戸鳴漁港の公衆電話に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。夕暮れの漁港。岸壁の近くに古い電話ボックスが立ち、後ろに漁船が泊まっている。

港町の公衆電話には、回線を外されたあとも、通報の発信元として記録に残ることがある。

北都県戸鳴町の戸鳴漁港には、岸壁の近くに電話ボックスが一つ残っている。漁師や倉庫で働く人が、携帯電話を持たなかったころに使っていたものだ。回線は2019年に外され、箱は撤去を待っている。旅館汐見屋の主人、鈴木克宜さん(仮名)は、この電話ボックスを残してほしいと町の窓口に相談した。旅館の裏手で火事があった夜、そこからの通報で助かったと考えているからだ。

2021年4月2日、金曜日の21時48分、柳瀬市の消防本部に「汐見屋の裏が燃えている」という119番通報が入った。年配の男性の声で、名前は告げなかった。当夜の記録で発信場所とされていたのは、戸鳴漁港の公衆電話の番号と設置場所だった。

消防車が着くと、裏の物置に積んだ古い布団がくすぶっていた。消火は10分ほどで終わり、けが人はいない。母屋で帳簿を付けていた鈴木さんは、消防車の音で初めて外へ出た。

「誰かが電話をかけてくれなければ、私が気づくのは寝る前に戸締まりを見に出たときでした。布団に火が回っていたら、隣の倉庫まで燃えていたと思います」

鈴木さんは翌日、その電話ボックスへ行き、床のごみを拾ってガラスを拭いた。名前の分からない相手が使った場所だけでも、きれいにしておきたかったという。回線がもう外されていると知ったのは、掃除を済ませた後だった。

普通、119番に公衆電話からかけると、電話会社の設備が回線ごとの番号と設置場所を消防へ送る。かけた人が場所を言えなくても、指令室の画面に住所が出る仕組みだ。回線がなければ、番号は送られない。

鈴木さんの話を聞いた私は、初めは記録の取り違えを疑った。同じ晩に別の場所からかかった通報と、番号が入れ替わったのではないか。しかし消防本部によると、その時間帯に戸鳴町から入った119番は1件だけだった。携帯電話からの通報なら、別の形で位置の情報が届く。記録に残っていたのは、公衆電話の番号だった。

私が電話ボックスを訪ねたのは4月5日、月曜日の夕方だった。箱の中では照明がつき、緑の電話機に受話器が掛かっていた。照明は町の街灯と同じ電源から取っているという。電話機の後ろでは、機体から外された回線の端が壁際に垂れていた。

鈴木さんの紹介で、港の水産倉庫で働く武田伸司さん(仮名)に会った。火事の晩、倉庫を閉めて岸壁を歩いていると、電話ボックスから「汐見屋の裏が燃えている」と聞こえたという。灯りのついた中をのぞくと人はおらず、受話器がコードの先にぶら下がっていた。

武田さんが受話器を拾い上げると、「裏の建物ですか」と聞こえた。続いて年配の男性の声が「布団のある物置です」と答えた。武田さんは何も話していない。2つの声は、どちらも受話器の中から聞こえたという。

「誰かのいたずらなら、近くに人がいるはずです。岸壁には誰もいませんでした。線の切れた電話で、知らない人と消防が話していたんです」

声が途切れると、武田さんは受話器を掛け直し、汐見屋へ走った。着いたときには消防車が来ていた。武田さんは隊員に、聞いたやり取りと、外れた線のことを伝えた。隊員は話を書き留めたが、そのときは誰も電話ボックスを見に行かなかったという。4月5日には、私も武田さんと一緒に、電話機とつながっていない線の端を見た。

消防本部で当夜の通報録音を聞かせてもらうと、21時48分の通話に、武田さんが話したのと同じ質問と答えが入っていた。言葉の順番も一致した。番号が記録に入った経緯については、電話会社と担当者が確認を続けていた。

電話ボックスから汐見屋の裏手までは約300メートルあり、間には倉庫が並ぶ。岸壁に立っても、物置は見えない。声の主は、別の場所で火を見ていたことになる。

布団が積み直されていたことを知っている人なら、物置を見なくても「布団のある物置」と言えるかもしれない。裏手には配達の人も出入りする。その日の作業を誰が見たか、鈴木さんは覚えていなかった。

