地方のバス停の時刻表には、印刷された便のほかに、手で書き足された時刻が存在することがある。
北都県柳瀬市沢渡地区の下沢渡バス停では、毎年8月になると、時刻表の下に1行が書き足される。「23:50 鳴沢行」。油性ペンの黒い字で、印刷された時刻の並びに合わせて、きちんとそろえてある。
下沢渡には現在、北都交通の柳瀬駅行きのバスが1日5本停まる。23時50分の便は、定期便にも、営業所がときどき出す臨時便にもない。柳瀬営業所の職員、藤田智文さん(46歳)は、書き込みを見つけると、消す前に必ず写真を撮る。
「きれいに消した後の時刻表だけでは、そこに何が書いてあったのか、後で誰にも説明できなくなるので」
営業所が書き込みを初めて記録したのは2018年で、それから毎年、見つけるたびに消している。2021年は8月2日に見つかった。
鳴沢へ向かう路線は、旧鳴沢村が柳瀬市に合併した2005年に廃止された。藤田さんに廃止前の時刻表を見せてもらったが、最終便は19時10分だった。黒い字の時刻は、昔の最終便とも合わない。
まず、いたずらを考えた。藤田さんは、2018年から4年分の写真を並べてくれた。字の形、線の太さ、数字の間の空け方まで、4枚とも同じだった。停留所にはカメラがなく、書いた人は分からない。向かいの家に住む石川千枝子さん(79歳)は、書いている人を見たことはないと話した。ただ、2019年8月の夜中に、バスを見たことはあるという。
「台所の窓から見えたんです。車の中が明るくて、誰も乗っていなかった。時計を見たら、23時50分を少し過ぎたころでした」
行き先の文字までは読めなかった。ただ石川さんによると、前の窓の上の表示は、布のような幕を巻き取って出す型だった。今の北都交通のバスは、どれも光る文字の表示に替わっている。
バスは鳴沢へ向かう道に曲がった。その道は今、旧集落の手前で行き止まりになっている。藤田さんは、2019年8月の夜の運行記録を調べてくれた。最終便が車庫に戻ったのは20時台で、その後に車庫を出た車はない。どの車にも走った時刻と距離を残す機械が付いているが、夜中の記録はどれも空白だった。
私は8月7日、23時半から翌0時10分まで、停留所の近くで待った。黒い1行はまだ残っていたが、バスは来なかった。ほかの車も通らないまま、40分が過ぎた。
翌日、営業所でそのことを伝えると、藤田さんはバスの姿より先に、誰か待っていた人はいなかったかと尋ねた。今年の8月、実際に23時50分の便を待った人がいたからだ。森本健文さん(71歳)である。森本さんは来ないバスを待ったあと、営業所に問い合わせ、藤田さんが帰りの車を手配した。
森本さんは今、柳瀬市の中心部に住んでいる。その日は昼のバスで沢渡の親戚の墓参りに来て、帰りの便を待つ間に時刻表を見たという。鳴沢行きの便があるなら乗ってみようと思い、夕方の便を見送って、近くの店や公民館で時間をつぶした。
ところが森本さんは、手書きの行を見たとは言わなかった。時刻表を写真に撮ってあるというので、画面を見せてもらった。
写真には、印刷された5本の便だけが写っていた。下の余白に、油性ペンの黒い字はない。どこで23時50分と読んだのかと尋ねると、森本さんは画面のいちばん下を指でなぞり、「23時50分」と答えた。
私に見えるのは、営業所の営業時間を知らせる小さな文字だった。数字が印刷された場所ではない。画面の文字が小さいせいかと思い、私はその写真を紙に印刷して、もう一度同じことを尋ねた。

森本さんは、印刷した紙でも同じ場所を指し、同じ時刻を読んだ。写真の余白に数字が見えるのは森本さんの方で、私には見えない。最初に停留所で時刻表を見たときにも、ここを読んだのかどうかまでは確かめられなかった。
目の具合も考えた。森本さんが普段使っている病院の予約票や、地区の行事の予定表を見せてもらったが、私の前で、ほかの紙の数字を読み違えることはなかった。森本さん自身も、時刻を思い込んでいるだけかもしれないと話した。それでも、どこに書いてあるかと聞くと、迷わず写真の同じ場所を指す。
森本さんは鳴沢の生まれで、中学を出てすぐ町へ働きに出た。鳴沢へ帰るつもりだったのかと聞くと、少し考えてから答えた。
「お盆の踊りの晩だけは、遅いバスがあったんです。それに乗れば帰れると思った。そう思ったのは、時刻表を見る前だったか、後だったか、分からなくなりました」
私は営業所に、昔の臨時便の記録が残っていないかを尋ねた。藤田さんが倉庫から出してきたのは、柳瀬営業所の運行日誌の綴りだった。昭和40年代から60年代までの8月の分に、同じ書き込みが続いていた。「鳴沢盆踊り臨時 柳瀬発23:30 下沢渡23:50 鳴沢行」。最後は1987年8月で、翌年からは書かれていない。
綴りには、当時の下沢渡の時刻表を写した写真も挟まっていた。印刷された便の下の余白に、油性ペンで「23:50 鳴沢行」と書き足してある。臨時便は印刷が間に合わないので、毎年、運転手が時刻表に手で書いていたという。書き足した位置は、今の時刻表で営業時間の案内が印刷されている場所と同じだった。
今、営業所が臨時便を出すときは、会社のホームページに載せ、印刷した貼り紙を停留所に出す。時刻表そのものに手で書き足すことはない。昔は、それが決まった手順だった。
藤田さんの話では、臨時便が止まったのは、鳴沢の盆踊りがなくなった年だという。その翌年から、手で書く人もいなくなった。
「鳴沢の小学校の校庭で踊っていたそうです。子どもが減って、踊りの晩に人が集まらなくなった。臨時便も、最後の年は乗った人が3人だったと日誌にあります」
昔の写真の字と、2018年からの写真の字を並べると、数字の7の書き方がよく似ていた。ただ、似ているというだけで、同じ人の字だとは決められない。書き足した運転手の名前は、日誌のどこにも書かれていなかった。
私は森本さんに、子どものころ、臨時便の時刻を知っていたかを尋ねた。森本さんは、知らなかったと答えた。踊りが終わると、親に手を引かれて停留所へ行き、来たバスに乗っただけだという。鳴沢を出てからの50年あまり、臨時便があったことも、日誌を見せるまで思い出さなかった。それでも森本さんは、写真の余白に、日誌と同じ23時50分を読んでいた。
営業所は、正規の便がないことを大きな字で書いた紙を、時刻表とは別に貼り出した。私はその写真も森本さんに見てもらった。森本さんは、運行しないという文を読めた。そして元の時刻表の方を指して、「この便をやめる、という意味ですね」と言った。
来年の8月も、藤田さんは書き込みを見つけたら写真を撮ってから消すつもりだという。その時には、黒い字を写した写真のほかに、余白の営業時間の案内だけを写した写真も1枚、撮ることにしている。
森本さんは、もう待ちには行かないと話している。藤田さんは、時刻表の書き込みを消した写真に加えて、森本さんに何を説明したかも記録していた。運休を知らせたのではなく、23時50分の鳴沢行きはもともと運行していないと伝えた、と書いてある。
藤田さんは、その記録の下に、1987年までの運行日誌の写しを付け足した。今年の8月2日に撮った書き込みの写真は、昔の時刻表の写真と同じ綴りに、並べて挟んである。消した後の停留所の時刻表には、下の余白に、営業時間の案内が小さく残っている。



