柳瀬市中央通りの歩道橋の猫に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。青空の下の水色の歩道橋を北側から見た写真。中央の黄色い猫の看板には目と口がある。

地方の町の歩道橋や公園の遊具には、塗り替えの色を決めるとき、子どもの絵が参考にされることがある。その絵と出来上がった物とが、色よりも細かいところまで似ていることがある。

北都県柳瀬市の中央通りに架かる歩道橋は、2021年の春に水色へ塗り替えられた。手すりの真ん中には、黄色い猫の形をした看板が付いた。それまでは、さびの浮いた茶色の歩道橋だった。

塗り替えが終わったとき、市内のある家で、2年前の絵が押し入れから出された。森本彩乃さんが2019年の夏休みに描いた歩道橋の絵である。絵の歩道橋は水色で、手すりの真ん中には黄色い猫が付いていた。

彩乃さんは当時小学4年生で、今は6年生になる。絵は「わたしのまち」という学校の課題として描き、2019年9月に学校へ出し、10月には市民ギャラリーに飾られた。母親の森本由里子さん(41歳)は、出来上がった歩道橋を見て、すぐに絵と見比べたという。

「色だけなら、たまたまかもしれないと思いました。でも、猫まで付いていたので」

先に絵が公開され、後で工事が行われている。誰かが絵を参考にしたのなら、出来上がった歩道橋が似ていることにも説明がつく。私は2021年8月20日に現地を撮り、その前後に、学校、市の道路課、猫を考えた専門学校生の石川拓海さん(21歳)、工事を請け負った塗装店の前田浩史さん(52歳)に話を聞いた。

歩道橋の色は、2019年12月の市民投票で決まっていた。水色を候補に入れたのは、その前の11月の会議だという。道路課に会議の資料を確かめてもらうと、市民ギャラリーの展示で撮った写真が使われていた。提案した職員は、子どもの描いた明るい歩道橋を見て、水色を候補に加えたと説明した。

彩乃さんの絵を見た大人が色を提案し、投票で選ばれ、実際の歩道橋が塗り替えられた。色については、その順番を確かめられた。由里子さんは、市の会議で絵が参考にされていたことを知らなかった。職員も、色の参考として写真を持ち帰っただけで、描いた子の名前は控えていなかった。

私は、猫も一緒に写して選んだのではないかと考えた。しかし会議で使った写真では、絵の下の方が展示の名札に隠れ、猫のいる手すりの部分は写っていなかった。猫の看板が提案されたのは、それから1年後の2020年秋である。

由里子さんに原画を見せてもらうと、黄色い猫には顔が描かれていない。目も口もなく、右下に白い細長い部分がある。由里子さんは、絵の具が足りなくなったか、消し残したところだと思っていた。黄色い猫を描いたわけにも、心当たりはないという。近所に黄色い猫の看板はなく、家で飼っていた猫もいない。彩乃さんが好きだったのは、黒い猫のぬいぐるみだった。

霧島秀一が由里子さん保管の原画を撮影した拡大写真。水色の歩道橋の手すりに、顔のない黄色い猫の頭が描かれている。右下に、途中で折れながら下へ細くなる白い形がある。
霧島秀一撮影。由里子さんが保管する2019年の原画から、手すりの猫を拡大した部分。顔は描かれず、黄色い輪郭の右下に白い細長い形がある。撮影は2021年8月。

石川さんは、地域の人が渡りやすい雰囲気にしたくて、黄色い猫を考えたという。初めの図を見せてもらうと、猫は正面を向き、目とひげが描かれていた。

石川さんの案は、2020年秋に道路課が市内の専門学校へ呼びかけた募集で選ばれた。石川さんは2019年まで隣の南條市の高校に通っていて、柳瀬の市民ギャラリーの展示は見ていないという。彩乃さんの絵のことも、私が話すまで知らなかった。

出来上がった看板にも、顔はある。ただし片面だけだ。私が歩道橋を渡って反対側へ回ると、彩乃さんの描いた顔のない猫と同じような、黄色い背中の面が見えた。子どもの絵だから顔を省いたのだと思っていたが、看板を見る向きによっても同じ形になる。

