湯坂台所の配食の弁当箱に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。湯坂台所の作業場にある棚。濃いあずき色の角型弁当箱が並んでいる。

地方の町の配食店では、一人で暮らす高齢の利用者に、毎日決まった時刻に弁当を届ける。届けるついでに顔を見ることが、見守りの代わりになっている家も多い。ただ、顔を見ずに済ませる取り決めをしている家もある。

「空の箱が出ていれば、食事は済んでいると思っていました」

そう振り返るのは、北都県南條市の配食店「湯坂台所」の店主、久保さん(仮名、61歳)だ。一人暮らしの利用者、京子さん(仮名、84歳)の家からは、毎日空の弁当箱が返ってきていた。ところが、京子さんが自宅で亡くなっているのを娘の理恵さん(仮名、55歳)が見つけた後、最後の数日分の返却が説明できなくなった。

京子さんの家へ夕食を届けていたのは、主に久保さん自身である。いつも17時過ぎに訪ね、前日の箱を受け取って、その日の弁当を渡していた。京子さんは膝が悪く、玄関まで出るのをつらがる日もあった。そのため、食べ終えた箱を玄関の外に出しておけば、呼び出しに応じなくてもよいという取り決めだった。

久保さんは、空箱があれば食事ができていると考え、配達表に丸を付けていた。箱が出ていない日には連絡すると、理恵さんに伝えていた。理恵さんにとっても、空箱が戻ることが母親を訪ねずに済む理由になっていた。

「仕事が忙しくて、週に一度寄るのがやっとでした。箱が戻っているなら大丈夫だと、自分に言い聞かせていたんだと思います」

湯坂台所の利用者は40軒ほどで、配達は久保さんと、パートの高田さん(仮名、72歳)の2人で回している。火曜と金曜は、高田さんが京子さんの家を受け持っていた。

8月下旬、理恵さんが京子さんの家へ寄ったとき、翌日回収する空箱が台所に残っていた。理恵さんが箱を洗い、水を切って台の上へ置こうとすると、京子さんは「ここに置かないで。取りに来る人が台所まで入ってくるから、外に出しておいて」と言った。理恵さんは、店の人が膝の悪い母親を気遣い、箱を取りに入っているのだと受け止めた。理恵さんは洗った箱を玄関の外へ運んだ。

理恵さんから私に連絡があったのは、2022年10月のことだ。母親を見つけた日に、母親の声だと思って応じたやり取りを聞いてほしいという。

9月12日、理恵さんは仕事帰りに京子さんの家へ寄った。洗濯物を持ち帰ると、前の週に約束していたためだ。玄関の前で、弁当を届けに来た久保さんと会った。

その日は箱が外に出ておらず、久保さんが呼び鈴を押して「お弁当です」と声をかけると、中から「ちょっと待ってね」と返事があった。理恵さんは、いつもの母親の声だと思ったと話す。

理恵さんが扉越しに、自分も来たことと洗濯物を持って帰ることを伝えると、「今日はいいから、箱だけお願い」と返事があった。母は人に洗濯を頼むのを遠慮するのだと、理恵さんはその場で久保さんに話した。

玄関の扉が少し開き、久保さんが手を差し出すと、中から空の弁当箱が渡された。理恵さんが見たのは、箱を押し出す手と袖だけで、顔は扉の陰で見えなかったという。久保さんは受け取った箱を脇に抱え、その日の弁当を差し出した。だが、受け取る手は出てこないまま扉が閉まり、内側で鍵を回す音がした。

「新しいほう、まだ渡していませんよ」

久保さんが声をかけても、もう返事はなかった。理恵さんは、食事を受け取らないまま返事が途絶えたのが気になり、持っていた合鍵で扉を開けた。久保さんにも弁当を台所まで運んでほしいと頼んだ。

玄関から台所までは短い廊下で、その手前に京子さんの寝室がある。理恵さんは寝室で、布団に横たわっている母親を見つけた。声をかけて肩に触れても反応がなく、すぐに救急車を呼んだ。久保さんは持っていた新しい弁当を台所の台へ置いた。

その後、家族が警察から受けた説明では、京子さんが亡くなったのは発見より数日前と考えられる。理恵さんの承諾を得て私が見た書類でも、死亡日は9月8日ごろと推定されている。玄関で箱を受け取った9月12日より前である。

