柳瀬市の民家の庭の柿の木に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。家と物置の間に立つ柿の木。横へ伸びた低い枝に黄色い葉と橙色の実が残り、土の上に空の浅い木箱が置かれている。

地方の住宅地では、庭の柿の実を、秋に近所へ配る家が多い。色づいた実から順に採り、傷の少ないものを紙袋に分けて届ける。採るのは木を植えた家の人で、ほかの人が勝手に採ることはない。庭の柿は、その家の物である。

北都県柳瀬市で暮らす春井昌和さん(73歳)は、庭の柿を採っていた見知らぬ男に、誰に断って採っているのかと尋ねた。返ってきたのは、謝罪ではなかった。

「皆さんも、どうぞ採ってください」

春井さんは、男に柿をもらおうとしたのではない。自分の家の庭に入り、自分で植えた木から実を採った理由を聞いていた。

そのやり取りがあったのは2023年10月29日だった。春井さんが物置から木箱を出してくると、灰色のセーターを着た男が木の下にいた。男は片手で実を支え、もう一方の手で細い枝を曲げていた。枝が折れ、柿が男の手元へ下りたという。

春井さんは、その木は自分が植えたものだと伝え、勝手に庭へ入らないでほしいと言った。男はうなずき、柿を手にしたまま幹の向こうへ回った。春井さんもすぐに回ったが、もう姿がなかった。塀を越える音も、門を開ける音も聞かなかったという。その夜、警察に相談するかどうか迷ったが、柿を1つ採られただけなのでやめた。

29日に男が折った小枝は、木の下に落ちたままになっていた。春井さんはそれを拾い、物置の棚に置いた。

私は春井さんから、その男がどこへ行ったのか分からないと連絡をもらった。姿を見失った場所だけを訪ねても分からないだろうと話すと、次に柿を採る日に来てほしいと頼まれた。まだ枝には実が残っていた。

11月4日の午後、私は春井さんの庭へ行った。柿の木は家と物置の間にあり、低い所から枝が横へ伸びていた。先の方では葉がまばらになり、黄色い葉の間に橙色の実が見えた。

この柿は家で食べるほか、毎年近所の8軒にも配っている。春井さんは色づいたものから順に採り、傷の少ない実を人へ渡す分にしていた。この日も木箱のそばには、持ち運ぶための紙袋を重ねてあった。

春井さんが低い枝へ手を伸ばしたとき、すぐ上から黒い靴の先が下りてきた。

私は枝の下を見ていた。靴の上に、ズボンをはいた脚が膝まで現れた。続いてもう一方の脚が出た。2本の脚の間には、物置の壁が見えている。枝にまたがった人の脚とは違い、腰から上を細い枝へ差し込んだような姿だった。

枝は私の手首ほどの太さしかなかった。裂けたり、下へ大きくたわんだりする様子はない。灰色のセーターの裾が出て、腹、胸、肩が続いた。両足が地面に着くと、男は膝を曲げ、首と頭を枝から抜いた。

男は70代か80代に見えた。白髪を短く刈り、セーターの肘には毛玉が付いていた。男が立った後も、枝は元の高さに伸びていた。人の通れる穴は見えない。男は私に軽く頭を下げ、春井さんの手元へ目を向けた。

「それを1つ、いただけますか」

春井さんは、29日に会った男だと言った。伸ばしていた手をいったん下ろし、それから同じ実を採った。小枝をはさみで短くして、男へ渡した。

男は両手で柿を受け取り、皮の付いたままかじった。春井さんは何も言わず、空いた木箱を自分の足元へ寄せた。

私は名乗り、どちらから来たのかと聞いた。男は柿を持った手を少し上げたが、答えなかった。名前を聞いても返事はなく、男は口元を手の甲で拭った。春井さんが甘いかと尋ねると、「ええ」と答えた。

春井さんは男へ、植えたときの木は自分の背より低かったと話し始めた。毎年枝を切っていること、夏には落ちた実を拾うことも伝えた。男は柿を食べながら聞いていた。

「今まで、あなたを見たことはないんです」

春井さんが言うと、男は木の上を見た。「今年もよくなりましたね」と答えた。いつから来ているのかと重ねて尋ねても、それ以上は話さなかった。

私は男に、先ほど脚が出た枝を撮影してよいか尋ねた。返事はなかったので、春井さんにも確認し、男を画面へ入れずに枝だけを撮った。枝の周りを回って見たが、樹皮が裂けた場所は見つからなかった。

