南條市の小さな浴場の男湯の浴槽に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。休業中の小さな浴室。洗い場の奥に、水を張ったままの白いタイルの浴槽がある。

地方の町の小さな浴場では、閉店すると浴槽の湯を抜き、底と壁を洗う。翌日の午後にまた湯を張り、夜まで差し湯をしながら温度を保つ。最後の客が上がれば、その日の湯はもう要らない。栓を抜けば、30分ほどで浴槽は空になる。

北都県南條市の小さな浴場で、閉店しても湯を抜かなかった夜がある。主人の津守久秋さん(仮名、74歳)は、浴槽に人がいないことを確かめた後も、栓を抜けなかった。最後まで湯につかっていた客が、目の前で水になったという。

2023年10月29日、私は休業中の浴場で津守さんに話を聞いた。2日前の夜、男湯から姿を消したのは、近所から通っていた蕪木雅久さん(仮名、81歳)だった。脱衣棚には服が残り、靴も入口に置かれたままだったという。籠の中には、残り2枚になった回数券も入っていた。

この浴場では21時に営業を終え、客が上がってから浴槽の湯を抜く。底と壁を洗い、洗い場の桶や椅子も片付ける。津守さんは閉店の少し前になると浴室へ入り、残っている客に声をかけていた。

男湯の浴槽は長さ2メートルほどで、深さは膝の上までである。手前側には、縁が一段低くなった所がある。湯口から新しい湯を入れると水面が上がり、余った分はそこを越えて、洗い場側の溝へ流れる仕組みだった。

27日も、津守さんは声をかけに浴室へ入った。蕪木さんは浴槽の手前側にいて、縁に両手を掛けていた。常連の川井誠介さん(仮名、69歳)は、洗い場で石けん箱を袋へしまっていた。ほかに男湯の客はいなかったという。

「そろそろ上がってもらえますか」と津守さんが言うと、蕪木さんはうなずいた。津守さんは湯口の栓が閉まっていることを確かめ、蕪木さんが立ち上がるのを待った。そのとき、縁を押さえていた指の色が薄くなった。

津守さんの説明では、最初に変わったのは両手だった。指の形は少しの間残ったが、その向こうのタイルが透けて見えた。次に指の間の隙間がなくなり、透明な液体が縁の内側へ流れ落ちた。蕪木さんが腕を引く動きはなく、肘まで同じように崩れていった。

津守さんは蕪木さんの名前を呼び、浴槽の縁へ近づいた。胸の辺りまで透明になり、肩と顔の輪郭が低く崩れて、水面へ広がったという。頭が水の下へ沈む動きではなかった。顔のあった高さから、まとまった水が落ちた。

津守さんはすぐに浴槽へ手を入れ、蕪木さんのいた所を探った。つかめる腕も肩もなかった。洗い場にいた川井さんが寄り、2人で底を見た。白いタイルと排水口が見え、人の身体はなかった。底の栓は閉まっていた。

川井さんが受付へ走って119番に電話し、津守さんは浴槽の周りに残った。到着した救急隊員に、2人は見たことを話した。その後、警察官も来て浴室や脱衣場を調べたが、蕪木さんは見つからなかった。警察によると、浴場の周りの防犯カメラにも、27日の夜に蕪木さんが出ていく姿は映っていなかった。

10月30日、私は川井さんにも会った。津守さんとは別の場所で、その夜のことを尋ねた。川井さんが浴槽へ目を向けたのは、津守さんが名前を呼んだときだった。手が変わり始めるところは見ていない。ただ、まだ水面より上にあった顔の輪郭が崩れ、透明な塊が湯へ落ちるところは見たという。

「沈んだなら、下にいると思いますよ。でも、上にあったところが、水みたいに流れたんです」

私は変化そのものを見ていない。2人の話で重なっていたのは、顔の形が液体へ崩れ、その下に身体が見つからなかったことだった。

10月31日、再び訪ねると、男湯にはまだ水が張ってあった。湯口からは何も出ておらず、水面は縁のすぐ下にある。浴槽の底まで見えたが、私が確認できたのは、その日の浴槽の中に人の身体がないことまでだった。津守さんの許可を得て、入口から浴室を撮影した。その後、浴槽に近づき、湯口と低い縁を写した。