理恵さんが繰り返し話したのは、家に入ったときの様子だ。寝室の窓は閉まっており、台所にも隣の部屋にも人はいなかった。台所まで入った久保さんも、理恵さん以外に生きている人は見ていない。玄関が閉じてから理恵さんが鍵を差し込むまで、2人とも玄関の前にいたという。

後日、久保さんにも個別に話を聞いた。理恵さんが洗濯物のことを言い、中の声が「箱だけお願い」と答えた順序は、理恵さんの話と同じだった。返された箱を久保さんが手で受け取ったという点も一致する。久保さんは、京子さんの顔を見たとは言わなかった。

「いつも受け取っている箱だったので、そのまま」

久保さんはそう話し、手を前へ差し出して、あの日の受け取り方を見せた。

見せてもらった配達表には、9月8日から11日までの4日間にも丸が続いている。8日と11日は久保さん、9日の金曜は高田さんが届けていた。10日の土曜は配達が休みで、9日に2食分を渡している。

高田さんにも話を聞いた。9日に京子さんの家へ行くと、前日の空箱が玄関の外に出ていた。呼び鈴を押すと「置いといて」と声がしたので、その日の弁当を玄関先の台に置いて帰ったという。11日に久保さんが行ったときも、空箱は外にあり、前々日に置いた弁当の箱は、きれいに洗われていた。

警察の説明どおりなら、8日から後の弁当を食べ、箱を洗って外へ出した人は、京子さんではないことになる。家の中に、食べた跡の残る食器はなかった。台所の流しは乾いていたと、理恵さんは覚えている。

高田さんは、8月の京子さんの言葉を聞いて、顔を曇らせた。

「台所まで入っていたのは、私です。膝がつらくて出てこられない日に、京子さんが、入って取っていってと言うので。火曜と金曜は、そうしていました。でも、9月に入ってからは、箱がいつも外に出ていたので、入っていません」

久保さんはそれまで、高田さんが台所へ入っていたことを知らなかった。店の決まりでは、利用者の家に上がらないことになっている。高田さんは、決まりより京子さんの頼みを優先していた。

空箱がなければ異変に気付いたはずだと、久保さんは話した。だが、箱は出ていた。最後の日には返事まであった。

店では今、箱の回収とは別に、利用者本人の様子を確かめるようにしている。返事がない家や、顔を見られない日が2日続いた家には、家族へ電話する。京子さんへの配達は9月12日で終わり、台所の台に置いた弁当は、警察の調べが済んだあとで久保さんが持ち帰った。

理恵さんは、空箱を理由に母親を訪ねる回数を減らしていた自分を責めていた。久保さんは、箱だけを見て丸を付けていた自分の決まりを責めた。高田さんは、決まりを破って台所へ入っていたことを、店にも家族にも言えずにいた。3人とも、それぞれのやり方で京子さんの暮らしに合わせていた。

10月18日、私は湯坂台所で、あの日返された空箱を撮影した。洗って保管されていた箱のふたには、片側だけ白い留め具が付いている。以前、壊れた部品を交換した跡だという。

霧島秀一撮影。濃いあずき色の空の弁当箱と、片側だけ白い留め具に交換されたふた。
霧島秀一撮影。2022年10月18日、湯坂台所。京子さんの家から最後に返された弁当箱。洗浄後、店で保管されていた。白い留め具は以前の修理によるもの。

箱の撮影を終えたあと、私は久保さんに、京子さんの家で台所まで箱を取りに入ることがあったか尋ねた。理恵さんから聞いていた、8月の出来事も伝えた。

「台所へ入ったのは、京子さんが見つかった日が初めてです。娘さんに弁当を運んでほしいと頼まれて。それまでは、玄関の中にも入ったことはありません」

久保さんは、白い留め具の箱を棚から下ろした。店の箱には底に番号が書いてあり、この箱は7番だった。配達表の欄外には、箱の番号を控える欄がある。7番を京子さんの家へ届けたのは、9月8日の夕方だった。

8日の夕方に届けた弁当は、京子さんが亡くなったと考えられる日の分にあたる。その箱が、4日後の12日に、扉の内側から手で返された。

久保さんは7番の箱を棚へ戻さず、作業台の端に置いたままにしている。高田さんはその後も配達を続けているが、どの家でも、玄関の外で呼び鈴を押し、返事と顔を確かめてから弁当を渡すようになった。理恵さんは、母親の家を片付ける日取りを、まだ決めていないという。

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