沢渡地区の新居の軒丸瓦に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。青空の下の新しい瓦屋根の軒先。丸い瓦が一列に並び、どの瓦にも同じ家紋が浮き出ている。

地方の古い集落の土地には、家が何度建て替わっても、昔その土地に住んだ家の家紋が、新しい屋根に現れることがあるという。

北都県柳瀬市の沢渡地区で、2022年の春に1軒の家が建った。施主は川村正彦さん(42歳)と妻の恵津子さん(40歳)。長く畑だった土地を買い、地元の工務店に頼んで建てた瓦屋根の家だ。軒先には、丸い面を正面へ向けた瓦が並んでいる。軒先を飾るこの瓦を「軒丸瓦」と呼び、丸い面に家紋や模様を入れることも多い。

川村さん夫婦は、そこを無地にしてほしいと頼んでいた。ところが、引き渡しの前に屋根を見上げると、軒丸瓦の一つ一つに、円の中へ3枚の葉を組み合わせたような紋が付いていた。正彦さんの家の紋でも、恵津子さんの実家の紋でもなかった。

「最初は、ほかの家の瓦が届いたのだと思いました。困ったというより、申し訳ないような気持ちでした。誰かの家の紋を、勝手に使っているわけですから」と恵津子さんは話した。

夫婦が工務店へ求めたのは、由来の調査ではない。注文どおり、無地の瓦に直してほしいということだった。

5月21日の土曜日、私は前の道から屋根を見た。紋は塗料で描いた線ではなく、瓦の表面から浮き上がっている。横から日が当たると、葉の縁に細い影ができた。工事の汚れなら拭いて取れるだろうが、そのような付き方には見えない。焼く前の粘土に型を押した模様の形をしていた。

昔の瓦は、村の瓦師が粘土を木の型に詰め、家ごとの紋を彫った型を1枚ずつ押して焼いた。今は工場が金属の型で同じ形を大量に作り、紋の有無や種類は品番で注文する。どちらのやり方でも、紋は焼く前に入れるもので、焼き上がった瓦の表面に後から浮き出ることはない。

2021年11月の日付の入った瓦屋の注文書には、「軒丸瓦 紋なし」とある。工務店が施主の希望を書き写したものだ。瓦屋は県外の工場から仕入れており、工場へ問い合わせても、この注文を紋入りで作った記録はなかった。別の家の注文が混ざった可能性を考え、納入した枚数や、現場に余っていた瓦も照合したという。余った瓦はどれも無地だった。

施工した職人の中西隆一さん(58歳)は、並べたときには無地だったと思う、と話した。ただし、全部の瓦を1枚ずつ正面から確かめたわけではない。完成後の模様を見てから、工事中の姿を思い出そうとしている。その記憶だけで、工場から無地で届いたと決めることはできない。

「紋入りなら、並べるときに上下の向きをそろえます。葉が逆さになったら目立ちますから。私は向きを気にした覚えがないんです。だから無地だったと思う。ただ、それは覚えていないという話でもあります」

工務店に残っていた補修写真は、もう少し具体的だった。足場を外す前に、軒先の1枚をいったん地面へ下ろしたときのものである。その瓦は正面が平らで、紋はなかった。

工務店が地面で撮った灰色の瓦。白い布の上に置かれ、手前の丸い面は平らで、葉の紋は見えない。奥に工事用の足場がある。
工務店提供。工事中、補修の相談のため地面へ下ろした瓦。正面は無地だった。裏側の欠けを確かめた写真とは別の、正面を写した1枚。

私は、まだ取り付けていない予備の瓦ではないかと尋ねた。工務店の担当者の片岡雅夫さん(47歳)は、裏側の小さな欠けを写した別の写真も見せた。その欠けが補修の相談をした理由で、瓦を買い直さず使えるか、瓦屋へ写真を送っていた。送信記録は、地面に下ろしたのと同じ日の昼だった。

翌日、取り付けた後の写真には、同じ位置に紋のある丸い面が写っていた。場所が同じでも、瓦が同じとは限らない。施主の了解を得て後日もう一度外すと、裏側には補修写真と同じ形の欠けがあった、と片岡さんは説明した。

