地方の無人販売所では、代金の箱が盗まれても、いくら入っていたのかを誰も正確には言えないことがある。店番がいないので、箱を開けるまで売上は分からない。
北都県柳瀬市沢渡地区で無人販売所を営む岡田正彦さん(仮名、52歳)は、2021年7月に3回、料金箱を盗まれた。8月8日の朝、そのうち最初の箱が販売所へ戻ってきた。中に金はなく、わらで緩く束ねた赤い皮の小さな芋が5本入っていた。名前も手紙も付いていなかった。
芋を見た母親の登美子さん(仮名、81歳)は、「沢渡いもだ」と言った。昔は地区の家々で育てていたが、1970年代からは見かけなくなった芋だという。お盆には蒸して仏壇に供え、残りは子どもたちのおやつになった。登美子さんは、どこに残っていたのだろうと喜んだ。その横で、正彦さん夫婦は箱の底の継ぎ足した跡を確かめていた。7月に盗まれた、自分たちの料金箱だった。
8月30日に私が訪ねると、箱と芋は家の中にしまわれていた。正彦さんの妻の恵美さん(仮名、49歳)が、箱が戻った朝に撮った写真を見せてくれた。底の継ぎ足しも写っている。

販売所では、袋に分けた野菜を棚に並べ、客が代金を端の箱へ入れる。正彦さん夫婦は一日の販売を終えると、売れ残りと箱を確かめ、その日の売上を持ち帰る。
箱がなくなったのは、7月4日、18日、25日の夜だった。どれも日曜日で、売上を回収する前だった。売れた袋の数から、1回につき3000円から5000円ほど入っていたはずだという。
正彦さんは盗まれるたびに別の箱を用意し、棚へ針金で留めた。3回とも、針金は切られずにほどかれていた。正彦さんの留め方は、針金を2回ねじってから端を内側へ折り込むやり方で、知らない人にはほどきにくい。3回目の後で警察へ届け、近くの見回りが増えた。届けの控えには、被害額の欄に「不明(1回3000〜5000円ほど)」と3行並んでいる。販売所を見るカメラも注文したが、取り付けは9月になると言われていた。
恵美さんは初め、夏休みの中学生のいたずらを疑った。だが、針金のほどき方を知っているのは、収穫の手伝いに来る近所の人や、販売所の前でよく立ち話をする人に限られる。正彦さんは、顔見知りの誰かだと思うと、それ以上は人に聞いて回れなかったという。8月8日に戻ったのは、最初の箱だけだった。
沢渡いもについて、私は登美子さんに形を聞いた。細長いものが多く、太っても両端がくびれ、蒸すと崩れやすかったという。色だけで見分けたわけではない。ただ、品種を調べたわけでもない。似た芋かもしれないし、種を残して作り続けた家があるのかもしれない。
8月10日、味を確かめようと、登美子さんは1本を蒸した。恵美さんが皿へ移して箸で割ると、中まで柔らかくなっていた。割れた黄色い面から湯気が上がり、その中に緑の細い先が見えたという。
緑の先は、2人が見ている間にも伸びた。割れた中身を押し分けるように茎が出て、皿の縁へ届くころには、小さな葉が開いていた。恵美さんは箸を置いた。蒸す前には芽も葉もなかった。
その芋は食べず、皿ごと残した。私が訪ねたときには、割れた芋の片方から茎と葉が出ているのを見せてもらった。伸びるところを私が見たわけではない。正彦さん夫婦は残りの4本を料理せずにしまい、箱が戻ったことと、蒸した芋に起きたことを警察へ伝えた。
8月12日、正彦さんの古い知り合いの藤田和成さん(仮名、74歳)が訪ねてきた。藤田さんは沢渡の元の区長で、地区の困りごとを今も持ち込まれる。藤田さんは、沢渡いもを今も作っている家があると教えた。そして、箱も戻ったのだから、警察にはもう一度話しておいた方がよい、と言ったという。
正彦さんは、誰から預かった話なのかを尋ねた。藤田さんは「年寄りの楽しみを騒ぎにしたくない」と答えた。恵美さんは、蒸した芋から葉が出たことを話し、食べ物として持ってきた物なのか、作った人に聞いてほしいと頼んだ。その問いも、芋を育てる人の楽しみの話に戻ってしまった。
正彦さんは会話をメモに残し、藤田さんの了解を得て、私へ連絡をつないだ。私が本人に尋ねると、藤田さんは、箱が戻る前からこの件で相談を受けていたことを認めた。
「返したい、と言ってきた人がいた。それだけで、私は十分だと思ったんです」
相談の中身は、返すなら何を添えれば正彦さん夫婦に受け取ってもらえるか、というものだった。藤田さんは、登美子さんが昔の芋を懐かしがっていたのを知っていた。それなら沢渡いもがよいと思ったという。
盗まれた金を一緒に返す話ではなかったのかと聞くと、藤田さんは、現金だと盗んだと認めるようで話がまとまりにくい、と説明した。贈り物として持っていく形なら、箱も一緒に戻せる。誰がその方法に賛成し、箱を運んだのか。相手の名前は教えてもらえなかった。芋を作った人と、箱を盗んだ人が同じかどうかも、藤田さんは答えなかった。
私は、藤田さんが盗みに加わった証拠を得ていない。相談した人が箱を持っていたのか、別の人を挟んだ話なのかも分からない。
話が変わったのは、登美子さんが古い帳面を出してきたときだった。嫁いできたころから付けている、畑の覚え書きである。昭和47年の春の欄に、「沢渡いも 種いも 分ける」とあり、その下に家の名が3軒並んでいた。その年を最後に、登美子さん自身は沢渡いもを作るのをやめている。
「畑の半分が道になって、置く場所がなくなったんです。うちでやめても、どこかで続けてくれればと思って、欲しいという家に分けました」
3軒のうち1軒は藤田さんの家で、もう1軒は地区を出た。残りの1軒は、今も沢渡に住んでいる。登美子さんは、その家の名を私に指で示しただけで、口には出さなかった。
私は帳面の写しを藤田さんに見せた。藤田さんは、自分の家では1980年ごろに作るのをやめたと話し、残りの1軒については何も言わなかった。
箱に入っていた芋が、どこかに残っていた昔の芋なのか、登美子さんが50年近く前に分けた種の続きなのかは確かめられない。ただ、返し方を考えた人は、登美子さんが何を喜ぶかを知っていた。
登美子さんは、芋を残しておきたいと話した。昔の味をもう一度食べたいと思って蒸したが、あの芋を口へ運ぶことはできなかった。それでも、葉が出た物まで捨てる気にはなれないという。一方、恵美さんは、受け取って家へ入れたことで、被害の話を終わりにされるのを嫌がっていた。
正彦さんは藤田さんへ、芋を大事にすることと、盗まれた代金の弁償を求めることは別だと伝えた。すると、登美子さんは喜んでいたのだから、若い人が後から話を変えたように聞こえる、と言われたという。
8月中、料金箱は盗まれていない。正彦さん夫婦は警察への相談を取り下げておらず、返っていない代金についても話を続けている。
家の中では、木箱と残りの芋が別々にしまわれていた。芋の容器には、正彦さんが「8月8日、料金箱の中」と書いた紙を貼っている。作った人の名を書くことはできなかった。
登美子さんは、葉の出た芋をまだ皿に置いていた。土へ植えるのは待ってほしいと正彦さんに頼まれ、そうしているという。
「苗をもらったのなら、どこで育てたか聞くんですけどね」
登美子さんは皿を台所の窓際へ寄せ、水を足した。帳面は、昭和47年の頁を開いたまま、その皿の隣に置いてあった。