前田さんの説明では、初めは顔のある面を中央通りの南側へ向ける予定だった。ところが取り付けのとき、金具と手すりのつなぎ目が合わず、板の向きを替えた。手すりは1978年に歩道橋ができたときのものを塗り直して使っていたが、金具の図面は新しい手すりに合わせて描かれていた。向きを替える作業で留め具が背中の面をこすり、右下の塗装が斜めに細長くはがれた。長さは約12センチだった。現場には同じ黄色の塗料がなく、背中の面なので後日直すことにして、そのまま工事を終えた。前田さんが見せてくれた工事の日誌と完成時の写真にも、向きを替えたことと白い傷が残っていた。

彩乃さんの絵は、階段の位置と後ろの建物から、南側から歩道橋を見て描いたと分かる。予定どおりに看板を付けていれば、その位置からは猫の顔が見えるはずだった。実際には向きが変わり、顔のない背中が南を向いた。絵の猫は、設計したときの姿ではなく、取り付けを変えた後の姿に似ていた。

白いところも比べた。絵では猫の右下にあり、下へいくほど細くなり、途中で一度折れている。背中のはがれた部分も同じ側にあり、形が似ていた。

後から原画に描き足した可能性も確かめた。原画の裏には「元.10.5」という受付印があり、令和元年、2019年10月5日に市民ギャラリーへ出したことと合う。学校に残っていた展示前の写真にも、顔のない黄色い猫と、途中で折れた白い形が写っていた。

色を提案した職員から前田さんまで聞いても、白い形を参考にしたという人はいなかった。前田さんは、絵に近づけるために看板を傷つけたのではないと話した。顔を省いた絵と、たまたまできた傷が似ただけということもありうる。

ところが、由里子さんがもう一冊、彩乃さんの自由帳を出してきた。夏休みの初めに、本番の絵の下書きをした帳面である。鉛筆の歩道橋の手すりに、丸い頭の猫が描かれていた。その横に、彩乃さんの字で「ねこは うしろをむいている」と書いてある。下書きの日付は2019年8月2日だった。

由里子さんによると、彩乃さんはその日、南側の階段の下に座り、30分ほど歩道橋を見ながら描いていた。由里子さんは隣で待っていたが、手すりには何も付いていなかったという。

彩乃さんは、水色にした理由を「歩道橋がうれしそうだと思った」と話したが、猫をどう描いたかは覚えていなかった。顔を省いたのではなく、後ろを向いた猫を描いたことになる。猫の看板の話が出る、1年以上前のことである。

石川さんは、白いところを黄色く塗り直せば、絵とは違う猫になると言った。前田さんは、予定どおり直せばよいと答えた。補修は8月23日に行うと聞き、私も立ち会うことにした。

その日、私は歩道橋の上で、猫の背中を塗る前田さんの横に立った。前田さんは傷の上の広いところを黄色く塗り、折れた部分にはけを沿わせ、最後に下の細い先を埋めた。白いところが隠れると、はけを板から離した。

まだぬれたはけの跡のうち、最後に塗った先の黄色が、はけを動かした向きとは逆に短くなった。次に、折れたところを塗った跡が消え、最後に上の広いところが白くなった。

前田さんは、はけを持ったまま板を見ていた。塗料が下へ流れた跡も、はがれた膜も見えない。私の前には、途中で折れ、下へ細くなる白い傷があった。

「今、塗りましたよね」

前田さんは私にそう聞き、私はうなずいた。補修はそこで中断した。前田さんは日誌の8月23日の欄に「補修 実施」と書いてから、その横に「傷 残る」と書き足した。

補修の経過を由里子さんへ電話で伝えると、彩乃さんとの会話を教えてくれた。由里子さんは彩乃さんに、歩道橋の色を決めるときに絵が参考にされたことを伝えた。彩乃さんは、絵を持って見に行きたがったという。由里子さんが、絵の白いところも塗り直すかと聞くと、彩乃さんは「どうして直すの」と聞き返した。描いたときから白かったところを、本人は間違いだと思っていなかった。

自由帳は今、原画と一緒に押し入れの箱に戻してある。由里子さんは、歩道橋を通るたびに、猫の背中の側から渡るようになったという。

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