地方の神社の祭りでは、奉納した店の名前を書いた提灯が、毎年ほぼ同じ場所に掛けられることがある。
北都県三ツ森町の三ツ森八幡では、夏祭りの2日間、鳥居から社殿までの参道に奉納提灯を並べる。店や家が祭りの委員会に奉納金を納めると、その名前を書いた提灯が掛かる。場所は委員会が申し込み名簿で決める。長く奉納している店は、毎年同じ場所になることが多い。
2021年の祭りで、川端青果の店主、石川直昌さん(45歳)が探していたのは、自分の店の名前だった。奉納金の3千円は払い、受領証も持っている。案内された鳥居から7つ目の場所には、「丸八酒店」の提灯が下がっていた。
丸八酒店は2012年に閉店し、奉納したのは2011年までだった。鳥居から7つ目は、長く丸八酒店の場所だったという。古い提灯も2012年の秋に焚き上げたと、当時の係は話している。
委員会は昔から、提灯を掛ける前に紙の配置図を作っている。参道の左右に丸を並べ、そこへ店の名前を書き込んだものだ。2011年の配置図では、鳥居から7つ目の丸に「丸八」とある。2012年からは、その丸に何も書かれていない。
2016年からは、町内の会報に載せるため、委員がデジタルカメラで祭りの写真も撮るようになった。ところが、その2016年と2018年の写真には、鳥居から7つ目に「丸八酒店」の提灯が写っていた。同じ年の配置図では、7つ目は空いたままだ。2019年にも、同じ場所で見つかっている。
2012年以降の申し込み名簿に、丸八酒店の名はない。係は、誰かが祭りの間だけ古い提灯を持ち込んでいるのだろうと考えていた。片付けるころには見当たらず、蔵へ収める数は名簿と合う。そのため、誰が持ってきたのかを確かめないままになっていた。
川端青果は2018年に開いた店で、翌2019年から奉納している。そのとき空いていた7つ目が割り当てられた。丸八酒店を引き継いだ店ではない。石川さんは、近所の人に店の名前を知ってもらいたくて申し込んだのであって、昔の店名を使うよう頼んだことはないと話した。
今年の祭りは7月24日と25日だった。私も25日の夜に、7つ目の「丸八酒店」を見た。紙は白く、ほかの提灯と同じように灯っていた。その近くで石川さんから話を聞き、古い店名が残っているだけの問題ではないと分かった。
提灯の名前は、毎年、町内で字の得意な人が名簿を見て書いている。今年書いた人に尋ねると、川端青果の分も確かに書いたという。社務所を探してもらうと、名簿どおりに書かれた「川端青果」の提灯が、たたんだまま箱の底に残っていた。掛ける係は、7つ目に別の提灯がもう下がっていたので、空いている場所の分だと思って箱へ戻したと話した。
私は係と一緒に、申し込み名簿と集金の記録を確かめた。名簿には川端青果とある。7月18日に3千円を受け取った委員の前田修三さん(72歳)は、店名と金額を書いた受領証を石川さんへ渡していた。祭りのためにお金を受け取ったことを示す紙である。
使っていたのは、上の紙に書くと、下に重ねた控えにも同じ字が写る2枚つづりの受領証だった。上の1枚は支払った店へ渡し、下の1枚は委員会で保管する。どちらにも同じ番号が印刷されているので、どの支払いの紙かを後から照らし合わせられる。
川端青果の受領証は17番だった。石川さんの手元の紙には「川端青果」とあり、委員会に残る17番の控えには「丸八酒店」とあった。日付、3千円という金額、前田さんの名前は同じで、店名だけが違っていた。

「18日は、毎年決まって集金に回る日なんです。参道に近い店から順に回るので、冊子の番号もだいたい同じ順に使います。17番あたりが、ちょうど今の川端さんの辺りになる」と前田さんは話した。
前田さんは、石川さんの前で店の名前を尋ね、復唱してから書いたと話した。丸八酒店の元店主の娘、加茂谷芳子さんから代わりの奉納を頼まれたわけでもない。芳子さんは、自販機の件で取材した久美子さんとは別の娘である。芳子さんにも確かめると、今年の申し込みも支払いもしていないという。
「父は奉納を楽しみにしていましたが、今のお店のお金を父の店の名前にしてほしいとは思いません」
芳子さんは、父親が取っておいた古い受領証の束も見せてくれた。2002年から2011年までの10枚で、日付はどれも7月18日、番号はどれも17番だった。前田さんの話のとおり、参道に近い店から順に回れば、丸八酒店がその番号になる。丸八酒店がなくなった後、同じ日に同じ番号を受け取るのは、7つ目に入った川端青果だった。
誰かが古い店の名を残すために、委員会の控えを書き換えたのではないか。石川さんはそう考えていた。別の受領証を取り違えただけなら、番号のほかにも違いが出るはずだった。
2枚の日付欄には、前田さんが「19」と書きかけて「18」へ直した跡が、同じ位置にある。冊子の番号にも、抜けや入れ替わりは見当たらなかった。少なくとも、別の日に別の店へ出した紙を偶然並べたようには見えなかった。
さらに、控えの店名欄へ斜めから明かりを当てると、上の紙にペンを押し付けたときのへこみが見えた。黒い文字は「丸八酒店」だが、紙に残るへこんだ線は「川端青果」の形をしていた。「青」の横線や「果」の中ほどの形を、石川さんの紙と並べて確かめた。
私が見た範囲では、「丸八酒店」の黒い線に沿うへこみはなく、「川端青果」のへこみに沿う黒い字もない。同じ冊子の次のページで試しに書くと、上から押した線と、下の紙へ写る字は重なった。紙を専門の検査に出したわけではない。それでも、前田さんが初めから丸八酒店と書いたという説明では、控えに残る川端青果の形が説明できなかった。
控えの紙は、書いた後に上から別の字を書き足せば、へこみと字の両方が残るはずだ。消して書き直したのなら、紙の表面が荒れる。控えの店名欄に、そのどちらの跡も見つからなかった。へこみは川端青果、写った字は丸八酒店で、その間をつなぐ作業の跡がない。
芳子さんの束の受領証は、どれも前田さんが書いたものだった。前田さんは2002年より前から集金を受け持っている。束の「丸八酒店」と、今年の控えの「丸八酒店」を並べると、字の大きさも、「酒」のさんずいの払い方もよく似ていた。集金の日も、受領証の番号も、提灯の場所も、丸八酒店のころと同じだった。
提灯を掛ける係は、申し込み名簿で場所を決め、集金が済んだかどうかを控えで確かめていた。名簿の上では7つ目は川端青果の場所で、同じ奉納金の控えには丸八酒店とある。係は古い店名の提灯を見ても、集金係が受け付けた分なら掛けてよいと判断したという。その提灯を誰が蔵から出したのかは確かめていなかった。
委員会は、川端青果の奉納を違う店名で扱ったことを認め、石川さんに3千円を返した。石川さんは、父親の代の付き合いでお金を出したのではないと、もう一度話した。
「店の名前を知ってもらうために出したお金です。名前のないまま掛かっているのでは困るんです」
祭りの翌朝、丸八酒店の提灯は片付けの箱の中になかった。委員会に残った17番の控えでは、「丸八酒店」の横に「川端青果へ返金」と書き足されている。前田さんはその下に、18日にお金を受け取った相手は川端青果だったと書き、自分の名前を添えた。
石川さんは、たたまれたままだった「川端青果」の提灯を社務所から受け取り、店の軒先に吊るした。