工務店は、これだけで模様が現れたと判断せず、取り違えや表面への加工を調べるため、瓦屋へ現物を渡した。屋根に付いた状態を撮った輸送前の写真には、紋がある。箱へ入れるところを見た中西さんも、そのときは紋があったと話した。ところが、瓦屋が店で箱を開けて撮った写真では、正面は無地になっていた。箱も瓦も残されているが、運ぶ途中を写した映像はない。どこで状態が変わったかを、写真の間からたどることはできなかった。

川村さん夫婦が紋の由来を調べ始めたのは、この後だった。柳瀬市郷土資料館に相談すると、江戸時代の沢渡村の記録に、この土地を持っていた鴇田家の名と紋が見つかった。家ごとの紋を書き並べた帳面で、3枚の葉の向きが、屋根の模様によく似ていた。資料館の職員によると、帳面は村の祭りで各家の提灯に入れる紋を確かめるために作られ、代々の世話役が書き足してきたものだという。鴇田家の欄の横には、別の筆で「明治二年 退転」と書き込まれていた。家を畳んで村を出たという意味である。その後の鴇田家の所在は分かっていない。土地は何度か持ち主が替わり、川村さん夫婦が買う前は長く畑だった。

似た紋の記録があっても、昔の家が土地を取り返そうとしているといった事情までは分からない。同じ紋がほかで使われていないかも、確かめきれていなかった。

片岡さんが、もう一つの写真を思い出したのは、資料館の話を聞いた後だった。2021年秋の基礎工事で、地面を掘ると、古い瓦のかけらが30センチほどの深さからまとまって出た。工務店は工事の記録として写真を撮り、かけらは処分していた。

「古い家の跡を掘れば、瓦のかけらが出るのは珍しくありません。昔の家の屋根を下ろしたとき、割れた物をそのまま埋めたんだろうと思って、気にも留めませんでした」と片岡さんは話した。

写真を拡大すると、割れた丸い面の一つに、3枚の葉の紋が残っていた。かけらが出たのは、今の家の軒先の真下に当たる、家の南側の一列だった。写真の背景に写る道路と電柱から位置を割り出すと、今の玄関の脇から東の角までの間になる。

資料館の職員によると、この辺りでは、家を畳んで土地を離れるとき、屋根の紋瓦を下ろして屋敷の地面に埋めることがあったという。紋をよその家に使わせないためとも、家を土地へ返すためとも言われるが、記録に残る決まりではない。鴇田家がそうしたのかは分からない。

川村さん夫婦は、瓦屋で預かっている1枚を戻してほしいと頼んだ。屋根に紋があることは自分たちも見ている。次は、地面に置いた実物が無地になっているところを、自分たちの目で見たかったという。庭先で箱を開けると、正面に紋はなかった。中西さんがその瓦を元の場所へ取り付け、下から見上げると、丸い面にまた3枚の葉が見えた。川村さん夫婦と中西さんは、そう説明した。

私はその取り付けには立ち会っていない。地面と屋根で撮った写真を見せてもらい、3人から別々に経過を聞いた。いずれも、片時も目を離さず、模様ができるところを見たという話ではなかった。

近所の人からは、立派な紋ですねと声を掛けられることがあるという。恵津子さんは、そのたびに、うちの紋ではないんですと答えている。

瓦屋は、無地の別の瓦へ一式取り替えると申し出た。費用は瓦屋が持つという。川村さん夫婦はそれを断った。屋根を触って新しい家を傷めたくない、という理由だけではない。

「下ろせば無地になって、上げれば紋が出る。持っていっても、向こうでは無地でしょう」と恵津子さんは言った。正彦さんも同じ考えだった。基礎の下から出たかけらの写真を見てからは、取り替えても、紋がこの土地の軒先に戻る気がするという。

今も、軒には3枚の葉の紋が並んでいる。川村さん夫婦は取り替えずに使うことにした。玄関の表札には、最初に予定したとおり、自分たちの姓を入れている。朝、郵便受けを見に出た恵津子さんは、南側の軒を一度見上げてから家へ入る。

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