地方のタクシー会社では、乗務員が一晩の営業を終えると、メーターの記録と売上金を突き合わせ、一円の差まで日報にそろえてから帰る。
北都県柳瀬市のタクシー会社で夜の乗務を続ける岡田裕治さん(58歳)は、2021年7月20日の夜、その差を自分の財布で埋めた。客から受け取った金額と、メーターの記録が合わなかったからだ。
その夜の23時40分ごろ、岡田さんは柳瀬中央病院の前で、年配の女性を乗せた。行き先は「浅間沢の局の前まで」だった。浅間沢は隣の深海市の山あいにある集落で、郵便局は2009年に廃止されている。建物は残っているので、岡田さんは旧局舎までの依頼だと受け取った。
岡田さんによれば、山道を40分ほど走り、局舎の前で止めた。メーターの料金は7800円ほど。女性は千円札を8枚出し、おつりはいらないと言った。建物の横へ歩いていったが、暗くて、その先は見えなかったという。
札の古さに気づいたのは、町へ戻ってからだった。1984年に新しい図柄が出る前の千円札で、8枚とも折り目が少ない。今も使える種類だが、まとめて受け取ったことはなかった。岡田さんは自分の財布から8000円を出して、その札と入れ替えた。古い8枚だけは封筒に残した。
私は後日、その封筒を柳瀬市内の銀行の窓口で見てもらった。窓口の担当者によると、古い千円札は今も年に何枚か持ち込まれる。多くは家にしまってあったもので、折り目やしみが付いている。ほとんど使われていない札が8枚まとめて出てくることは、まずないという。
翌日、会社で一晩の営業を確かめると、浅間沢へ送ったはずの営業の運賃は700円になっていた。乗車を示すメーター操作は23時41分、営業を終えた操作は23時43分。走った距離は600メートルだった。
車の位置を保存した記録では、車は病院を出て近くの道路に止まり、翌0時58分までの75分間、動いていない。岡田さんが山道を走ったと覚えている時間は、その停車の時間と重なっていた。
「記録を見せられたとき、自分が寝ていたのかと思いました。でも、寝ていたなら、8000円をどこで受け取ったのか分からない」
私は配車担当者の立ち会いで、車の番号と前後の営業を照らし合わせた。日付や車の取り違えはなかった。1時過ぎに乗せた次の客は、乗った場所も行き先も岡田さんの記憶と合っていた。ただ、営業の記録と位置の記録は、もとになる信号の一部を共有している。二つが合っているだけで、岡田さんの記憶が誤りだとは決められない。
会社が近くで目撃者を探すと、病院の夜間出入口へ戻った職員が、23時50分ごろに道端のタクシーを見たと話した。運転手は後部座席へ振り向いていたという。色と止めた位置は合っていたが、車の番号までは覚えておらず、同じ車かどうかは確定できなかった。
会社は、上書きされる前に車内カメラの録画を保存していた。配車担当者がその夜の録画を開いた。助手席側のフロントガラス上部から、運転席と後部座席を斜めに撮るカメラだ。一つの画面に、運転席横の窓と、そのすぐ後ろの窓が入っている。どちらも車の右側にある。
職員が車を見た時刻の近くで、運転席横の窓には病院近くのフェンスが映っていた。支柱は窓枠の同じ位置にとどまっている。そのすぐ後ろの窓では、白いガードレールと木々が車の後方へ流れていた。後部の窓は少し下げられていて、ガラスのない上の隙間でも、木の幹が次々に通り過ぎた。
岡田さんが後部座席の女性へ振り向く間も、二つの窓は同じ画面に映り続けていた。前の窓のフェンスは止まったままで、後ろの窓だけが、山道を走る車から見た眺めになっていた。後部座席の女性は、画面の中で、窓の方を向いて座っていた。顔は影になって見えない。
