石田質店の懐中時計に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。古い質屋の木のカウンターに、厚い台帳が開かれ、紙の質札が数枚置かれている。

町の質店には、預かった期限をとうに過ぎても売られず、何十年も同じ箱に入ったままの品物が存在することがある。

北都県柳瀬市本町の石田質店もその一つだ。3代目の店主、小川誠三さん(61歳)は、祖父から「箱の中は勝手に売るな」と言われてきた。帳場の奥の棚に置かれた木箱のふたには、祖父の字で「預リ置ク」と書いてある。

質店の仕組みを短く説明しておく。客が品物を預けると、店はその値打ちに見合う金を貸し、番号の付いた質札を渡す。期限までに借りた額と利息を払えば、品物は客に戻る。払えなければ品物は店のものになり、店はそれを売って貸した金を回収する。この期限は3か月が普通で、石田質店でもそうしてきた。期限を過ぎた品を何十年も置いておく理由は、店の側にはない。棚の整理は代替わりのたびにしてきたが、その木箱だけは手を付けずに残した。

2021年12月27日の月曜日、小野寺さんという若い男性が質札を1枚持って来た。札の日付は1972年12月27日。ちょうど49年前の同じ日である。小川さんは初め、品物はもう残っていないだろうと思ったという。

「質札は、持ってきた人に品物を返すのが決まりです。昔の分なら、台帳に本人が書いた名前と、受け取りの署名を見比べるくらいしか確かめようがありません」

今の石田質店では、品物を預かるときにパソコンで記録を作り、身分証の写しも取っている。しかし1972年の分は、祖父が手で書いた台帳にしか残っていない。小川さんがその年の台帳をめくると、札と同じ番号が見つかった。品物の欄は「懐中時計 1」、貸した額は3,000円。売却したという記入はなく、余白に木箱の置き場所が書いてある。箱を開けると、同じ番号の札を巻いた紙包みが出てきた。

私が店を訪ねたのは翌28日だった。時計はすでに客へ返され、箱には包み1つ分の隙間があった。小川さんは残った品物を動かさず、受け渡しの後の状態を見せてくれた。

霧島秀一撮影。石田質店の木箱の内部。ひもで結んだ古い紙包みが並び、中央の手前寄りに包み1つ分ほどの空きがある。時計そのものは写っていない。
霧島秀一撮影。2021年12月28日、石田質店で見せてもらった預かり箱の内部。小川さんによると、中央の隙間に前日まで懐中時計の包みがあった。

私は1972年12月の台帳も見せてもらった。同じ月に預かった品は19点あり、ほとんどの行には3か月ほど後の日付で「流」の印が押されている。期限が切れて店のものになったという印だ。客が受け出した行には、返した日付が書き込まれている。懐中時計の行だけは、どちらも書かれないまま49年間空いていて、そこに小川さんが27日の日付を書き足していた。

小野寺さんは紺色の古い型のコートを着ており、25歳くらいに見えたという。1972年の台帳にも「25歳 男」とある。普通に考えれば、息子や孫が家に残っていた質札を持って来たのだろう。小川さんも、その場で年齢を問い直しはしなかった。

小川さんは札にある3,000円を受け取り、利息は取らなかった。49年分の利息を今から計算するために、客を待たせる気になれなかったという。店に免除の決まりがあったのではなく、その場で決めた対応だった。

返却時の受け取りには「小野寺」と署名があった。祖父の代には、客の名前だけは本人に書いてもらっていた。台帳の署名と並べると、「寺」の最後の点を右へ長く払う形が似ている。私は2つを見比べたが、同じ人の筆跡かどうかを判定することはできなかった。家族なら字の癖が似ることもある。

それより気になったのは、49年置いていた時計を、包みから出さずに返したことだった。傷んでいないか、動くかどうかを、客と確かめなかったのか。尋ねると、小川さんは時計と一緒に保管してあった細い紙を見せてくれた。

