地方の山あいのキャンプ場は、閉鎖された後も、市の職員が火の後始末と戸締まりを見回ることがある。勝手に入って火を使う人がいると、山火事になりかねないからだ。
閉鎖して4年たつキャンプ場へ、北都県柳瀬市の鳴沢地区出張所の職員、安藤和彦さん(48歳)は消火用の水を運んでいた。見回りの記録には、かまどの灰が温かいとある。戸締まりを見る前に、まず火の始末をすることがあるという。
柳瀬川の上流にある小さなキャンプ場だ。2018年の大雨で川岸が崩れ、使えなくなった。市の土地を観光協会が管理していたが、今は出張所が月2回見回っている。入口の道には鎖を渡し、南京錠を掛けていた。
温かい灰が見つかったのは、2021年7月と2022年6月だった。鍵は壊れていなかったという。ただし鎖だけでは徒歩での侵入を防げず、川側から来る人もあり得る。安藤さんも、無断で火を使った人がいるのだろうと考えていた。
「花火や、川遊びの若い人かと思っていました。でも、ごみが一つも落ちていないんです」
2022年7月2日6時、私は安藤さんと一緒にかまどまで下りた。石を丸く並べた中に灰と焦げた枝があり、中心から薄い煙が上がっていた。近くへ寄ると熱を感じる。周りの草はぬれ、人が踏んだ筋は分からなかった。
石の横には「丸八酒店」と刷られた紙のマッチ箱があった。三ツ森町で2012年に閉店した店だ。箱には3本残っている。後で元店主の家族に聞くと、昭和の終わりごろまで客に配った物だという。古い箱が今も残っていること自体は、不思議ではなかった。
安藤さんは灰へ水を掛け、枝を分けて熱を確かめた。これまでの見回りでも処置していたという。煙が止まったので周辺を確認し、20分ほどして戻ると、ぬれた灰から再び白い筋が上がっていた。
灰の下に燃えている物があるのかもしれない。安藤さんは出張所へ連絡し、消防にも相談した。私たちだけでは判断せず、その後の処置は現場へ来た消防の人たちに任せた。私は許された位置から、片づけられる様子を撮った。
灰と枝を金属の容器へ移しても、かまどの中央は熱かった。地中に火が広がっていないか、周囲の石もいったん外された。安藤さんが作業後に残した記録では、中央の土は61度、その周りは22度だった。白い筋が煙か湯気かは、そこで判定されていない。
石を外した後、中央の温度は下がった。枝や灰を取り残していないことを確かめ、何度か測り直すと、周りとほぼ同じになった。持ち出した灰も冷えた。少なくとも、その場で燃え続ける物は見つからなかったと説明を受けた。
作業の終わりに、安藤さんは通路をふさいでいた石を、数メートル離れた砂利の上へ並べ直した。後で運び出すまで、元の組み方が分かるようにしておくつもりだったという。石を輪にすると、内側のぬれた砂利から白い筋が出た。
そのとき、元のかまどの跡には、灰も石もなかった。そちらは冷えたままだった。今温かいのは、石を移す前には周りと変わらなかった砂利の方である。
安藤さんは消防の人に見てもらい、並べた石の1つを外した。白い筋はすぐには消えなかったが、内側の温度は下がり始めた。石そのものが熱を出しているようには見えなかった。取り出した石も、離してあったほかの石も、砂利の内側ほど熱くなっていなかった。
その日は、石を輪にせず、間を空けて置いた。火の跡を調べるために外しただけなら、最後に戻して帰るはずだった。安藤さんは片づけた状態も記録し、翌日、出張所へ調査の相談をした。
7月3日、私は出張所で、持ち帰った灰とマッチ箱を見せてもらった。灰は冷え、箱には未使用の3本が残っていた。

4日には、安藤さんたちが石の置き方を確かめた。私も再び現地へ行った。灰や枝を戻さず、石を置く砂利の温度と、石の表面の温度を先に測った。どちらも23度前後だった。測る位置は写真に残した。
石を前と同じ輪に置くと、内側の砂利は10分ほどで58度になった。外側は24度で、石の表面よりも内側の地面の方が熱かった。途中で石を1つ外すと、上昇が止まり、その後は下がった。熱い物を持ち込んだから、その周りが温まったという順序ではない。
別の温度計でも、内側が熱く、輪を開くと下がる点は同じだった。試したのはこの石と、この場所の砂利だけである。どんな石でも輪にすれば起こるのか、地下に何があるのかまでは、分かっていない。
調べる対象は、最初のかまどの跡から、周りに並べてあった石へ移った。元のかまどの跡は冷えたままなのに、運び出すつもりで作った輪の内側が熱くなっていた。誰かが新しく薪を置いて火をつけるのを、待って見張る必要もなかった。
私は、かまどの石がどこから来たのかを尋ねた。出張所に、村役場の時代から勤める蔵本静江さんがいる。蔵本さんは倉庫から、旧鳴沢村の広報の綴りを出してきた。キャンプ場が開いた1984年7月の号に、短い記事があった。
「キャンプ場のかまどの石は、上ノ平の高村さん宅の炉の石を譲り受けました。高村さん宅では、明治のころから炉の火を絶やしたことがないそうです」
記事の横の写真では、開いたばかりのキャンプ場で、子どもたちがかまどを囲んでいる。数えると石は14個で、輪になっていた。
上ノ平は、林道の奥にあった集落である。高村さんの家は、その年に台所を直し、炉を使うのをやめた。外した炉の石を、村が新しいキャンプ場のかまどに使ったという。
蔵本さんは、高村さんの家にいたハツさんを覚えていた。ハツさんは2005年まで上ノ平に一人で住み、2009年に亡くなっている。村役場へ来ると、キャンプ場の話をよくしていたという。
「あの石には、ときどき火を入れてやってくれ、と言っていました。冷やしておくと、石が寂しがるからって。冗談だと思って、笑って聞いていたんですけど」
キャンプ場が開いていたころは、夏ごとに誰かがかまどで火をたいていた。閉鎖した2018年からは、火をたく人はいなくなった。灰が温かいと記録されたのは、その3年後の2021年7月からである。
マッチ箱については、分からないことが残った。丸八酒店は三ツ森町の店で、上ノ平とも、キャンプ場とも、つながりは見つからない。灰と焦げた枝がある以上、誰かがあのかまどで火をたいたことは確かである。それが誰なのかは分かっていない。ハツさんが丸八酒店で買い物をしていたかどうかも、蔵本さんは知らなかった。
安藤さんは、見回りの記録を読み返した。灰が温かかった2回とも、その前の見回りで、自分がかまどの石を輪に組み直して帰っていた。崩れた石を元に戻すのは、片づけのつもりだった。
「私が輪にしていたんですね。毎回、きれいに整えて」
石は1つずつ離して保管し、触れないよう囲いを設けた。出張所は当面、週1回、2人で温度と石の置き方を確かめることにした。安藤さんは、引き継ぎの写真に、石の間の隙間が写るよう撮り直していた。
「散らかっていると思って、戻す人がいるかもしれないから」
以前の見回りなら、火を消した後にかまどを整えて帰っていた。今度の引き継ぎには、片づけを終えた形として、輪になっていない石の写真が添えられた。広報の記事の写しも、同じ綴りに挟んである。
帰りがけ、安藤さんは囲いの外から、離して置いた石を一つずつ数えた。全部で14個あった。数え終えると、記録の用紙に「14 輪にせず」と書き、鎖を渡して南京錠を掛けた。