会社は録画を残したうえで、車と記録装置を点検に回した。点検した業者によると、メーターにも位置を記録する装置にも、故障は見つからなかった。録画の時刻も、ほかの営業の記録とずれていない。岡田さんには、点検の間、別の車が割り当てられた。
録画の山道には、場所を絞れる標識や建物がなかった。旧局舎が映る場面もなく、浅間沢への到着までは確かめられなかった。岡田さんに覚えている順に道を描いてもらうと、病院を出て、長い坂を上り、旧局舎へ着く。その三か所は迷わず書いたが、途中の曲がり角を加えると、同じ橋を2度渡る道順になった。岡田さんは、橋を渡った記憶はあると答えた。
7月31日、私は浅間沢の旧局舎を訪ねた。正面のシャッターは閉まり、前の丸型ポストの口はテープでふさがれていた。横へ回る細い道は、50メートルほど先で草に覆われていた。岡田さんが覚えている降車場所と、女性が歩いた向きを聞くため、局舎の正面と脇道を写真に収めた。

写真を見せると、岡田さんは正面の道路を指し、ここで降ろしたと答えた。女性は建物の横の道へ向かったという。
脇道の先に何があったのかを、私は浅間沢の区長、佐久間茂さん(74歳)に尋ねた。佐久間さんは、草に覆われたあたりを指して、局長さんの家があったと話した。郵便局の裏に建っていた住まいで、1990年ごろに取り壊されたという。
「局長の奥さんは、病院へよく通っていました。局長が柳瀬の病院に入院していた年で、昭和58年だったと思います。面会の帰りは遅くなるので、病院の前からタクシーで帰ってきていた。局の前で降りて、横の道から家へ入るんです」
佐久間さんは、家の茶だんすから古い写真を1枚出してきた。郵便局の開局記念の集まりで撮ったもので、局舎の右奥に、瓦屋根の住まいが写っている。今は草に覆われている脇道は、その家の玄関へまっすぐ続いていた。局長の妻、中山フミさんは、写真の端で日傘を差して立っていた。
「フミさんは、運転手さんに必ず『局の前まで』と言っていました。家の前までと言うと、狭い道に車を入れさせることになるから、と。局の前で降りれば、あとは自分で歩けますからね」
「払うときは千円札で、おつりは受け取らなかった。夜遅くに山まで来てもらうのだから、と言って」
局長は翌年の1984年に亡くなり、奥さんも町へ移った。千円札の図柄が新しくなったのも、同じ1984年の秋である。
佐久間さんの話は記憶によるもので、局長の入院の年や、奥さんが乗ったタクシーの会社までは確かめられていない。岡田さんの会社に昭和58年ごろの記録は残っておらず、当時の乗務員もいない。
それでも、岡田さんが受け取った8枚の札は、局長の奥さんが病院から帰っていたころ、財布に入っていた種類の札だった。行き先の言い方も、「浅間沢の局の前まで」だった。郵便局が廃止された今なら、旧局舎や公民館の名前で言う人が多い。
岡田さんは、病院から局舎までを私と一緒に車で走ることを断った。
「もう一度走れば、行ったことにできそうなんです」
道を走って今の景色を覚え直すと、あの夜に見た物と、確かめに来て見た物を分けられなくなりそうだという。岡田さんは、描いた道順をそのまま残してほしいと頼んだ。
会社は、記録上の700円と、岡田さんが持ち込んだ8000円を別に控え、差額の扱いをまだ決めていない。古い千円札の8枚は、封筒に入れたまま会社の金庫にある。
会社の配車担当者は、録画を確認した後で、この夜の営業の記録に一行を書き足した。「後部座席の窓の映像、走行中と同じ。原因不明。乗務員の説明と矛盾なし」。会社として、岡田さんが山道を走ったとも、走らなかったとも書いていない。
岡田さんは今も夜の乗務を続けている。病院の前で客を乗せると、出発する前に後部座席を振り返り、行き先をもう一度声に出して確かめるようになった。そして、客が返事をしたかどうかを、日報の余白に小さく書き留めている。



