地方の古い家の和室には、畳を1枚上げたきり、元の場所へ戻せなくなった部屋が存在することがある。
畳の表替えは、畳の芯はそのまま使い、表面のい草の敷物と縁の布だけを新しくする仕事だ。畳屋は朝に畳を預かり、店で張り替えて、夕方に敷き戻す。畳は部屋ごとに寸法がわずかに違うため、1枚ずつ決まった場所にしか収まらない。畳屋は上げる前に、畳の裏へチョークでどの部屋のどの位置かを書き込み、店の台帳にも控えておく。
2023年6月12日、月曜日の朝。北都県南條市の波瀬俊文さん(64歳)の家で、畳屋の小仁所和則さん(52歳)が、表替えの作業を途中でやめた。外した畳は家に残っているが、部屋の床には、もうその1枚分の空きがない。小仁所さんは家の修繕を頼める工務店へ連絡し、波瀬さんは、このサイトの連絡先へ電話をくれた。私は昼前に訪ね、2人から朝の作業を聞いた。
問題の部屋は、居間から入る2畳の書斎だった。畳は長い辺を合わせ、左右に1枚ずつ敷いてあった。入口は正面の左寄りにあり、戸を開けると左の畳へ入る。奥には低い本棚、右手には小さな座り机を置いていたという。
波瀬さんは、家で読む本と、手紙を書く道具をこの部屋に置いている。机の前に座ると右側に壁があり、その壁際へ便箋や封筒の箱を積んでいた。
「手紙を書くときは、右の壁の方へ少し体を寄せるんです。箱に手が届くように」
畳の表面が傷み、靴下に細かいい草が付くようになったので、2枚とも表替えを頼んだ。
「物を全部出しておけば、あとは元どおりにしてもらえるんですね」
見積もりのとき、波瀬さんはそう確かめたという。12日の朝、机も本棚も隣の居間へ運び、畳の上には何も置かない状態にした。
小仁所さんは左の畳に立ち、右の畳の裏に印を書いてから起こした。畳の下には茶色い床板が見えた。小仁所さんが畳を縦にして入口へ運び始めると、右側の壁が左へ寄ってきた。倒れるような傾きはなく、壁の下に沿った細い木の板、畳寄せと呼ぶ見切りの材も、同じ向きに進んでいた。露出した床板が、奥から手前まで一緒に狭くなった。
波瀬さんは居間側へ下がり、小仁所さんに外へ出るよう声を掛けた。小仁所さんも畳を抱えたまま入口を抜けた。2人が居間から見ている間に、右の壁は残った左の畳の縁まで来て止まった。
「それを戻したら、戻りませんか」
波瀬さんに頼まれ、小仁所さんは畳を戸口まで運んだ。しかし、下ろす場所がなかった。元の右半分には壁があり、左半分にはもう1枚が敷かれている。残った畳をどかして入れ替えれば、2枚を元へ戻したことにはならない。小仁所さんは畳を居間へ戻し、ここから先は畳の仕事として続けられないと話した。波瀬さんも了承した。
「30年近く畳を上げてきましたが、上げた所の床がなくなったのは初めてです。床板が抜けたとか、下の木が腐っていたとかなら、まだ分かるんですが」
私が訪ねたとき、書斎の戸は開いていた。入口から奥まで1枚の畳が続き、その左右に壁があった。右の壁の下の畳寄せは、畳の縁へぴったり接している。床板の見える隙間はなかった。
右の壁には、コンセントと、波瀬さんが貼った小さなカレンダーが、そのまま付いていた。
まず、2人の思い違いを疑った。私は巻尺を借りて部屋を測った。入口から奥の壁までは約176センチ、左右の壁の間は約89センチだった。畳1枚分の幅しかない。波瀬さんが出してきた家の図面では、この部屋は「書斎 2畳」と書かれ、正方形に描かれている。1975年に家を建てたときの図面で、部屋の名前は父親の字だという。