霧島秀一撮影。柿の木から横へ伸びた手首ほどの太さの枝を、斜め下から写している。表面は粗い灰褐色の樹皮で覆われ、先に黄色い葉と橙色の柿がある。背景には物置の壁が見える。
霧島秀一撮影。2023年11月4日、同じ庭。男が下りた後に撮った枝。写真で見える面には樹皮が続き、先には葉と柿が残っている。

私がこの日に見たのは、塀の内側にある枝から全身が現れ、土へ足を着けるところだった。門を通って入ってきた人が、木の陰から出てきたのではなかった。

男は柿を持ったまま、物置の壁際へ移った。春井さんは、配る分をまだ採っていないと言い、はさみを持ち直した。枝には、手を伸ばせば届く実がいくつか残っていた。

「この辺も、採っていいですか」

春井さんは男を見ていた。男は口を動かしており、すぐには返事をしなかった。春井さんは1つの実に左手を添えた。右手のはさみを軸へ近づけたが、刃は開いたままだった。男が飲み込むまで、その姿勢で待った。

「どうぞ」

男が答えると、春井さんはそこで、はさみを閉じた。採った実を木箱へ入れ、次の枝へ手を伸ばす前に、もう一度男の方を見た。

木箱が半分ほど埋まったところで、私は男がいないことに気付いた。物置の壁際には、かじり終えた柿のへたが1つ落ちていた。

その日の夕方、春井さんは物置の棚の、29日の小枝の横から、小さなアルミの札を出してきた。柿の苗を買ったときに枝に付いていた物で、針金がさびている。「富有 接木 穂木 瀬能家」と刻まれていた。穂木は、接ぎ木のときに台木へ接ぐ枝のことである。

札の裏には、種苗店の名前と「昭和61年3月」の日付が打たれていた。種苗店は2000年ごろに店を閉めている。

春井さんがこの家を建て、柿の苗を植えたのは1986年である。町の種苗店で買った苗で、店主から、町内の古い柿の木から枝を取って接いだ物だと聞いていた。札の名前は、その古い木があった家の名字だった。

11月6日、春井さんと一緒に、近所に住む仁科ハルさん(88歳)を訪ねた。春井さんが毎年柿を配る8軒の1つで、春井さんは札を上着のポケットに入れて持ってきていた。仁科さんは、瀬能家をよく覚えていた。春井さんの家から3本向こうの通りにあった家で、主人の瀬能庄一さんは1984年に亡くなり、家はその年のうちに取り壊された。

「大きな柿の木があってね。秋になると、庄一さんが塀の外まで枝を伸ばしたまま、皆さんもどうぞ採ってください、と言っていたんです」

庄一さんは、採った柿をその場で皮ごとかじる人だった。灰色の毛糸のセーターを、秋の間ずっと着ていたという。木は家と一緒に切られ、種苗店がその前に枝を何本かもらっていった。

仁科さんは子どものころ、その木の下で拾った柿を、庄一さんに見とがめられたことがある。叱られると思ったが、庄一さんは同じことを言って、高い枝の実を採って渡してくれたという。よその家の柿を見ても、今年もよくなりましたね、と声を掛ける人だった。

春井さんは、植えた苗の元の木のことまでは知らなかった。札も、物置にしまったまま忘れていたという。

帰り際、春井さんは紙袋に詰めた柿を仁科さんへ渡した。仁科さんは1つを手に取り、少し眺めてから袋へ戻した。

仁科さんの家を出た後、私たちは瀬能家の跡を見に行った。今は月極の駐車場になっており、柿の木があった辺りには、白線で区切られた区画が並んでいた。塀も残っていない。春井さんは、駐車場の端からしばらく区画を見ていた。

その日の夕方、春井さんは低い枝に残っている実を採らずに置くことにした。物置の壁際に落ちていたへたを拾い、木の根元へ置いた。空になった木箱も、その横へ伏せて置いた。翌朝見ると、木箱もへたも、そのままだったという。

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