桜台商店街の福引の金の玉に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。木製の抽選器のそばに、白い玉5個と赤い玉2個が置かれている。金色の玉は写っていない。

商店街の福引には、賞品表に載っている特等の玉が、抽選器の中に入っていない時間が存在することがある。

南條市の桜台商店街では、毎年7月の第1土曜と日曜に福引を行う。加盟店で1,000円買うごとに補助券を1枚もらい、5枚集めると、八角形の抽選器を1回回せる。取っ手を回すと、中の玉が一つだけ受け皿に落ちる。

受付の机では、係が補助券の枚数を数えて箱に入れ、客に抽選器を回してもらう。当たりの色が出れば係が手持ちの鐘を鳴らし、賞品表を見て品物を渡す。今年の玉は白が外れ、赤が当たりだった。金の玉の特等は2019年にやめ、そのとき抽選器も新しいプラスチック製に買い替えた。古い木製の玉は処分している。賞品表の一番上にあった金色の欄も、その年からない。

2022年7月3日の日曜日、その抽選器から出た白い外れ玉が、受け皿の上で金色の木の玉に変わった。私は7月9日、当日の福引係を務めた商店会役員の川村信彦さん(仮名、58歳)に話を聞いた。

抽選器を回したのは年配の女性だった。70代くらいに見え、畳んだ紺色の日傘を腕に掛けていたが、買い物袋は持っていなかったという。川村さんは、出口から落ちた玉が、ほかの外れ玉と同じ白いプラスチックだったのを見ている。

「転がって止まるまで見ていました。拾おうと手を伸ばしたら、白いのが薄くなっていったんです。つるっとした表面がなくなって、茶色っぽい木の地と、まだらに残った金の塗りが出てきた。私は手を止めました。お客さんも玉には触っていません」

受け皿に残ったのは、塗りのはげた古い木の玉だった。今年の福引に金の特等がないことは、川村さんも知っていた。それでも金色を見て、反射的に鐘を取って鳴らした。並んでいた客から拍手が起きた。女性は「やっぱり出た」と言い、賞品を求めずに帰った。川村さんが呼び止めようとしたときには、次の客が抽選器の前に立っていた。女性がどちらへ歩いていったのか、川村さんは見ていない。

女性が出した補助券は5枚で、枚数は合っていた。川村さんはその場で年号まで見なかった。片付けの際に箱から探し出すと、5枚とも今年の水色ではなく黄色で、「昭和六十年」と印刷されていた。裏に押された店の判のうち3つは、もう商店街にない店のものだった。

翌日の月曜日、川村さんは加盟店を回り、日傘の女性を見かけなかったか尋ねた。福引の日に女性が買い物をしたと覚えている店はなかった。今年の補助券は買い物をした店でしか渡さないので、女性はこの日、今年の券を持っていなかったのかもしれない。

まず、すり替えを考えた。古い玉を手に隠して持ち込み、白い玉と取り替える方法である。しかし受け皿は係の側にあり、女性の手は回す間ずっと取っ手にあった、と川村さんは言う。そばにいた役員2人にも聞いたが、女性が受け皿に手を入れたのを見た人はいなかった。

次に、古い木の玉が処分を免れ、新しい抽選器に紛れていた可能性を考えた。2019年に古い抽選器と玉をまとめて捨てたのは川村さん自身で、金の玉も袋に入れたと記憶している。ただ、袋の中身を一つずつ確かめたわけではない。今年の開始前には、役員2人で白300個と赤20個を数えてから抽選器に入れていた。そのとき金色の玉に気づいた人はいない。

7月9日、私は商店会の事務所で、保管されていた玉と補助券を見せてもらった。金色の玉は今年の白い玉より一回り小さく、塗りのはげた所に木目が見えた。指でなぞると、塗りの縁が引っ掛かる。今年の赤白の玉と並べると、材質も傷み方も違っていた。事務所の棚には、2018年までの賞品表が丸めて置いてあった。広げると、どの年も一番上に金色の欄があり、特等の品名が手書きで入っていた。写真は、そのとき玉と券を並べて撮ったもので、受け皿の上で玉が変わる場面を撮ったものではない。

