閉めた店の自動販売機には、商品を全部抜いたあとも、明かりだけをつけたまま残されているものがある。
北都県三ツ森町の丸八酒店は、2012年に店を閉めた。店先の自動販売機は、裏の住まいと同じ電気を使っている。夜になると通りがほとんど真っ暗になるため、元店主の娘、加茂谷久美子さんは、閉店後も機械の電源を入れたままにしてきた。しばらくは飲み物も補充していたが、2015年に商品と小銭を引き上げ、それから扉は開けていない。前面のボタンには、どれも赤い「売切」の灯がついている。
この機械から、2021年4月21日の水曜日、缶コーヒーが1本売れた。
買ったのは、塾帰りの高校2年生、中村悠介くんだった。21時半ごろ、いつもの道を通ると、右端のコーヒーのボタンだけ売切の灯が消えていた。ほかのボタンは売り切れを示している。中村くんは、飲み物を補充したのだと思ったという。100円玉1枚と10円玉2枚を入れてボタンを押すと、取り出し口に缶が落ちた。
「毎日あの前を通るので、全部売り切れなのは知っていました。一つだけ消えていたので、誰かが入れ直したんだと思ったんです」
白地に茶色の線がある細い缶で、「ミナミ珈琲 ミルク入り」と書かれていた。見たことのない銘柄なので、中村くんは友人に見せようと持ち帰った。家で底を見ると、賞味期限が「94.10」と印字されていた。開けずにそのまま置いてあるという。
4月下旬、私は中村くんの家で缶を見せてもらった。へこみは少なく、振ると中で液体の動く音がした。缶にある製造者の住所は南條市内だった。訪ねると、今は月極駐車場になっている。古い電話帳にも同じ社名は見つからず、そこから製造元をたどることはできなかった。
加茂谷さんは、缶を売った覚えはないが、代金の120円は返すと言った。6年前に商品を引き上げたとき、どこかに1本だけ残ったのかもしれない。私は、中を開けるときに立ち会わせてもらうことにした。加茂谷さんも、残っていた商品がすべて売れたのなら、明かりは使い続けたいと考えていた。
「この先の角まで、街灯が一本もないんです。塾や部活の帰りの子が通るので、父が店をやっていたころから、夜はこの機械の明かりが目印でした。電気代は月に千円ちょっとなので、つけておこうと決めました」
自動販売機は、硬貨を入れてボタンを押すと、その列の底の口が開き、いちばん下の缶を1本だけ落とす。缶は斜面を転がり、表の取り出し口に出てくる。列が空になると、底の近くの部品がそれを感じ取り、ボタンに売切の灯をつける。灯が消えていたのなら、その列には缶があるか、部品が狂っていることになる。
4月30日、加茂谷さんが鍵で表の扉を開いた。飲み物を入れる列は、どれも空だった。売上の硬貨を受ける箱には、100円玉1枚と10円玉2枚がある。中村くんが話した額と内訳が合っていた。100円玉の年号は令和2年で、2015年から残っていた硬貨ではなかった。
令和2年は2020年である。この年に作られた100円玉が、2015年から開けていない箱に入っていた。中村くんが入れた硬貨だと考えるのが自然だった。少なくとも、中村くんがお金を入れて缶を買ったという話は、箱の中身と食い違わない。
加茂谷さんは120円を返金用の封筒に入れた。私は、缶が途中で引っかかっている場所がないか、もう少し見せてもらった。加茂谷さんが電源を切り、補充に使う内側の扉を開ける。私は借りた懐中電灯で、缶を重ねて入れる列を上から照らした。
列の中と底、斜面、取り出し口を順に見た。加茂谷さんは、以前商品が詰まったときには斜面に横向きの缶が残った、と場所を指した。そこにも缶はなかった。
右端の列の上には、色の変わった紙のテープが貼られ、鉛筆で「ミナミ」と書かれていた。加茂谷さんは、それまで気づいていなかったという。補充は父親がしていて、加茂谷さんが手伝うようになったのは閉店の少し前からだった。
扉を閉めて電源を入れ直すと、コーヒーだけは売切の灯がつかなかった。灯の故障なら、今までも起きていたかもしれない。それでも、空の列から商品は出てこないはずだ。私は、硬貨を入れて確かめてもよいかと頼んだ。
加茂谷さんの横で、私は自分の120円を入れ、コーヒーのボタンを押した。短く機械が動く音がして、缶が取り出し口へ落ちてきた。中村くんの家で見たのと同じ、白地に茶色の線があるミナミ珈琲だった。
取り出し口は、硬貨を入れる直前にも空だと確かめていた。加茂谷さんがすぐに扉を開けると、列と斜面は空のままだった。私たちは扉の前から離れておらず、商品を入れた人はいない。硬貨の箱には、私が入れた120円があった。
私はそれ以上試さず、出てきた缶を持ち帰った。底の印字は「94.10」。加茂谷さんが父親の古い仕入れ帳を探してくれたが、1990年代に扱った飲み物の中に、ミナミ珈琲の名前はなかった。
5月1日、加茂谷さんは自動販売機の電源を抜いた。その日の午後、帳場の引き出しを片付けていて、父親の小さな手帳を見つけたと連絡があった。
1993年の頁に、「南さんより コーヒー2箱 現金」という書き込みがあった。翌1994年の秋の頁には、「南さん 葬式」とだけある。加茂谷さんは、南さんという名前に覚えがあった。父親の幼なじみで、南條市で小さな飲み物の工場をしていた人だという。
加茂谷さんが小学生のころ、南さんはときどき小さなトラックで店に来た。荷台から段ボールを下ろし、帳場で父親と長く話していった。帰り際には、加茂谷さんにも缶を1本くれたという。缶の色までは覚えていなかった。
「父は、南さんのところのコーヒーを、問屋を通さずに買っていたんだと思います。だから仕入れ帳に載っていない。右端の列だけ、南さんの缶を入れていたんでしょう。私が手伝うようになったころには、もう普通のコーヒーが入っていましたけど」
工場は、南さんが亡くなった後に閉じたらしい。缶の賞味期限の「94.10」は、手帳の葬式の書き込みと同じ年の秋だった。南さんの工場で作った最後のころの缶だったのかもしれない。ただ、それが27年後の2021年に、空の列から出てきた理由は分からない。
加茂谷さんが中村くんへ代金を返しに行く日に、私も持ち帰った缶を持って訪ねた。家で2本を並べ、底の数字を見比べた。買った日も、硬貨を入れた人も違うが、賞味期限の表示は同じだった。

中村くんは、自分が最後の1本を買ったので機械が空になったのだと思っていた、と言った。私は、もう1本出てくる前に、中の列も取り出し口も見たと説明した。2本とも、開けずに保管することになった。
加茂谷さんは、手帳の頁も中村くんに見せた。中村くんは「南さん 葬式」の行をしばらく見てから、自分の缶を加茂谷さんに渡そうとした。お店の物だから返したほうがいい、という。加茂谷さんは受け取らなかった。お金を払って買ったのだから中村くんの物だ、と言い、缶を中村くんの机の上に戻した。
加茂谷さんは、夜の通りが暗くならないよう、店先に別の照明を付けるという。電源を抜いた自動販売機は、ボタンの灯もすべて消えている。
5月4日の夕方、加茂谷さんは脚立を出して店先の軒に小さな照明を取り付けた。それから自動販売機の扉を開け、右端の列の上の、端のめくれかけたテープを、はがさずに指で押さえ直した。扉を閉めると、軒の照明だけが通りを照らしていた。