「来店時、本人の前で開かぬこと」

祖父の字でそう書かれ、時計の質札と同じ番号が付いていた。理由は書いていない。小川さんは、客が人に見られたくない刻印か写真が、ふたの内側にあるのだろうと考えていたという。

ただし、小川さんはこの時計を一度も開けていないわけではなかった。2009年、保管品の傷み具合を調べるため、近所の時計店へ持ち込んでいる。そのとき時計店が書いた控えには、同じ札番号に続けて「時計として使用不可」とあり、内部の機械がないケースなので修理は見送る、と書き添えてあった。

小川さんがそのとき裏ぶたを開けて撮った写真も残っていた。文字盤の後ろは空で、歯車がない。針と文字盤は付いているが、時を刻むための機械が入っていない。小川さんは修理を頼まず、紙に包み直して木箱へ戻した。

27日、小川さんが小野寺さんの前に包みを置くと、客は手を伸ばしかけて止めたという。そのとき小川さんには、包みの中から細かく規則的な音が聞こえた。時計が動くときの音に似ていた。カウンターにある別の時計の音かと思い、包みを持ち上げると、音も手元から聞こえた。

帳場の上には2016年に付けた防犯カメラがあり、27日の受け渡しも映っていた。音は録れない機種だが、映像では、小野寺さんが包みへ伸ばした右手を胸の前で止め、しばらく包みを見ているのが分かる。小川さんが包みを持ち上げたのは、その後だった。

小川さんがひもをほどこうとすると、小野寺さんは「ここでは、いいです」と言った。祖父の注意書きは客に見せていない。小川さんはひもから指を離した。小野寺さんは包みを受け取り、そのままコートの内側へしまったという。

機械のない時計から、動く音がするはずはない。2009年の後に誰かが修理した可能性を確かめるため、私は29日、控えを書いた時計店を訪ねた。店主の堀井敏和さん(68歳)は、控えの写しを出して、その時計のことを覚えていると言った。

「ケースだけの懐中時計は珍しくありません。中の機械だけ抜いて売る人がいますから。ただ、質屋さんがケースだけで3,000円も貸したのは不思議に思いました。あのころなら、ケースの値打ちは数百円です。機械が入っていれば、その何倍も貸せたでしょうけれど」

2009年の後に同じ時計の修理を受けた記録はなく、町で懐中時計を直せる店は、もう堀井さんのところしかないという。小川さんも、修理を頼んだことも代金を払ったこともない。ただ、誰かが箱から出して手を加えた可能性までは除けない。

堀井さんの話を伝えると、小川さんは祖父の金銭出納帳を出してきた。台帳とは別に、毎日の金の出入りを書いた帳面である。1972年12月27日の欄に、3,000円の貸し出しが1行あった。その横に、祖父の字で短い書き込みがある。

「小野寺様 側ノミ。機械ハ本人持チ帰ル」

側とは、時計の外側のケースのことだ。祖父は初めから、機械の入っていない時計に3,000円を貸していた。2009年に時計店で分かったことは、保管中に起きた傷みではなかった。49年前の小野寺さんは、時計の中身を手元に残し、外側だけを預けていったことになる。

注意書きの意味も、これで変わって見える。小川さんが考えていたような、中の刻印を守るための言葉ではない。開ければ、空のケースを客の前に出すことになる。祖父が何を避けようとしたのかまでは、出納帳に書かれていない。

古い住所は現在の表記と合わず、小野寺さんには今回の連絡先も書いてもらっていなかった。小川さんはその点を悔やんでいた。もう一度来てほしいかと聞くと、答えなかった。

帰り際、小川さんは木箱の隙間に、小野寺さんが署名した新しい受取書と祖父の注意書きを重ねて入れた。時計店の控えは「時計として使用不可」の行を訂正しないまま、その下に置いた。ふたを閉める前に、小川さんは一度だけ箱に耳を近づけた。

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