古い家の台所の引き出しには、どの扉のものか分からなくなった合鍵が、何本も眠っていることがある。
北都県柳瀬市に住む野々垣和子さん(78歳)の家にも、鍵をまとめた菓子の缶があった。使わなくなった物置の鍵や、娘の野々垣裕子さん(50歳)から預かった予備の鍵が入っている。合鍵は元の鍵の形を写して削ったものだから、普通は誰が持っても、同じ錠を同じように開けられる。
その缶にあった1本だけが、そうならなかった。和子さんが使えば、和子さんの家を開けられる。裕子さんが使うと、同じ玄関では回らない。ところが、その1本を裕子さんの家へ持っていくと、今度は裕子さんだけが回せる。
始まりは2022年9月25日の片付けだった。裕子さんは以前から、和子さんが留守のときにも母の家へ入れる鍵を1本持っておきたいと話していた。和子さんは缶から札のない鍵を取り出して玄関で試し、回った1本を裕子さんへ渡したという。
裕子さんがその場で確かめると、回らなかった。和子さんへ返すと回る。裕子さんは、母が別の鍵と取り違えたのだと思った。持ち帰って自分の玄関で試すと、すんなり開いた。「うちの合鍵だったよ」と和子さんへ電話した。
翌日、裕子さんの家を訪ねた和子さんが使うと、回らなかった。和子さんはそれを持って帰り、自宅の玄関を開けた。裕子さんはもう一度和子さんの家へ行き、同じ鍵を借りたが、やはり開けられなかったという。
私が相談を受けたのは10月初めだった。和子さんは「回し方に癖があるのかもしれない」と言い、裕子さんは、母の留守に入れる鍵を早く1本決めたいと話していた。
見せてもらったのは、持ち手に赤い糸を結んだ銀色の鍵だった。和子さんは、どこで作ったものか覚えていなかった。2人はすでにほかの鍵を缶から取り出し、それぞれの使い道を確かめていた。この1本には、どちらの家の札も付けられずにいた。
10月8日、まず和子さんの家で確かめた。和子さんの許可を得て玄関を開けたままにし、和子さんが赤い糸の鍵を回した。扉の側面から、戸を固定する金具が出た。和子さんが鍵を戻して金具を引っ込めてから、鍵を抜かずに裕子さんへ場所を譲った。裕子さんがつまむと、鍵は途中で引っ掛かるように止まった。
和子さんがもう一度つまむと回った。私はその間、鍵穴の前から離れていない。糸も同じ位置にあった。私が試しても回らなかった。
次に、和子さんが普段持ち歩いている鍵を借りた。こちらは、和子さんでも裕子さんでも私でも回せた。裕子さんが和子さんの玄関を開けられないわけではない。赤い糸の鍵を使ったときだけ、結果が違っていた。
裕子さんの家でも、玄関を開けたまま同じ順で確かめた。赤い糸の鍵は裕子さんの手では回り、和子さんと私の手では回らなかった。裕子さんが普段使う鍵なら、3人とも回せた。移動の間、赤い糸の鍵は私が預かり、ほかの鍵と混ざらないようにした。
どちらも、金属の鍵を差し込んで回す錠だった。和子さんは、2軒を1本で開ける鍵なのかと尋ねた。複数の錠を1本で開けられるように作るマスターキーはある。しかし、それなら同じ錠の前で持つ人を替えたとき、開けられなくなる理由が別に要る。
私が立ち会った範囲では、人を替えると結果が替わった。ただ、指の力や動かし方まで同じにした試験ではない。2人とも左右の手で試したが、結果は変わらなかった。
和子さんが「こう持つのよ」と裕子さんの指を直そうとすると、裕子さんは手を引いた。2人で同時につかめば、どちらの手で回ったのかは確かめられない。2人は私が来るまでにも、同じやり取りをしていたという。