次に、壁の向こう側を確かめた。右の壁の裏は押し入れになっている。開けてみると、奥行きは図面どおりで、しまってある布団の箱も動いていなかった。押し入れが狭くなったのでも、書斎の壁が押し入れの中へ下がったのでもない。床板1枚分の幅が、どこにも移っていなかった。
私は壁が動くところを見ていない。朝に撮られた映像もない。ただ、小仁所さんと波瀬さんが指したのは同じ右の壁で、動き始めたときには、その前の畳を持ち上げていた。
書斎に残った畳の上には、本棚の脚による浅いくぼみがあった。小仁所さんは、朝に自分が立っていた畳はこちらだと指した。右の壁が近づいてきたとき、足元の畳がずれたり盛り上がったりはしなかったという。
外した1枚は居間の壁へ立ててあった。表面はまだ古いままで、机の脚でへこんだ所がある。波瀬さんは、その近くの薄い輪染みを指した。数年前、机の脇へ置いた茶をこぼした跡だった。私は了承を得て、書斎と、居間に立てた畳を撮った。持ち出した畳が短くなったり、細くなったりしている様子はなかった。

小仁所さんは、畳の裏も見せてくれた。今朝書いたチョークの印の横に、薄れた墨の字がある。「波瀬様 書斎 右」。1975年に家が建ち、新しい畳を納めたとき、小仁所さんの父親が書いた字だという。小仁所さんは店に電話し、父親の代の台帳を調べてもらった。
折り返しの電話によると、前回の表替えは1998年の秋だった。台帳には「書斎 二畳のうち左一枚のみ」とあり、その横に「右は上げないこと 施主様より」と書き添えられていた。それより前、1987年の表替えの行にも、同じ書き添えがあった。どちらの年も、施主はこの家を建てた波瀬さんの父親である。
小仁所さんの父親は82歳で、今は店に出ていない。電話を代わってもらうと、そのときのことを覚えていた。「施主さんに、右は上げないでくれ、表替えは左だけでいいと言われました。理由は聞いていません。畳屋が聞くことじゃないですから」
「父が右だけ断っていたなんて、知りませんでした。机を置くと、右の畳の方が早く傷むんです。だから、なぜ片方だけなのかと思ったこともなかった」
波瀬さんは、父親が亡くなる前にこの部屋のことで何か言っていなかったか、思い出そうとしていた。父親もこの部屋で机に向かい、右の壁際に箱を積んでいたという。
小仁所さんは、工務店の人が午後に来るので、それまで部屋へ物を戻さず、立ち入るのもやめておこうと伝えた。工務店からは、床下を見てみないと何とも言えないと返事があったという。2人は隣の居間で待つことにした。
波瀬さんは、表替えの注文を取り消しても、部屋は元へ戻らないのかと聞いた。小仁所さんは、畳にはまだ何もしていないと答えた。波瀬さんはうなずいたが、書斎の方を見ていた。
昼過ぎ、小仁所さんは店へ電話し、午後の作業に入れないことを伝えた。波瀬さんは、居間に寄せていた低い本棚へ、朝に抜いた本を戻し始めた。棚を運びやすくするため、全部取り出してあった本だった。
数冊戻すと、波瀬さんは座り机の脚を持ち、居間の空いている所へ運んだ。本棚と机の位置を、朝の書斎と同じにした。棚が奥で、机は右。その前に座布団を置き、便箋の箱を机の右脇へ下ろした。
小仁所さんが、座布団の後ろを通れるように机を少し寄せましょうかと尋ねた。居間には食卓もあり、そのままでは歩く場所が狭かった。
波瀬さんは、いまは動かさないでほしいと答えた。座布団に腰を下ろし、机へ両手を載せた。右手を伸ばせば便箋の箱に届き、左には本棚があった。
「これで全部です」
波瀬さんは小仁所さんにそう言い、両手を膝へ下ろした。それから、居間の壁に立てた畳の方を一度見た。小仁所さんは、本棚から箱までを見渡した。波瀬さんは、そのまま座っていた。



