地方の小学校の運動会では、進行の台本と、保護者に配るプログラムを別々に作る。台本は先生と放送係が使い、プログラムはPTAが刷って配る。二つは同じ順番でなければならない。
北都県柳瀬市の柳瀬東小学校で、2021年9月11日に開かれた運動会のプログラムには、台本にない種目が一つあった。13番の「全学年 とおりゃんせ」である。放送では一度も呼ばれなかった。それでも、その時刻に、昔と同じように腕を上げて門を作った大人たちがいた。門の下に子どもの姿はなく、足元には小さなぬれた靴跡が並んだ。
運動会を担当した教員の岡田智乃さん(38歳)が先に気づいたのは、靴跡より前に、台本とプログラムの違いだった。台本では、12番の「5年生 騎馬戦」の次は「3・4年生 玉入れ」になっている。配った紙では、その間に「とおりゃんせ」が入り、全部で20種目のはずが21種目になっていた。
岡田さんは放送係の6年生に、紙にだけある種目は読まず、台本どおりに進めるよう伝えた。だが、騎馬戦が終わるころ、校庭の端では数人の保護者が2人ずつ向き合い、手をつないでいた。
その1人が、卒業生の森本久子さん(72歳)だった。孫の運動会を見に来ていた森本さんは、紙を見て、昔の種目が戻ったと思った。とおりゃんせは、大人が腕を上げて作った門の下を、子どもが歌に合わせてくぐる遊びである。門を並べるのは、校庭から体育館へ続くコンクリートの通路だったという。
「プログラムに載っているなら、門の係が要ると思ったんです。昔は親がやるものでしたから。周りの人も、私が手を出したら、つないでくれました」
「次は玉入れです」と岡田さんが声をかけたとき、森本さんは下を見ていた。つないだ手の下から体育館の方へ、小さな靴の跡が順に現れていたという。森本さんが相手の手を離すと、それ以上は増えなかった。岡田さんも、誰も通っていない2人の間に、ぬれた跡が6つあるのを見た。その日は朝から晴れていて、通路に水をまいた人もいない。
森本さんの隣で門を作った40代の父親にも話を聞いた。森本さんが手を差し出したので、何の係か分からないまま手をつないだという。父親も、足元のぬれた跡を見ていた。「子どもの足の大きさでした。うちの子は玉入れの列に並んでいたので、違います」
門を作ったのは、森本さんたちを入れて4組、8人だった。靴跡が見つかったのは、森本さんの門の下だけである。
私は9月13日、学校を訪ねた。運動会の代休で、児童はいなかった。PTAで印刷を受け持った藤田真紀さん(44歳)も来ていた。
藤田さんのパソコンに残る原稿には、20種目しかない。印刷の前に岡田さんたちへ確認を頼んだメールの添付ファイルにも、「とおりゃんせ」はなかった。ところが、確認用に取ってあった最初の1枚と、配らずに残った分には、余分な13番があった。
藤田さんは9月8日に職員室の印刷機で400枚を刷り、最初の1枚で字の間違いを確かめた。見たのは学年の名前と時刻で、種目の数は数えなかったという。放送係の6年生も、自分たちの紙には13番があったと話していた。

印刷機は学校の職員室にある古い型で、送ったファイルの記録は残らない。どのファイルが実際に印刷機へ送られたのかは確かめられなかった。古い原稿を使った可能性も残る。岡田さんは、資料室の棚から過去のプログラムを探してきた。1984年のプログラムには、同じ13番に「全学年 とおりゃんせ」が載っていた。12番と14番の種目も、今年と同じだった。
印刷のいきさつだけなら、原稿の取り違えで済むかもしれない。私が確かめたかったのは、その紙を見て門を作った人の足元で、何が起きたのかだった。森本さんにも来てもらい、4人で通路へ出た。