4月5日、私は鈴木さんの許可を得て物置も見せてもらった。物置には電気が通っていない。入口近くに古い布団が積まれ、一部が焦げていた。鈴木さんは火事の日の午後、引き取ってもらうために、布団を奥から入口近くへ積み直していた。

霧島秀一撮影。戸を開けた物置の入口近くに古い布団が積まれており、折り重なった端の一部が黒く焦げている。
霧島秀一撮影。2021年4月5日、旅館汐見屋の裏の物置。入口近くに積まれた古い布団の一部に、焦げた跡が残る。

消防は、たばこの火や放火の可能性も含めて調べていた。担当者が鈴木さんに、誰が裏手へ来るか、布団を見た人はいないかと尋ねた。鈴木さんは、通報した人にお礼を言いたいという話を繰り返したという。

物置の入口の脇には、地面の色が丸く違う場所があった。尋ねると、鈴木さんはしばらく黙ってから、そこにブリキのバケツを置いていたと話した。水を張って灰皿の代わりにしていたもので、火事の翌朝、消防の調べが始まる前に片付けたという。

バケツを使っていたのは、汐見屋で40年近く番頭を務めた小松辰夫さん(80歳)だった。2015年に辞めてからも、家でたばこを吸えないため、夕方になると物置の裏に来て一服していく。鈴木さんは、それを止めずに水を替えてきた。

「布団を入口に寄せたのは私です。小松さんがいつもの場所で吸ったら、火の粉が届いたかもしれない。そう思ったら、消防には言えませんでした」

私は鈴木さんの了承を得て、4月6日に小松さんの家を訪ねた。小松さんは、2日の夕方も物置の裏で一服したと認めた。ただ、吸い終えた後はバケツの水に吸い殻を落とし、20時ごろに家へ帰ったという。同居する娘さんも、その晩は20時過ぎに父が帰り、翌朝まで家にいたと話した。小松さんは携帯電話を持っていない。

私が一番気になったのは、吸い殻の始末だった。小松さんは、いつも吸い殻をバケツの水に落とし、火が消えたのを確かめてから帰るという。鈴木さんも、翌朝バケツを片付けたとき、水の中に吸い殻が沈んでいたと話した。消防へ伝える前に、その水は物置の脇に流してしまっていた。

小松さんは、港の電話ボックスのこともよく覚えていた。

「あの電話ボックスは、私が番頭をしていたころによく使いました。宿の電話は客が使うので、仕入れの連絡はいつも港からかけていたんです。回線を外すと聞いたとき、少し寂しかった」

小松さんは、汐見屋の物置に布団が積み直されていたことも覚えていた。夕方に一服したとき、入口の近くまで布団が出ていたので、いつもより少し離れて吸ったという。火事のことは、翌朝に近所の人から聞いた。

私は録音の声を小松さんに聞かせなかった。鈴木さんが、それを望まなかったからだ。鈴木さん自身は録音を聞いていた。通報の声が小松さんに似ているかと尋ねると、「似ているとは思います」とだけ答えた。

小松さんが帰ってから、布団がくすぶっているのが見つかるまでに1時間半以上ある。たばこの火が布団に移って、それだけ時間がかかることもあるのか、私には判断できない。分かったのは、鈴木さんが小松さんをかばってバケツを片付けたことと、小松さんが通報の時刻には家にいたことだ。

鈴木さんは、4月7日に消防へバケツのことを伝えた。小松さんにも自分で伝えたという。

消防の担当者は、話してもらえてよかったと言ったうえで、バケツの水を流したことは残念だと伝えた。出火の原因は、たばこの火の可能性を残したまま、はっきりしないことになりそうだという。小松さんはそれ以来、物置の裏へは来ていない。

電話ボックスを残してほしいという相談は、まだ取り下げていない。使えるように直してほしいのかと聞くと、今のままでよいという。

4月7日の夕方、私がもう一度港へ行くと、鈴木さんが電話ボックスのガラスを拭いていた。拭き終えると、外れた回線の端を指でそっと壁際へ寄せ、扉を閉めた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です