体育館の折り返し線に関する奇妙な記録

教員撮影。体育館の木の床に、別々の短い黒い弧状の擦れ跡が残っている。床板の継ぎ目と奥の扉も見える。

学校の体育館の床では、塗り直して消したはずの線の位置に、靴の跡が集まることがある。

柳瀬市内のある中学校の体育館では、月曜の朝になると、床に黒い跡が見つかる。靴底のゴムを床にこすり付けたような、長さ10センチほどの短い弧だ。バスケットボールのコートの北側、ゴール下に描かれた白い円の内外に集まり、多い日には20本ほどあった。学校名は伏せる。

体育館の床は、木の板の上を透明な塗料で覆ってある。運動中に強く踏ん張ったり、急に向きを変えたりすると、靴底のゴムが削れて黒い跡が残る。授業や部活動のある平日なら珍しくない。乾いたモップでは落ちにくいが、洗剤を含ませた布で拭けば消える。

跡が見つかると、まず清掃を担当する小林志乃子さん(63歳)に確認が来る。金曜日に拭き残したのではないか、というのである。

「拭いたところを見ていない人には、残っていただけだと言われます」

小林さんは、毎回きれいにしたと説明した。ただ、床は見る角度によって光る。金曜に見落とした汚れが、月曜の朝日で目立つことはないか。そう聞かれると、拭いた本人の記憶だけでは答えにくかった。

小林さんの清掃は、毎週金曜の放課後に決まっている。まずモップで砂ぼこりを集め、黒い跡があれば洗剤を付けた布でこすり、最後に乾いた布で拭き上げる。体育館の鍵は職員室で管理されていて、清掃が終わると小林さんが返しに行く。週末に体育館を使う部や団体は、職員室の鍵の貸出簿に名前と時刻を書くことになっている。

体育教員の加藤稔和さん(36歳)が床の写真を残し始めたのは、2021年4月12日の月曜だった。6月7日までに、跡は7回見つかっている。どの回も、直前の週末には部活動も外部への貸し出しもなく、金曜の清掃後に鍵を掛けたという。加藤さんの記録では、跡の数は回によって違うが、20本を超えた朝は一度もなかった。

私は加藤さんに、次の清掃後の写真を頼んだ。遠くから床全体を一枚撮るだけでは、小さな汚れの有無を比べられない。白い円の周りを区切り、板の継ぎ目が分かる距離で撮ってもらうことにした。

6月4日の金曜、小林さんは加藤さんの見ている前で黒い跡を落とした。加藤さんから届いた写真では、拭いた場所と床板の継ぎ目を確かめられた。次の写真は、その日に受け取ったうちの一枚である。

体育教員提供。清掃後の木の床を斜めに見た写真。白い円弧と緑の線、床板の継ぎ目が見え、奥に灰色の収納扉がある。
加藤さん提供。2021年6月4日、清掃後の体育館。白い円の付近にあった黒い擦れ跡を落とし、床板の継ぎ目を比較できるように撮影したもの。

6月7日、月曜の7時40分に、私は加藤さんと体育館へ入った。白い円の周りに、十数本の黒い跡があった。金曜の写真と板の継ぎ目を合わせると、跡のなかった場所に新しい弧ができていた。

立つ位置を変えても、黒い部分は同じ板の上に見えた。光の反射ではない。乾いた布では落ちなかったが、小林さんがいつもの方法で拭くと、布に黒い汚れが付いた。この朝の跡は、金曜から残っていた汚れとも、光の加減とも考えにくかった。

次に考えたのは、誰かが週末に入り込んだ可能性である。教頭に見せてもらった警備の記録では、金曜18時半に警備が入り、月曜の朝に職員が入るまで解除されていなかった。扉や窓が開けば、センサーが反応して時刻が残る。その記録もない。学校は警備会社に点検を頼んだが、センサーに故障は見つからなかった。

職員室の鍵の貸出簿も見せてもらった。跡が見つかった7回の直前の土曜と日曜に、体育館の鍵を借りた記入はない。機械の記録と紙の記録のどちらにも、週末に体育館へ入った人は残っていなかった。