コンクリートは乾いていた。森本さんは当日の位置を示し、岡田さんと向き合った。2人が手をつないで腕を上げると、間の地面に、つま先からかかとまでの濃い跡が浮かんだ。20センチほどの靴底の形だった。その斜め前に、同じ体育館の方を向いたもう片方の跡が現れた。
私は2人の横にしゃがんでいた。腕の下には何も見えない。だが、靴跡は右、左の順で増え、門から離れていった。岡田さんが手を下ろしたところで、新しい跡はできなくなった。
地面に触れると指先がぬれた。藤田さんが持ってきた白い紙を押し当てると、靴底の溝を残して水が染みた。影や、コンクリートの色が変わっただけではなかった。
通路に何か仕掛けがあるのかと思った。そこで、最初の靴跡から離れた乾いた場所に移り、今度は私が岡田さんと手をつないだ。森本さんが横から地面を見て、藤田さんが2人の全身と足元を動画で撮った。
私と岡田さんの靴は乾いていた。腕を上げて待つと、私たちの足の間に小さな跡が現れた。誰かが水を落とす動きは見えない。右足の形ができてから左足の形ができるまで、歩くときほどの間があった。
私は手を離した。次にできかけていた跡は、つま先だけがぬれ、かかとの部分は乾いたまま残った。岡田さんと目を合わせ、もう一度手をつなぐと、途中だった靴跡のかかとまでぬれた。その先に、新しい跡が1つできた。私はすぐに手を離した。
藤田さんの動画には、私たちが腕を上げ下げする間も、足を動かしていないことが写っていた。地面のぬれ方は、目で見たとおりだった。水がどこから来たのかは分からない。ただ、門を作る場所を変えても跡は現れ、手を離している間は先へ進まなかった。
私は通路の端から端まで、水の出る所を探した。雨どいの出口は体育館の反対側にあり、通路の下に水道管は通っていない。コンクリートの割れ目も、ぬれた跡の近くにはなかった。
私は、とおりゃんせがいつ運動会からなくなったのかを尋ねた。岡田さんが資料室から、1984年の学校日誌を出してきた。運動会の日の欄は、当時の教頭の字で書かれていた。
「13番とおりゃんせの途中より雨強まる。通路ぬかるむ。児童はそのまま体育館へ入る。14番以降中止」
日誌の天気の欄には「曇のち雨」とある。今年の9月11日は、朝から晴れていた。
岡田さんは日誌の頁から目を上げずに言った。
「この年は、玉入れも、そのあとの種目も、やっていないんですね」
翌年のプログラムから、とおりゃんせは消えている。日誌には、やめた理由は書かれていない。
森本さんは、その年も門の係をしていた。当時は長男が3年生だったという。
「雨が急に強くなって、子どもたちは門をくぐったまま、走って体育館へ入りました。私たちは腕を上げたままで、先生が、もういいですよ、と言うまで下ろせなかったんです。あのときも、最後の門をくぐった子を見送った覚えがないんです」
森本さんの長男は今、46歳になる。電話で尋ねると、雨の中を体育館へ走ったことは覚えていた。上履きに履き替える間もなく、ぬれた運動靴のまま床に座らされ、先生に叱られたという。
日誌によると、その日に体育館へ入ってから、校庭に戻った種目はない。37年前のとおりゃんせは、門をくぐる途中で終わったことになる。靴跡がどれも体育館の方を向いているのも、その日の子どもたちの向きと合っていた。
森本さんは、今年の運動会の日のことも話し直した。初めは、並んだ大人の向こうから児童が来ているのだと思ったという。自分の門を誰もくぐらないので、岡田さんに呼び止められるまで、腕を下げられなかった。
その日の確かめはそこでやめた。岡田さんは、余分な13番を訂正する文面に、保護者が集まったいきさつも書き加えた。児童がとおりゃんせをした事実はない。
帰る前に、岡田さんは体育館の通路側の扉の鍵を開けた。通路に残った靴跡は、乾き始めても、どれも扉の方を向いていた。岡田さんは扉を開けたまま、しばらく通路を見ていた。



