柳瀬市民マラソンに関する奇妙な記録

大会事務局撮影。紅葉した並木の道路に空気で膨らませたアーチが立ち、その下に計測用の黒いマットが敷かれている。両側に赤いコーンが並ぶ。

地方の市民マラソン大会には、長年にわたって誰にも破られていない不可解な大会記録が存在することがある。

北都県柳瀬市の柳瀬川河川敷で開催されている「柳瀬市民マラソン」。その男子10キロの部には、1988年10月の第1回大会で樹立されて以来、34年間にわたり一度も更新されていない「31分12秒」という大会記録が掲載されている。実業団選手が参加する規模ではない地方の市民大会において、この数字は突出して速い。

しかし、当時の公式結果で優勝者として名前が記載されている南條市の川村隆志さんを訪ねると、川村さんが保管していたのは「優勝」ではなく、毛筆で「男子総合第2位」と書かれた賞状だった。

この賞状を見せてもらうきっかけになったのは、2022年10月2日に行われた第34回大会での出来事である。

現在の柳瀬市民マラソンでは、走者のゴール時刻を正確に判定するため、ゼッケンの裏に貼られた計測用RFIDタグ(ICチップ)と、ゴールラインに敷かれた受信マットによる自動計測システムを採用している。走者がマットの上を踏み越えると、埋め込まれたアンテナがタグの個体番号を読み取り、順位とタイムを即座に集計端末へと送信する。

大会当日の午前10時過ぎ、まだ先頭集団がゴール手前400メートルの直線に姿を見せる前のことだった。コース脇の集計テントに設置されたノートパソコンから、通過を知らせる短い電子音が鳴った。

画面に表示されたのは、通過順位「1」、ゼッケン番号「0000」、タイム「31分12秒」という1行だった。

しかし、この日の大会に「0」というゼッケンを付けた出走者はいなかった。また、予備として用意されていた未登録タグの番号とも一致しなかった。集計を担当していた委託会社の係員は、電波のノイズによる誤検知を疑い、大会事務局が設置していたゴール定点記録カメラの映像を巻き戻して確認した。

大会事務局の定点映像から切り出した画像。黒い計測用マットの上と前後に走者は見えず、コース脇で係員が待っている。
大会事務局提供。2022年10月2日、優勝者が到着する前のゴール。保存された映像から、装置が反応した時刻の画面を切り出した。マットの上と前後に走者は見えない。

映像のタイムコードが31分12秒を示した瞬間、幅4メートルの黒いマットの上にも、その前後のコース上にも、走者の姿は一切映っていなかった。マット脇でゴールテープを持って待機していた係員2名も前方を注視したままで、何かが通り抜けたような素振りは見せていない。

それから2分以上が経過した33分28秒、本来の先頭走者がマットを駆け抜けてゴールした。その走者のタイムとゼッケン番号は、装置に正確に記録されていた。

不可解だったのは、姿なき走者として記録された「31分12秒」という数字である。事務局が過去の資料を照合したところ、この数字は1988年の第1回大会で記録された、男子10キロの大会記録と分・秒まで完全に一致していた。

私は1988年大会の公式記録に優勝者として名前が残る、南條市在住の川村さん(74歳)を訪ねた。

川村さんは、当時の柳瀬市体育協会から授与された賞状のほかに、大会当日に配布された手書きの「着順速報一覧表」の青焼きコピーを大切に保管していた。

「当日の閉会式では、私は確かに2位として表彰台に呼ばれたんです」と川村さんは話した。

「ところが、1か月ほどして届いた市の広報紙を見たら、私の名前が優勝者になっていて、タイムが31分12秒と載っていました。私の当時の自己ベストは33分台半ばでしたから、31分台など出せるはずがありません。事務局に『間違いではないか』と連絡したのですが、公式集計で確定した記録だから賞状はそのままで構わないと言われました」

川村さんが見せてくれた青焼きの速報一覧表には、ゴール順にゼッケン番号と氏名が手書きで並んでいた。その1行目には、氏名欄が空白のまま、鉛筆で「0」と書かれ、タイム欄に「31分12秒」、備考欄に「呼出応答なし」と書き添えられていた。そして2行目に、川村さんの氏名と、手動計測によるタイム「34分18秒」が記載されていた。

川村さんは、当時のレース展開を鮮明に覚えていた。

「柳瀬橋を渡り、最後の土手の直線に入ったところで、50メートルほど前に白いランニングシャツの男の背中が見えていました。必死に追ったのですが、どうしても追いつけず、その背中が先にゴールゲートへ入っていくのを見ました。でも、私がゴールしたとき、係員から手渡されたプラスチックの着順札は『2』だったのです。ゲートの向こうの給水所にも、更衣テントにも、あの人の姿はありませんでした」

1988年当時にフィニッシュ審判を務めていた元体育協会職員の中西正彦さん(81歳)にも当時の状況を聞いた。

当時は自動計測機がなく、ゴールライン上に張られたテープを走者が切ると同時に審判長が真鍮の鐘を鳴らし、その音を合図に複数の計時員がストップウォッチを止める手作業だった。

「先頭が来たときに審判長が鐘をカンと鳴らしました。計時係が時計を止めて『31分12秒』と読み上げ、記録用紙に書き込みました。ところが、テープのすぐ後ろで順位札を配る係が立ち尽くしていたのです。誰もテープを切っていない、風が抜けただけだと言うのです」

審判長は「確かに胸でテープが押されたのを見たから鐘を鳴らした」と主張し、順位札の係員は「誰も目の前を通っていないのに1番の札を渡せるわけがない」と反論した。押し問答が続く中、3分6秒遅れて川村さんがゴールしたため、係員は川村さんに「2」の札を手渡した。

その後、本部テントから「ゼッケン番号の確認できない先頭走者」への呼び出しアナウンスが何度も放送されたが、名乗り出る者はいなかった。その日の表彰式は2位以下の選手だけで行われ、後日の集計会議で「1位走者は未登録の飛び入り参加、またはコース途中からの不正侵入者」として記録から除外された。

その結果、2位の川村さんが繰り上げ優勝となったが、公式記録用紙に転記する際、なぜか鐘が鳴った瞬間の「31分12秒」がそのまま採用されてしまったのだという。

「手書きの集計表に鉛筆で『0』と書いたのは、未登録者を仮に処理するための事務処理上の番号でした。あの記録がその後30年以上も残ることになるとは、誰も思っていなかったのです」

2022年の第34回大会事務局は、計測端末に残された「ゼッケン0・31分12秒」のデータを、機器の通信エラーとして公式集計から除外した。この年の優勝者は、33分28秒でゴールした選手として確定している。

取材の終わりに、2022年の定点カメラに走者の姿が映っていなかったこと、そして計測マットがなぜか1988年と同じタイムにだけ反応したことを、川村さんに伝えた。

川村さんは、丸めた賞状をゆっくりと紙筒へと戻しながら、こう呟いた。

「私は34年間、自分が優勝したと思ったことは一度もありません。あの日の大会記録が今も残っているのなら、あの人は今も、誰も追いつけない速さで走り続けているのかもしれませんね」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です