和子さんは鍵の業者へ相談した。裕子さんの家の錠も同じ業者に見てもらうことになり、私は点検に立ち会った。担当者は、市内で長く錠前店を営む保土原敏夫さん(63歳)である。保土原さんは扉の建て付けや、合鍵の削り方による不具合を疑った。だが、扉を開けた状態でも、私が見た持ち替えの差は残った。
保土原さんは、赤い糸の鍵と2軒の正規の鍵を並べ、刻みの形を見比べた。合鍵なら、元の鍵と同じ形の山が並ぶ。赤い糸の鍵の山は、どちらの正規の鍵とも違っていた。
「住宅の玄関で、別々の家を1本で開ける組み合わせを作るなら、最初からそう注文して錠を作らせます。この2軒の錠は、取り付けた年もメーカーも違う。たまたまそうなることは、まずありません」
裕子さんは、和子さんの普段の鍵を預かる案も出した。和子さんは、それで自分が不便になることより、同じ1本で裕子さんの家まで開いたことを気にしていた。2人は話し合い、10月12日に、それぞれの玄関の鍵穴の部分を交換した。新しい錠の合鍵を互いに預け、和子さんも裕子さんも相手の家を開けられることを確かめた。赤い糸の鍵は、2人が試しても新しい錠では使えなかった。
外した錠は、2人の了承を得て業者が預かった。保土原さんが1人で赤い糸の鍵を使うと、どちらも回らなかったという。私は10月15日、和子さんと裕子さんと一緒に作業場へ行った。
机には、和子さんの玄関から外した部品と、裕子さんの玄関から外した部品が並んでいた。一緒に預けてあったそれぞれの正規の鍵では、保土原さんも両方の部品で鍵を回せた。次に赤い糸の鍵を使うと、和子さんは和子さんの部品に差したときだけ、裕子さんは裕子さんの部品に差したときだけ、鍵を回せた。部品を机の左右で入れ替えても同じだった。

私は和子さんの横から、その手元を撮っていた。和子さんが回した位置から鍵を戻し、手だけを離す。保土原さんがつまむと動かず、和子さんがつまむと回る。現場で見た動きと、帰宅後に見直した映像に違いはなかった。これで、和子さんが立ち慣れた玄関だから扱えた、という説明は難しくなった。少なくとも、家から外して机に置いた錠でも差は残った。
確認の後、保土原さんは赤い糸の鍵を手に取り、持ち手の付け根を拡大鏡で見た。小さく「54-117」と打ってある。保土原さんの店では、父親の代から、作った合鍵に店の控え番号を打ってきたという。奥の棚から出してきた手書きの台帳の、昭和54年の欄に同じ番号があった。
1979年4月2日、野々垣様、元鍵持参、合鍵1本。住所の欄には、和子さんが当時借りていた家の番地が書かれていた。備考には、先代の字で「お子さん用」とある。
その家は、和子さんと裕子さんが1984年まで住んでいた借家で、1991年に取り壊されている。今の2軒の錠のどちらとも、何の関係もないはずの鍵だった。
台帳を見ていた裕子さんが、小さく声を上げた。
「小学校に上がった年です。鍵を首から下げて学校へ行っていました。なくさないようにって、母が赤い糸を結んでくれたんです」
和子さんは、そうだったかしら、と言って糸に触れた。9月25日に缶から鍵を出し、回ったから裕子さんへ渡した。和子さんはあの日、43年前に娘へ持たせた家の鍵を、もう一度渡していたことになる。
保土原さんは、状態を変える前にもう一度確認したいとして、部品を分解せずに預かった。赤い糸の鍵も一緒に残した。裕子さんは次の連絡を自分にするよう頼み、和子さんには来なくてよいと言いかけた。
保土原さんは、和子さんの玄関から外した部品を示した。「こちらの錠で赤い糸の鍵を回してもらうなら、お母さんにもお願いします」
和子さんは手帳を開いた。玄関ではもう使っていない錠の鍵を回すために、裕子さんと来られる日を探していた。



