交通事故の記録には、天気の記録と食い違う路面の状態が、そのまま書き残されることがある。
北都県南條市の桜台三丁目は、住宅の塀が続く細い通りである。朝5時台に通るのは、新聞配達の車と、散歩の人くらいしかいない。2021年4月18日の日曜日、新聞を配達していた渡辺正宣さん(仮名)は、この通りへ入る手前で雪を見た。そこまでの道は乾いていたのに、その通りだけが白かった。雪の上には、すでに車1台分のタイヤ跡が続いていた。
渡辺さんは配達を始めて9年になる。朝3時過ぎに販売店で新聞を積み、決まった順番で約250軒を回る。桜台三丁目はその中ほどにあり、毎朝5時20分前後に通る。道順は店の配達表に書かれていて、配達員が勝手に変えることはない。遅れれば、苦情の電話が店に入る。
自分より先に通った車があるのなら、この道は抜けられる。渡辺さんはそう考え、轍に車輪を合わせて入ったという。5時20分、配達の車は道路脇の電柱にぶつかった。ブレーキを踏むとゆっくり左へ流れ、止められなかったそうだ。けがはなかったが、その車では配達を続けられず、残りの新聞は別の配達員に頼んだ。
その朝の最低気温は9.6度で、前夜から雨も雪も降っていない。白くなっていたのは約100メートルで、その外は乾いた道路だった。駆けつけた警察官の事故記録にも「路面積雪」と書かれている。雪は7時過ぎには消え、調べるための試料は残されていなかった。
事故の後、渡辺さんは販売店の店主、古川進一さん(58歳)に呼ばれた。古川さんは、雪の話をすぐには信じなかった。
「4月に、あの暖かさで雪が積もるとは思えません。居眠りをして、言い訳をしているのではないかと疑いました。配達の車は店の物ですから、修理代をどうするかも決めないといけない」
配達中の事故では、店が入っている保険を使うのが普通だという。ただ、運転する人の不注意が大きいと、次の年の保険料が上がる。古川さんの店では、以前にも配達員の居眠りで車をこすった例があり、そのときは本人に修理代の一部を負担してもらった。
渡辺さんは、自分の言うことを支える物を探した。その一つが、近くに住む山本多恵子さん(仮名)が2階の窓から撮った写真だった。撮影時刻は5時14分。道路だけでなく、屋根や駐車中の車、生垣のツツジにも白いものが載っている。通りの中央から奥にかけて、1台分の轍が見える。
この時刻は、事故記録にある衝突時刻より6分早い。配達の車が通った後に撮った写真なら、その車の跡だったと説明できる。私は山本さんに、撮った前後のことを尋ねた。山本さんは早く目が覚め、窓の外が白いのに気づいて撮影した。それから家族を呼び、しばらくして車がぶつかる音を聞いたという。事故の音で外を見てから撮った写真ではなかった。
山本さんは、写真を渡すことを初めはためらった。近所の家や車が写っていて、勝手に人に見せてよいか分からなかったからだ。渡辺さんが店で疑われていると聞き、写っている家に断ってから、販売店と私に見せてくれた。
通りの両端近くには、防犯カメラを付けた家があった。住人は警察にも映像を見せている。私も許可を得て確かめたが、映像の範囲では、渡辺さんの車より先に通りへ入る車は見つからなかった。
建物の陰は映らない。通りに停めてあった車が途中から出た可能性も考え、山本さんの写真と、各家の説明を照らし合わせた。写真に見える車は、事故後に警察官が来たときも同じ場所にあった。轍を付けた車は見つからなかった。
渡辺さんに5時14分の写真を見せると、自分が車輪を合わせたのはこの跡だと答えた。写真では奥へ行くほど細くなり、最後の部分は見分けにくい。渡辺さんが運転席から見た印象では、進むにつれて跡が左へ寄っていった。車輪を戻そうとしてブレーキを踏み、そこで滑ったという。
「入ったときは、道に沿って曲がっていく跡だと思っていました。前の車もこの道を走ったはずだ、と。ぶつかった後で見ると、電柱へ向かっていたようにも思えます」
私は、車が止まった電柱の位置も確かめた。雪がなければ、住宅の塀に沿って立つ普通の電柱である。道路の左端にあり、車道から大きく離れた物にぶつかったわけではなかった。

電柱について照会すると、1971年に木の電柱から取り替えた記録があった。工事の理由を書く欄に、同年4月18日の早朝、季節外れの雪で滑った車が衝突したため交換した、とある。2021年のちょうど50年前で、この日も日曜日だった。雪で滑った車が木の電柱を壊し、代わりに立てた電柱へ、今年の配達車がぶつかっていた。
1971年の車がどちらから走ってきたかは、工事の記録にはない。その朝の轍を写した写真もないので、今年の轍と比べることはできなかった。
電柱を管理する会社に残っていたのは、交換工事の記録だけで、当時の運転手の名前は載っていない。今年の事故では、防犯カメラの映像と写真があっても、轍を付けた車は分からなかった。50年前は、手書きの工事記録に「雪」と残っただけである。
私は古い事故の日付を、古川さんにも伝えた。古川さんはしばらく黙ってから、店の奥へ行き、古い大学ノートを持ってきた。店を始めた父親が付けていた業務日誌で、1971年4月の分が残っていた。
4月18日の欄には、父親の字で「桜台三丁目 雪 車ぶつける 電柱折れる」とあった。その下に、配達員の名前と「けがなし」、さらに「先の車の跡あり と本人言う」と書かれていた。
「父から、昔うちの車が電柱を折ったという話は聞いていました。ただ、雪の話は聞いていなかった。父は、その配達員に修理代を払わせなかったそうです。店で全部払った、と。理由は聞きそびれました」
父親は2009年に亡くなった。日誌は、店の物置の段ボール箱に、ほかの年の分と一緒に入っていたという。古川さんが中を開けたのは、店を継いでから初めてだった。
日誌の翌日の欄には、別の書き込みもあった。「三丁目の入口で止まること」。配達員に伝えた決まりなのか、父親が自分に書いた覚え書きなのかは分からない。古川さんは、そんな決まりを聞いたことはないという。
渡辺さんが通る道順も、父親の代から変わっていない。配達表を見ると、桜台三丁目の入口の欄には何も書かれていなかった。古川さんは、日誌の決まりが配達表へ写されなかった理由も分からないと話した。
古川さんは、渡辺さんに配達車の修理代を求めないことにした。事故の後に疑ったことも、渡辺さんに謝った。保険の手続きでは、警察の記録どおり路面の雪で滑ったと届け出たという。
渡辺さんは、1971年にぶつかった配達員にも、自分より先に走った車の跡が見えていたのかを気にしていた。日誌の「と本人言う」という書き方を見て、店主にも信じてもらえなかったのではないかと言った。その配達員がその後どうしたのかは、日誌からは分からなかった。
「疑われたまま辞めていたら、と思うと気になります。私は写真があったから信じてもらえた。その人には何もなかったんですから」
渡辺さんは修理が済むまで別の車で配達を続けている。桜台三丁目へ入る前には、雪のない朝もいったん止まる。雪がまた積もっていないかを見るためかと尋ねると、確かめているのは、先に誰かが通った跡だと答えた。
4月25日の朝、私は通りの入口で配達の車を待った。5時18分、渡辺さんの車は入口の手前で止まり、ライトが乾いた路面を照らした。10秒ほどして、車はゆっくり通りへ入っていった。


