地方の商店街の歳末募金では、集まった硬貨を数える人が、珍しい硬貨を見つけることがある。古い年号の物が混じると、自分の財布の硬貨と取り替えて手元に残す人もいる。額は同じなので、募金の合計は変わらない。
北都県の旭町商店街の歳末募金では、会計を受け持つ金物店主の森本征文さん(仮名、69歳)が、毎年50円を出して古い50円玉を1枚もらっていた。穴のない硬貨が募金箱に入っていると、自分の財布から同額を足して取り分ける。年号の違う硬貨が1枚ずつ増えるのを楽しみにしていたという。
旭町商店街は、アーケードの下に40ほどの店が並ぶ。歳末募金は30年以上続く行事で、12月の半ばから2週間、集まった金を市内の福祉施設へ届けている。
2021年12月、その募金箱が盗まれた。2日後に戻った箱には、今年の古い50円玉だけが残されていた。商店会は盗まれた分を補ったが、その金は鍵を閉めた箱の外で見つかった。
募金箱は木製で、アーケードの紅白の布をかけた机に置く。当番が閉店後に中身を数えてノートにつけ、金を入れたまま金物店へ運んでいた。12月15日は、数え終わった箱を運び忘れた。翌朝には机からなくなっており、商店会は警察に届けた。15日のノートには2万50円とある。
17日の朝、箱は元の机へ戻されていた。ふたも南京錠も壊れていなかった。森本さんが店へ運び、鍵を開けて最初に撮った写真が残っている。底に硬貨が1枚ある。

年号は昭和33年だった。前年までの3枚は、2018年に入っていたものが昭和30年、2019年が31年、2020年が32年である。どれも穴がない。森本さんは、誰かが年号を選んで寄付してくれているのだと思っていた。
「今年も来てくれたんだね」
17日もそう思い、昭和33年の硬貨を保存用の小箱へ移した。代わりに、財布から出した穴のある50円玉を募金箱に入れ、鍵を閉めたという。
昼すぎ、森本さんは作業台の下で50円玉を拾った。穴のある、見慣れた硬貨だった。自分が入れ損ねたのだろうと思って、箱の中へ戻した。そのときは、底板が外れていないかを見ただけだった。
盗まれた2万円は、役員が出し合って補うことになった。寄付先へ届ける分を減らしたくないという。17日の夕方には紙幣で2万円が集まり、森本さんはそれを募金箱へ入れて店の作業台に置いた。
翌18日、紙幣は箱の周りに散らばっていた。南京錠は閉じたままで、底に隙間もなかった。中を開けると、前日に拾って戻した50円玉もない。紙幣と一緒に作業台の上にあった。
盗難の話を聞いて私が店を訪ねたのは、その日の午前だった。森本さんは拾い集めた紙幣と50円玉を浅い盆に載せていた。誰かが鍵を使ったのか、それとも自分が箱へ入れずに置いたのか。そう話しながら、当番のノートと金額を確かめた。
私は作業台の手前に立ち、森本さんは右側にいた。森本さんが盆の金を箱に移し、ふたを閉めて南京錠を掛ける。ノートを片付けようとしたところで、箱の手前側の板から千円札の角が出てきた。
ふたの隙間より下、板の中央だった。森本さんも手を止めて見ている。札は少しずつせり出し、半分ほど外へ垂れた。木には切れ目ができず、札の両脇の木目はつながったままだった。
札はそのまま抜けて作業台へ落ちた。続いて、ほかの札も同じ板から次々に出てきた。最後に50円玉の縁が現れ、硬貨の全体が板から離れると、台へ落ちた。森本さんが拾った硬貨には穴があった。
私たちは札と硬貨を盆に集めた。金額は先ほど入れた2万50円だった。森本さんが鍵を開けると、中は空になっていた。私は手前側の板を内側と外側から見た。穴や裂け目はなく、触れたところも硬い木のままだった。森本さんは、それ以上金を戻さなかった。
出てきたのは、役員が補った紙幣と、森本さんが足した硬貨だった。客が募金として入れた金は、そのとき箱の中に1円も入っていなかった。
20日、商店会の行事を手伝う松田征二さん(仮名、54歳)が店を訪れ、箱を持ち出したのは自分だと申し出た。森本さんは警察へ連絡した。翌日、私は森本さんを通じて松田さんに会った。
松田さんは募金の当番をしたことがあり、鍵の保管場所を知っていた。その鍵で箱を開け、金を支払いに使ってから、箱だけを戻したという。古い50円玉を残した理由を尋ねると、店で使えるか分からなかったから、と答えた。
話を聞いた時点で、使った金は手元に残っていなかった。松田さんは同じ額を月に5000円ずつ返すと話したが、最初の返済日は決まっていない。持ち出してから戻すまでの経過は本人の説明で、警察の調べは続いていた。松田さんは父親から継いだ店を2015年に閉め、その後に借金が残っていたという。
帰りがけに、松田さんは私を呼び止めた。森本さんには、まだ話していないことがあるという。
「あの50円玉は、母のです。毎年、私が入れていました」
松田さんの父親は、昭和30年にこの商店街で履物店を開いた。開店の年から、その年に初めて受け取った50円玉を1枚ずつ、店の金庫に取っておいた。穴のない50円玉が作られたのは昭和30年から33年までで、翌年からは穴のある物に替わった。父親の取っておいた硬貨は、4枚で終わっていた。店は松田履物店といい、松田さんが継いで2015年まで続けた。
父親は2017年に亡くなった。母親のキヨさん(86歳)は、店のあった商店街に何か返したいと言い、その4枚を年に1枚ずつ、歳末の募金に入れることにした。足が悪いので、入れに行くのは息子の役目だった。
「今年の分を入れたのも、私です。その2日後に、箱を持ち出しました。中を開けたら、母の1枚が底にあった。それだけは、どうしても使えなかった」
店で使えるか分からなかった、という最初の答えは、本当の理由ではなかった。松田さんは、母親には持ち出したことを話していない。
私はその後、森本さんの保存用の小箱を見せてもらった。昭和30年、31年、32年、33年。4枚とも年号が上になるように並べてある。松田さんが残した1枚も、今はこちらにあった。
「出てきた50円は、私が足した方なんです」
森本さんは今年の硬貨に指を置いた。役員から集めた2万円はすべて紙幣だった。18日に板から出てきた50円玉は、森本さんが昭和33年の硬貨と取り替えたものだった。
私は松田さんから聞いた話を、本人の了解を得て森本さんに伝えた。森本さんは当番のノートを見返した。2018年から4年とも、古い50円玉が見つかった日の前日に、松田さんが当番に入っていた。森本さんはしばらく小箱を見ていた。
「4年間、松田さんのお母さんの寄付を、私が自分の物にしていたことになりますね。足した50円で、同じだと思っていました」
22日、アーケードの机には透明な新しい募金箱が置かれた。役員の補填分は封筒に移し、旧箱を通さず寄付先へ届けることにした。松田さんの返済を待つ間も、募金は続いていた。
森本さんは保存用の小箱を作業台へ出した。まず昭和33年の硬貨を木の募金箱に戻し、それから前年までの3枚も取った。以前に自分が足した150円を返してもらうつもりはないという。
4枚は底で重なった。森本さんは年号を上へそろえず、そのままふたを閉めた。木の箱は、寄付先へ届ける封筒と一緒に、その日のうちに森本さんが福祉施設へ運んだ。