霧島秀一撮影。水を張った白いタイルの浴槽を斜めから写した写真。右奥に閉じた湯口のハンドル、手前に低くなった縁と外側の排水溝が見える。
霧島秀一撮影。2023年10月31日、同じ浴槽の湯口と低い縁。水面は縁のすぐ下にあり、湯口からも縁からも水は流れていなかった。

津守さんは、浴槽の縁に沿って私を案内した。蕪木さんが両手を置いていたのは、湯口の近くだった。ここにいたと指してから、津守さんは水に指先を触れた。

「もう、すっかり冷たくなりました」

浴槽を空けていないのは、蕪木さんの長女、恵さん(仮名、52歳)に頼まれたからでもある。警察は蕪木さんを行方不明者として扱い、家の周りや川沿いも探していた。恵さんは28日に浴場へ来て、父親が見つかるまで、湯を抜かずにおいてほしいと津守さんに言った。そのとき恵さんは浴室の入口まで来て、水の張った浴槽をしばらく見ていた。中へは入らなかったという。

恵さんは、初めは津守さんと川井さんの話を信じられなかったという。その夜、男湯にいたのは3人だけで、見ていたのは2人だけだった。警察は2人から別々に話を聞き、浴場の出入口に人が出た跡がないことも確かめた。服と靴は警察が確認した後、恵さんへ渡された。

津守さんは受付の机の引き出しから、1枚の紙を出した。10月26日から入口に貼っていた紙で、「27日より、20時半以降の差し湯を控えさせていただきます」と書かれていた。燃料代が上がり、閉店前の30分は湯を足さないことにしたのだという。

それまで津守さんは、最後の客がつかっている間も、湯の具合を見て差し湯をしていた。夜遅くに来る客にも、ぬるくなった湯を使わせたくなかったからだ。

「もう上がるからいい、と言われることもあるんです。でも、入っているうちはね」

27日は、その差し湯をやめた最初の夜だった。津守さんが湯口の栓を確かめたのは、閉め忘れていないか見るためだった。

恵さんは以前から、父親が浴場で長くつかるのを心配していた。津守さんにも何度か、早めに上がらせてほしいと頼んでいた。津守さんはそのたびに声を掛けたが、蕪木さんは最後まで残った。差し湯をやめれば、蕪木さんも早く上がるだろうと思う気持ちもあったと、津守さんは話した。

川井さんによると、蕪木さんはその夜、入口の貼り紙を読んで「最後の客は、冷めていく湯か」と笑っていた。津守さんが父親から浴場を継いだのは1981年で、蕪木さんはその前から通っていた。40年近く、閉店間際に来て最後に上がる客だった。妻を亡くしてからは、家の風呂を沸かさなくなったという。

10月31日の夕方、恵さんにも電話で話を聞いた。父親は毎晩8時半に家を出て、浴場へ向かっていた。27日の夜も、いつもと同じ時刻に、タオルと石けん箱を持って出たという。家の風呂釜は、母親が亡くなった2015年から使っていない。電話の最後に、恵さんは、浴場の水がまだ張ってあるかを確かめた。

津守さんは、紙のことを恵さんにも警察にも話していた。差し湯をやめたことと蕪木さんがいなくなったことを、つなげて考えているわけではない、とも言った。ただ、紙を入口からはがしたのは28日の朝だった。川井さんは、その夜から浴場に来ていない。家の近くの別の浴場へ通っているという。

大きな容器へ移して浴槽を空けることも考えたという。しかし、どこからどこまでをくめばよいのか決められなかった。蕪木さんがいた辺りの水だけを残せばよいとは思えない。

その話の途中で、津守さんは湯口の栓へ手を伸ばした。指がハンドルに触れたところで止まり、もう一方の手で浴槽の低い縁を示した。

「足した分は、あそこから出ていくんです」

津守さんはハンドルを回さずに手を下ろした。冷たい水面は、縁のすぐ下にあった。受付の机の上には、はがした貼り紙が、裏返しのまま置いてあった。