地方の墓地では、子どもが遠くへ移るのに合わせて、墓じまいをする家が増えている。遺骨を取り出して納骨堂などへ移し、墓石を撤去して、区画を更地にして返す。遺骨を移すには、市役所に改葬の許可を出してもらう。墓石を壊すのは、最後の作業である。
佐上佳津恵さん(仮名、61歳)は、墓を片付ける前に、もう一度だけ掃除をするつもりだった。北都県柳瀬市内の市営墓地にある両親の墓で、2023年11月12日、石を拭いていた布を人の手につかまれた。その手首は、墓石の背面から出ていた。
佐上さんは年末に市外へ引っ越すことを決めていた。両親の遺骨を近くの納骨堂へ移す手続きは済み、骨壺も10月中に運び終えていた。残っていたのは墓石の撤去だった。何も入っていない墓でも、汚れたまま壊してもらうのは嫌だったという。
「今までは、来年も来るつもりで洗っていました。これで終わりだと思うと、裏まで拭いておきたくなったんです」
墓石は灰色の四角い石柱で、正面に家名が彫られている。佐上さんの肩ほどの高さがあり、下には幅の広い石の台がある。撤去を請け負った石材店の三園孝宜さん(仮名、58歳)は12日、作業車を入れる道を佐上さんと確かめに来ていた。
佐上さんが濡らした布で背面を拭いていると、布の下に指が挟まったような感触があった。自分の左手かと思ったが、左手は水の入ったバケツを持っていた。布を持ち上げると、石の表面に、人の爪に似た白いものが見えたという。
三園さんが近づいた時には、爪のある5本の指が石から浮き上がっていた。布の当たっていない部分には灰色の粒があり、拭いた所からその粒が消え、薄い桃色へ変わっていった。石が欠けたり、薄い皮が剥がれたりしたのではなかったと、三園さんは話す。
佐上さんは布を放し、後ろへ下がった。指は曲がり、濡れた布を握ったまま、手首まで石の外へ出た。三園さんは人が挟まれているかもしれないと119番へ電話し、佐上さんは墓地の管理事務所へ連絡した。墓の正面や横へ回っても、体のほかの部分は見えなかったという。
私は以前、石の補修について話を聞いたことのある三園さんから連絡を受け、その日の午後に墓地へ行った。三園さんによると、救急隊員と警察官が現場を確認し、石を削ったり手を引いたりせずに待つことになったという。予定していた墓石の撤去は中断していた。
手は石柱の背面から、手のひらを上に向けて出ていた。大人の左手に見える大きさで、指には短い爪がある。袖も傷口もなく、手首の皮膚は灰色の石へ直接つながっていた。石柱の正面にも、左右の側面にも穴はなかった。
佐上さんが初めに使った布は、指の間に挟まっていた。手首から先は私にも柔らかな皮膚に見えたが、誰の手なのか、生きた人の体が石の中にあるのかは分からない。救急隊や警察による現場の確認には私は立ち会っておらず、診断や捜査の結果を聞いたわけでもない。
佐上さんは手の前へしゃがみ、聞こえますか、と声を掛けた。返事はなかった。私が横へ立つと、中指と薬指が布を持ち直した。指の節にはしわが寄り、布の端が石へ近づいた。手首の付け根は動かなかった。
三園さんは、元は平らな面だったと話した。撤去の見積もりを作るため、10月に周りから見た時にも、手の形の彫刻や張り出しはなかった。私は手と石の境を斜め横から撮影した。石の割れ目から腕を差し出したような隙間は、写真に写る範囲にはない。

佐上さんは、握られた布が冷えているのを気にしていた。乾いた布を持ってきて、手の下へ広げた。濡れたほうを引くと指が閉じたので、引っ張るのはやめた。指が緩んだところで濡れた布を抜き、乾いたほうへ替えた。
その間、私は手首を見ていた。親指の付け根が反り、手のひらが佐上さんの方へ傾いた。皮膚と接している石の粒模様が薄くなり、同じ所に細かいしわが現れた。白い手首の見える範囲が少し広くなった。
佐上さんに、両親のどちらかの手に似ているかと尋ねた。分からない、と答えた。父も母も最後に会った時には手が痩せていたが、目の前の手には張りがあった。
その後、三園さんが車から作業日誌を持ってきて、私と管理事務所の職員に見せた。10月14日、骨壺を取り出した日の欄に、「カロート下部に土 古い遺骨あり 施主の指示で手を付けず」と書かれていた。カロートは、墓石の下で骨壺を納める空間を言う。三園さんによると、底の土は黒く湿っており、白い骨のかけらがところどころに見えた。
墓石の横の墓誌には、4人の名前が彫られている。祖父が1971年、祖母が1979年に亡くなり、父は2012年、母は2019年だった。祖父母の遺骨は、古い習わしで骨壺から出され、カロートの底の土へ返されていたという。祖母は、佐上さんが小学生のころ、毎月この墓へ連れてきた人だった。
市役所に出した改葬の申請書には、「改葬する遺骨 2体」とあった。納骨堂へ移したのは、両親の骨壺だけだった。
佐上さんは、祖父母の遺骨が底に残っていることを知っていた。骨壺を取り出す日、三園さんに、下の土には触らないでほしいと頼んだのは佐上さん自身だった。
「納骨堂は1人分ずつお金がかかるんです。4人分は、私一人では払えませんでした」
兄の和也さん(仮名、64歳)は県外に住み、墓じまいそのものに反対していた。費用は出さないと言われ、佐上さんは兄に相談せずに手続きを進めた。祖父母の分は、土に返してあるのだから、そのままでいいと考えたという。和也さんは私の電話取材に、妹が一人で決めたことに腹を立てていたと話した。ただ、祖父母の骨が残されるとは知らなかったという。
三園さんは、土の中の遺骨のことを管理事務所に伝えていなかった。施主の指示なら、と日誌に書き残すだけにしていた。職員は、遺骨が残ったままでは区画を返してもらうことはできないと話した。
「父の骨も母の骨も、私が運んだんです」
佐上さんは石柱の正面へ回った。花立てを持ち帰るつもりで来ていたが、台の上に置き直した。
佐上さんはもう一度石柱の裏へ回り、しゃがんだ。ふだんなら、掃除の後に家族の近況を話すのだという。佐上さんは手の前で、「今日はもう帰ります」と言った。それから、明日は9時ごろに来る、と付け加えた。指先が少し曲がった。返事だったかどうかは分からない。
その晩、佐上さんは兄に電話をかけた。翌朝、市役所へ祖父母2人分の改葬の申請を出し直すと決めたという。納骨堂の費用は、兄が半分を出すことになった。
納骨堂は、墓地から車で10分ほどの寺にある。両親の骨壺は、10月末から2段目の棚に並んでいる。佐上さんは、その隣の棚がまだ空いているかどうかを、12日の夜のうちに寺へ電話で確かめた。
11月13日の9時過ぎ、佐上さんは市役所に寄ってから、三園さんと墓地へ来た。管理事務所の職員も立ち会った。手はまだ石の背面にあり、乾いた布を握っていた。佐上さんは手の前にしゃがみ、出し直した申請書の控えを見せるように広げた。
「下の2人も、一緒に連れていきます」
三園さんが台の石の継ぎ目へバールを当てたとき、手の指が開き、乾いた布が土の上へ落ちた。私は布の落ちる方を見ていた。佐上さんが布を拾い上げると、石の背面に手はなかった。平らな灰色の面に、指の形をした水の跡が少しだけ残っていた。三園さんはその日のうちに台の石を外し、カロートの底の土を、2つの木箱へ分けて移した。