霧島秀一撮影。塗装がはげて木肌が見える小さな金色の玉と、重ねた黄色い券の接写。一番上の券に「昭和六十年」と印刷されている。
霧島秀一撮影。2022年7月9日、商店会で保管されていた金色の木製玉と黄色い補助券。券には「昭和六十年」と刷られている。

黄色い券の色と印刷は、商店会に残る1985年の資料と合っていた。当時の券が残っていたのか、昔の券をまねて作ったのかは分かっていない。商店会は、使えない券で抽選した疑いがあるとして警察に相談し、女性から話を聞きたいと考えている。女性を詐欺の犯人と決めたわけではない。女性は賞品を受け取っておらず、商店会に損害が出たとも言いにくい。

7月5日に相談を受けた近くの交番の警察官は、玉と券の写真を撮り、女性がまた来たら知らせるよう商店会に伝えた。それ以上の手続きは、今のところ進んでいない。

昭和60年、つまり1985年の福引について、商店会は昔の役員に問い合わせた。担当だったのは中西昭一さん(仮名、81歳)で、私は7月11日に自宅を訪ねた。

中西さんによれば、2019年に捨てた古い抽選器と木の玉は、1970年代から使い続けた同じ一式だった。玉は役員が手で塗ったもので、金の玉は1個だけ、金物店で買った金色の塗料を重ね塗りしていた。毎年、福引が終わると玉を数え直し、金の玉が抽選器の中にあることを確かめてから布袋にしまったという。

その年の福引は7月6日の土曜日に始まった。特等はカラーテレビで、賞品表の一番上に写真を貼っていた。ところがテレビの入荷が遅れ、中西さんは最初の半日、金の玉を抽選器に入れずに福引を始めた。

「品物がないのに当たりが出たら、渡すときにもめるでしょう。届いてから入れれば済むと思ったんです。写真は貼ったままにして、お客さんには何も言いませんでした。ほかの役員にも、細かいことは話していません」

中西さんが見せてくれた当時の会計帳には、余白に鉛筆で「13時10分 特等品受取」「13時25分 金玉入れる」とあった。品物が届いてから金を入れたという説明と、書かれた順序は合う。10時の開始からその時刻まで、特等の写真を見て抽選器を回した客には、金が出る見込みが初めからなかったことになる。

商店会の年次報告には、この会計帳から合計の金額だけが写されていた。余白の時刻は載っておらず、商店会の誰も、37年間この半日のことを知らなかった。金の玉は翌日の午後に出て、テレビは子ども連れの夫婦が持ち帰ったという。

「午後からは普通に回りましたし、苦情も来なかった。だから、わざわざ話すことでもないと思っていたんです。抜いていたのは半日だけですから」と中西さんは言った。

中西さんは、その半日に一人の客から「本当に金は入っているのか」と聞かれたことを覚えていた。

「入っていますよ、と答えました。そうしたら、その人は私の顔をしばらく見て、また来ますと言ったんです。券を財布にしまって、回さずに帰りました。午後にまた来たかどうかは覚えていません」

その客の顔や名前は、もう思い出せないという。今年の女性と37年前に質問した客が同じ人かどうかは分からない。ただ、1985年には、使われた補助券はその場で係が回収して箱に入れていた。女性の5枚が当時の本物なら、その年に一度も抽選に使われなかった券ということになる。

私は川村さんに、女性が「当たった」ではなく「やっぱり出た」と言ったのかを確かめた。川村さんは、その言葉で間違いないと答えた。中西さんの話を伝えると、川村さんはしばらく黙ってから、「先に本当のことを言わなかったのは、うちのほうだったんですね」と言った。

商店会は警察への相談を続ける一方で、1985年の会計帳の余白を写し、今回の記録と一緒に綴じることにした。

帰り際、中西さんは、私が印刷して持参した玉と券の写真をしばらく見ていた。それから「あのとき入っていると言ったのは、私です」と言い、老眼鏡を外して、写真を裏返しに机へ置いた。

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