地方の合併した町の道路には、市の名前に変わって十数年たっても、合併前の村の印が足元に残っていることがある。多くは、交換の順番が回ってこない古いマンホールのふただ。
北都県柳瀬市の鳴沢地区は、2005年に柳瀬市と合併するまで鳴沢村だった。旧村役場の建物は、今は市の鳴沢地区出張所として使われ、玄関には古い村章の看板が残っている。道路のマンホールのふたは、傷んだ物から順に交換している。今使う模様は、柳瀬川と山、市の紋章を組み合わせたものだ。
2022年4月、出張所の前の道路で工事があり、ふた12枚を新しくした。施工会社は、取り付け前に1枚ずつ正面を撮影していた。どれも中央は市の紋章である。ところが、工事を終えて確かめると、旧役場の前の1枚だけが、鳴沢村の村章になっていた。市と施工会社は、別のふたを取り付けたのかどうかを調べている。
6月4日の土曜日、私は現地でそのふたを見た。雨上がりで、模様の溝に水が残っていた。中央の模様は、旧役場の玄関に残る看板の村章と同じ形だった。ふたの中央だけでなく、周囲の山や川の模様も、納入写真とは少し違っている。山の稜線が一つ多く、川の線は左から右ではなく、右から左へ流れていた。
市の担当者の宮下裕一さん(49歳)によると、ふたの交換は普通、こう進む。工場で作ったふたを検査し、裏に製造の印と検査の印を付けて納める。施工会社は現場で古いふたを外し、新しいふたを据え、外した物は市の回収場所へ運ぶ。昔は、ふたの番号と位置を紙の台帳に手で書き写していた。今は、取り付け前と後の写真を撮り、位置と一緒に市の管理用の画面へ登録する。
市はまず、撤去した古いふたを戻してしまったのではないかと考えた。回収先を確かめると、旧役場前から外したふたは残っていた。写真で確認した新しい品の代わりに、外した物をもう一度据えたわけではなかった。回収先で見た古いふたは、1987年に村が据えた物で、村章は角がすり減り、縁には細いひびが入っていた。道路にある村章のふたは、表面の凹凸がはっきりしていて、すり減った跡がない。
別の現場へ運ぶ品が混じった可能性もあり、積み込み担当者へ確認している。鋳物の工場は、鳴沢村の型は2005年に処分したと回答した。村のふたを最後に作ったのは2003年だという記録もあった。ただ、型を処分しても、以前作ったふたの在庫までなくなるとは限らない。工場の返答だけで、村章のふたは存在しないはずだとは言えなかった。
そこで施工会社は、旧役場前へ使った1枚について、正面と裏面の写真を調べた。裏面は取り付け前の検査で撮ったもので、製造の印と、縁に付けた確認用の青い塗料が写っている。
宮下さんの立ち会いで、道路のふたを持ち上げてもらった。村章があるふたの裏にも、同じ製造の印があり、縁の同じ位置に青い塗料があった。表の模様は違うのに、今年の工事で確認した跡は合っていた。

印や塗料が合っても、写真を取り違えた可能性や、別の品へ同じ印を付けた可能性は残る。次に見せてもらったのは、工事車両のカメラ映像だった。道路をふさぐ作業を確認するために撮っていたもので、宮下さんと該当箇所を見た。
地面に置いたふたを2人の作業員が持ち上げ、穴に据えるまで、映像は途切れていない。記録の時刻にも、飛んだ所はなかった。ふたの表面は小さく、映像から紋章の細部を読むことはできなかった。それでも、別のふたを持ってくる場面や、車の陰へ運んで見えなくなる場面はなかった。
取り付け前の正面写真は、その持ち上げる直前に撮られていた。写真を撮る担当者が、車両の映像の端にも写っている。ふたを穴に置くと、車を通せるように戻す前に、同じ担当者がもう一度撮影した。その写真には村章があった。
工事後の夜に誰かが交換したのでは、交通を戻す前の写真を説明できない。少なくとも会社の記録では、市の紋章を撮ったふたを持ち上げ、穴へ据え、その場でもう一度撮ると村章になっている。
作業した2人は、その間に模様を見比べていなかったという。重いふたを穴へ安全に収めることを見ており、紋章が変わる瞬間を目撃した人はいない。私が確認したのも、後から見せられた写真と映像である。会社の記録を作り直した可能性まで排除したわけではない。
村章のふたは、道路から外して市の倉庫へ運んでも、そのままだった。一晩置き、翌日に戻している。新しい規格の枠へきちんと収まり、宮下さんによると、据え付けや通行に問題はないという。
いまも道路に付いているのは、その1枚である。納入した12枚のうち11枚は、写真と同じ市の模様として確認できる。残る市の模様の1枚は、現物を示せない。市は村章のふたをその1枚として数えるか、別の品が混じったと扱うかを決めていなかった。
出張所では、村章を珍しがって車道へ出ないよう、来所者に注意している。年配の人から、以前のふたを残してくれたのだと礼を言われることもあるという。80代の男性が、わざわざ出張所の窓口まで来て、頭を下げて帰ったこともあった。だが、以前のふたは回収先にある。古い村章を残すために、新しいふたを注文した人もいない。
私もそう考えていた。考えが変わったのは、週明けの6日に出張所の倉庫を見せてもらってからだ。村役場の時代から出張所に勤める蔵本静江さん(63歳)が、合併前の村議会の綴りを出してきた。2005年3月、最後の定例会の議事録である。
合併の準備として、県から、役場前のふたを市の模様に替える案が届いていた。新しい市の始まりを示すため、まず役場の前から替える、という計画だった。議事録には、その案を受けて村議会が決めた一文が残っていた。
「役場前の下水道マンホールのふたは、村章のものを存置する」
存置とは、そのまま残しておくという意味だ。蔵本さんによると、村の人たちが、せめて役場の前にだけは村の印を残したいと望んだ。決議を受けて、2005年には役場前のふたは替えられなかった。
「村の最後の日に、職員みんなで玄関の前に並んで写真を撮りました。足元に、あのふたが写っています。誰が言い出したわけでもないのに、ふたを真ん中にして並んだんです」
蔵本さんは、その写真も綴りに挟んでいた。並んだ職員の靴の間に、すり減る前の村章がはっきり写っている。
「ただ、その決まりは市の台帳には引き継がれなかったんです。紙の綴りに残っただけでした。今度の工事の担当の方も、ご存じなかったと思います」
市の管理用の画面で旧役場前のふたを確かめると、2005年の登録のまま「交換時期 経過」と表示されていた。添付されていたのは、合併のときに撮った古い写真1枚だけだった。決議の一文は、どこにもない。今年の工事は、普段の手順どおり、傷んだふたとして旧役場前の1枚を替えた。その据えたばかりのふたに、村章が出ている。
「私たちは、決まりどおりに替えたつもりでした。決まりが二つあったことを知らなかっただけです」と宮下さんは言った。
宮下さんは、議事録の写しを管理用の画面に添付し、旧役場前のふたの欄に「旧鳴沢村議会決議あり」と書き加えた。村章のふたを今後どう数えるかは、まだ決まっていない。
6日の夕方、出張所を閉める前に、蔵本さんは玄関を出て、車道との境の白線の手前に立った。ふたの上に落ちた杉の葉を、ほうきで歩道の側へ掃き寄せ、それから看板の村章の下を通って中へ戻った。