一部の跡には、靴底らしい斜めの線があった。学校指定の体育館シューズの模様と似ている。ただし、靴全体の形は残っていない。跡が十数本あるからといって、十数人がいたとは限らない。私も加藤さんも、週末ずっと床を見ていたわけではない。誰かが入った可能性は残るが、確認できた出入りではなかった。

小林さんが残りの跡を拭く前に、加藤さんは床へ小さな紙を置いた。靴を滑らせた向きを形から読み取れそうな跡だけ選び、紙に矢印を書いた。

加藤さんの見立てでは、向きの分かる跡は、白い円から北の壁へ進み、壁の手前で止まったときのものだった。北の壁には器具をしまう扉がある。扉にぶつからないよう踏ん張ったのかとも思ったが、跡が重なる位置は扉から3メートルほど離れていた。そこには今、止まる目印になる線がない。

加藤さんは、体育準備室の古いアルバムから、床の線を引き直す前の授業写真を探してきた。学校は2008年の夏に床を塗り直し、そのとき使わなくなった線を消している。写真には、北の壁の手前に、白いテープのような短い横線が写っていた。

古い写真の床板の継ぎ目を今の床で探すと、黒い跡が集まる位置は、その横線があった辺りに収まった。加藤さんが保存していた別の月曜の写真も、位置を読める範囲では同じだった。

昔の塗料が浮き出ているのか。そう考えても、まっすぐな線が、靴底の模様を含む短い弧になる理由は分からない。

「線が見えている人が止まったら、こうなるんです」

加藤さんはそう言った。

横線が何のためのものだったのかを知りたくなり、加藤さんは退職した教員の集まりを通じて、1980年代からこの学校で体育を教えた稲垣昭三さん(74歳)を探した。6月10日、私は稲垣さんの自宅で話を聞いた。

稲垣さんは写真を見るなり、「往復走の線だ」と言った。白い円の端から北の横線まで走り、線を踏んだら向きを変えて戻る。陸上部が冬の間、雨や雪で外を走れない日に体育館で続けていた練習だという。

「土曜の朝にやっていました。線の手前で止まるのも、線を越えて回るのも駄目で、必ず踏んでから戻る。だから、みんな同じ所で踏ん張るんです。月曜に用務員さんから、床が黒いと何度も言われましたよ」

本数を聞くと、稲垣さんは迷わず答えた。

「往復20本。それ以上はやらせませんでした。足を痛める子が出ますから」

稲垣さんは笛を首から下げ、1本ごとに短く吹いた。部員が線を踏まずに戻れば、その1本は数えない。終わると、練習ノートに日付と本数を書き込んだ。ノートは手元に残っていないが、書く欄の形は覚えているという。「20」の数字が並ぶページばかりだったそうだ。

当時は警備の機械がなく、週末に体育館を使うときは、職員室の鍵の貸出簿に名前と時刻を書いた。稲垣さんは1996年に別の学校へ移り、その後、土曜の練習を誰が続けたのかは知らないという。床を塗り直した2008年には、もう陸上部の練習には使われていなかった。

私は、黒い跡を誰かのいたずらか、週末に忍び込んだ生徒のものだと考えていた。しかし、加藤さんが数えた本数は、どの月曜も20本以下だった。止まる位置は、消された線の上にある。昔の練習で、決まった本数を、決まった線で折り返していた跡と同じ形をしていた。

加藤さんが稲垣さんの話を伝えると、小林さんはしばらく黙って床を見ていた。小林さんがこの学校の清掃を受け持って、今年で9年になる。月曜の朝に黒い跡を見つけたのは今年が初めてではないが、写真を撮る人がいなかったので、拭き残しと言われれば言い返せなかったという。

「拭いた後に付いたものなら、私の仕事が雑だったわけではないんですね。でも、それで気が楽になったかというと、そうでもないです」

学校は予定どおり、夏休みに床を塗り直すことにしている。それまでも、黒い跡は見つかるたびに落とすという。跡を残しておくと、今の生徒が、そこを折り返しの目印だと思うかもしれないからだ。

6月14日の月曜、黒い跡は11本だった。加藤さんはその数を手帳に書き、小林さんが一本ずつ拭いていった。拭き終わった床で、加藤さんは白い円から北の壁へ歩き、昔の横線があった辺りで足を止めた。それから向きを変えて、円の方へ戻ってきた。

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