない。田中さんが手を止めたのは、入口の脇に写る自転車だった。2020年11月に自分が買った白い自転車で、前かごには、自分で端を斜めに切って貼ったステッカーがある。
伊藤さんは購入時、2018年からショーケースに置いていた品だと説明していた。田中さんがアパートへ越してきたのは2020年10月で、自転車を買ったのはその後である。
私はプリントと一緒にネガも見せてもらった。現像したフィルムを短く切って袋に収めた物で、端のコマ番号で撮った順番が分かる。知らない8コマの後に、田中さんが試し撮りした部屋の壁や近所の道が続いていた。店がほかの客のプリントを混ぜて渡したわけではない。
知らない8枚のうち5枚は、公園の池、川の土手、知らない家の玄関などだった。残りの3枚がアパートで、少しずつ違う大きさで写っている。ステッカーが分かる写真では、自転車のサドルが低く、ハンドルが右へ向いていた。田中さんは、サドルをその高さにしたことはないという。
4月上旬、私はカメラ店へ行った。買い取りの台帳には2018年の入荷が記され、製造番号は田中さんの持つ機体と一致した。伊藤さんは、貸し出したり、客を店の外の試し撮りへ出したりしたことはないと話した。
フィルムカメラの裏ぶたを開けると、中のフィルムに光が入って写真が駄目になる。そのため伊藤さんは、買い取った後も裏ぶたを開けずに売ったという。入荷日だけでは、今のフィルムがいつ入ったかは分からない。誰かが2020年11月以降にこっそり撮ったのなら、自転車が写っていても説明はつく。ただ、その間カメラはショーケースの中にあった。
4月10日、田中さんとアパートの向かいへ渡った。電柱の横に立つと、写真に写る建物の角度と合う。部屋の前を通らずに、入口の自転車を写せる位置だった。車体の細部を比べるため、私はステッカーを撮った。

田中さんが自分で撮った27枚の中にも、アパート正面の写真が1枚あった。同じ電柱の横に立ったそうだ。知らない8枚を見たのは現像後なので、それをまねて立ったのではない。建物全体を入れようとすると、自然にその場所を選ぶという。
伊藤さんは機体を買い戻すと申し出た。田中さんは、誰が家を写したのか分からないまま、別の人へ渡すことをためらっていた。せめて、新しいフィルムでは普通に撮れるのかを確かめることになった。
4月12日、私と田中さんは店で新しいフィルムの包みを開け、伊藤さんがカメラへ入れるところを見た。今回は、前の人が撮り残した部分はない。
最初の8回は、店の机を写すと決めた。田中さんがシャッターを切り、私は撮る直前の机を自分のカメラでも記録した。机には白い紙を敷き、1枚ごとに鍵、鉛筆、畳んだハンカチなどの置き方を変えた。どの写真が何回目か、後から照合できるようにするためだった。撮る前に、枚数の窓が「1」を示していることも3人で確かめた。
9回目以降は、棚、入口、椅子など店の中を撮り、写した物と順番を私が手帳に控えた。使い切ったところで伊藤さんが巻き戻し、田中さんが現像へ持っていった。撮影の途中でカメラを店の外へ持ち出した人はいない。
4月16日、田中さんから、机の写真が1枚もなかったと連絡が来た。翌日、私はプリントとネガを確かめた。
先頭の8コマには、公園の池、川の土手、知らない家の玄関、そして田中さんのアパートが写っていた。順番も、最初のフィルムの8枚と同じだった。自転車のサドルは低く、ハンドルは右へ向いている。その後には、店で撮った棚や入口が、私の手帳と同じ順番で並んでいた。
2月のネガと今回のネガを並べた。別々のフィルムで、後半の写真は違う。前半の8枚を見比べると、池の水面に浮かぶ枝や、土手に写り込んだ人の足の位置まで重なった。同じ場所を後から撮り直したという違いは、見つけられなかった。
現像店には、田中さんから確認を頼んだ。焼き増しや複製の依頼は受けておらず、渡されたフィルムを現像したという返事だった。私は現像の作業には立ち会っていない。その返事だけで、取り違えを全て否定することはできない。ただ、8枚目のアパートと9枚目の店の棚は、同じ一続きのフィルムの上に並んでいた。
前の持ち主を知りたいと私が頼むと、伊藤さんは台帳の売り主に連絡を取ってくれた。売り主は、市内に住む宮内千景さん(52歳)だった。2017年に亡くなった父親の芳雄さんの遺品を整理し、カメラを店へ持ち込んだという。4月19日、宮内さんは店で会ってくれた。
私が8枚のプリントを並べると、宮内さんは玄関の写真を指さした。取り壊す前の実家だという。池は家から歩いて10分ほどの公園、土手はその先の川だった。
「父は、新しいフィルムを入れると、まず散歩に出て、いつも同じ所を撮っていました。池、土手、うちの玄関、それから帰り道の角の空き地です。カメラが壊れていないか確かめるためだと言っていました。8枚撮って、それから人を撮るんです」
宮内さんが覚えていた空き地は、田中さんのアパートが建っている場所だった。アパートは2019年に建ったという。
私は、アパートの写真に写る自転車のことも宮内さんに話した。サドルが低く、ハンドルが右へ向いていると伝えると、宮内さんは少し黙った。
「父は背が低くて、自転車のサドルをいつもいちばん下まで下げていました。止めるときは、必ずハンドルを右に切っていました。左に切ると、かごの物が落ちる気がすると言って」
芳雄さんの自転車は、亡くなった後に処分した。白い自転車ではなかったという。
芳雄さんの撮った写真は、宮内さんの家にアルバムで残っている。後日、宮内さんが送ってくれた写真には、同じ池、同じ土手、同じ玄関が、何年分も同じ順番で並んでいた。どの年も、8枚のうち最後の3枚は、草の伸びた空き地を少しずつ違う大きさで写していた。
田中さんは、店での話を黙って聞いていた。帰り際、自分の自転車のサドルを一度いちばん下まで下げてみたいと言ったが、結局そのままにした。アパートの前で止めるときは、これからもハンドルを左に切るという。
伊藤さんは、買い取りの申し出を撤回しなかった。店へ戻すにしても、このまま売り直すことはしないと話した。
宮内さんは、カメラを引き取りたいとは言わなかった。田中さんはカメラを押し入れにしまい、2本のネガを別々の袋に収めた。新しい方の袋には、「最初の8枚は店の机を撮影」と書いた。写真だけを残すと、自分がもう一度アパートを撮ったことになってしまうのが嫌だという。



