海から遠く離れた内陸の井戸にも、決まった日の朝だけ、水が塩辛くなるという言い伝えが残っていることがある。
北都県柳瀬市の沢渡地区は、海まで約60キロある山あいの農村だ。その一軒、水野正久さん(74歳)の家の台所に、潮の満ち引きを書いた暦が掛けてある。水野さんが、井戸の水を使えない朝に印を付けるため、畑仕事のカレンダーと並べたものだ。
この家では、手押しポンプの水を野菜洗いや庭の水まきに使い、飲み水は水道から取っていた。2022年4月1日の朝、野菜を洗っていた水野さんが井戸水を口に含むと、塩辛かったという。昼過ぎには、その味がなくなっていた。
「海の水みたいな、はっきりした塩の味でした。この井戸を60年以上使っていますが、私が覚えているかぎり初めてです」
この家に水道が引かれたのは1974年で、それまでは井戸の水を飲んでいた。水道が来てからは、井戸は庭の水まきに使う程度になった。野菜を洗う水として毎朝使うようになったのは、今年の春からだという。
以後、水野さんが印を付けた日は、4月1日と16日、5月1日と16日と30日、6月14日だった。半月ほどの間隔になっている。畑の肥料が原因かと思い、井戸の周りに物を置かないようにしても、塩辛い朝は続いた。
6つの日付は、新月や満月の前後に当たる。海では満潮と干潮の差が大きくなる大潮のころだが、大潮は新月や満月の当日だけを指すわけではない。水野さんは海の暦と比べ、次に使わない方がよさそうな朝を予想していた。
話を聞いた私は、口に含んで確かめることはやめてもらった。水野さんは県の窓口にも相談し、水質を確かめるまで野菜洗いに使わないことにした。塩辛くない水なら安全だと分かったわけではない。
5月16日の朝の水と、翌17日の朝の水については、検査結果が残っていた。原本を見せてもらうと、塩分に関わる塩化物の値は16日が高く、17日は低い。水野さんの味の感じ方だけが変わっていた、という話ではなかった。
県の地質担当者は、周辺の地下水で同様の塩分を確認した記録は把握していないと話した。ただ、記録がなければ地下にもない、とは言えない。月や太陽の引力に伴う地下水位の変化もあるので、海から遠いという理由だけで周期的な変化を除外できるわけではないという。海水がそのまま井戸まで来ていると、検査で分かったわけではなかった。
水野さんは、朝に塩辛い部分をくみ出してしまえば、その下から普通の水が来るのかとも考えた。5月30日は朝の試料だけを取り、その後は昼までポンプを使わずにおいた。ところが昼にくんだ水は、すでに塩分の低い方になっていたという。使い切ったために変わる、という説明とは合わなかった。井戸の深さは約8メートルで、水面までは4メートルほどだという。
6月14日の火曜日、7時、私は採水に立ち会った。出てきたのは冷たく、見た目には変わりのない水だった。においも感じなかった。飲まずに容器へ取り、採った時刻を書いた。水野さんは朝から昼まで間隔を決め、繰り返し水を採っていた。
借りた塩分測定器では、朝の水に高い値が出た。この日は何度もポンプを動かしたが、午前中は高いままだった。昼前に続けて採った2回の間で、表示が急に低くなった。容器を洗って採り直した午後の水も、低い値だった。測定器の表示で、水質全体が分かるわけではない。
ここまでは、井戸へ入ってくる水が途中で変わったのだろうと考えていた。朝の水を別に残しておけば、その前後を比べられる。水野さんは、朝にくんだバケツの水を2本の容器に分けていた。
1本は私たちのそばの台に置き、ふたをしてあった。12時に測っても高い値が出た。井戸から新しくくんだ水は低くなったが、朝の水には塩分が残っている。そのときは、予想したとおりの違いに見えた。
14時、台の容器をもう一度測ると、こちらも低い値になっていた。水は足していない。測るためにふたを開けた間以外は閉じ、私と水野さんの近くに置いていた。水野さんは「ここに置いておいただけなのに」と言って、容器を持ち上げ、光に透かした。
測定器がおかしくなったのかもしれない。私がそう言うと、水野さんはもう1本を持って来てもらうことにした。午前中に、近くに住む妹の篠塚フミ子さん(71歳)が自分の家へ持ち帰り、冷暗所へ置いていた分である。そちらを測ると、朝と同じ高い値が出た。器具を洗って台の容器を測り直しても、低いままだった。
2本は別々に検査へ出した。後で水野さんから見せてもらった結果でも、塩分には差があった。容器の取り違えや扱いの違いまで完全に除いた試験ではない。それでも、井戸に入る地下水が変わったという説明では、朝に同じバケツから分けた2本の違いが残る。
私は、フミ子さんがなぜ1本を自分の家へ持ち帰ったのかを聞いていなかった。比べるために水野さんが頼んだのだと思い込んでいた。容器を届けに来たフミ子さんに尋ねると、水野さんの方が驚いた顔をした。
「頼まれたわけじゃないの。母が昔、そうしていたから。潮の朝の水は、昼までに家から出しておけって」
2人の母親は、1990年代の初めに亡くなっている。フミ子さんは、その言いつけを子どものころに聞いただけで、理由は知らなかった。水野さん自身は覚えていなかった。
「兄は外で遊んでばかりで、水くみは私の仕事でした。潮の朝は、母と2人でバケツを提げて、坂の下の分家まで運んだんです。重くて嫌でしたから、それで覚えているのね」
その分家が、今フミ子さんの住む家である。坂を下って5分ほどの所にある。
水野さんは納戸から、父親が付けていた農作業の帳面を出してきた。1958年から1964年までの分を開くと、ところどころに「潮」と書かれた日がある。その横に、母親の字で短い書き込みが続いていた。「朝の水 からし」「昼にはもどる」「くみ置きももどる 分家へ運べばもつ」。
帳面の「潮」の日付を、私は手元の暦と照らした。いずれも新月か満月の前後に当たっていた。1960年前後のこの家では、同じ朝に井戸の水が塩辛くなり、昼には戻り、家に置いた水も戻っていた。運び出した水だけが塩辛さを保ったことも、書き留められている。
6月の帳面には、「梅漬けに使う」という書き込みもあった。塩辛い水は、家の外へ運んでから使われていたらしい。なぜ家にある水だけが戻るのかは、帳面にも書かれていない。帳面の写しを県の担当者へ送ると、昔の記録として預かり、同じ時期に周辺の井戸を測ってみると返事があった。
塩辛かった6日間は、雨の多い日だけを拾った並びでもない。今年の短い記録と古い帳面だけで、月の満ち欠けが原因だと決めるところまでは進んでいない。
水野さんは、長く使ってきた井戸を埋めるつもりはないと言った。庭の暦には次の新月と満月の近くを赤く囲んでいるが、今はその日だけでなく、午後に値が低くなった水も使っていない。家族がうっかり使わないよう、ポンプの取っ手をひもで結んでいた。次の満月の朝には、くんだ水を1本、フミ子さんの家へ運んでもらうつもりだという。
水野さんは初め、使わない朝を暦で避ければよいと考えていた。今は、くんだ後の水をどう扱えばよいのかも分からなくなったという。水野さんは2本のラベルに、同じ「6月14日 朝」とだけ書いておけず、一方に「家にあった方」、もう一方に「持ち出した方」と書き足した。




