家族が警察に行方不明者届を出すと、最後に会った人として、相手の家の玄関先での会話が細かく聞かれる。何と言われ、何と答えたか。そのとき答えた人が、話さずにおいた一言が、後になって意味を持つことがある。
2024年5月19日、日曜日の15時ごろ。北都県南條市に住む榎枝美代子さん(仮名、65歳)の家へ、元同僚の下牟田博和さん(仮名、67歳)が訪ねてきた。2人がかつて働いていた文房具店の店主、片井登志男さん(仮名)が入院しており、博和さんはこれから病院へ行くので、よければ車に乗っていかないかと誘ったという。
美代子さんは、今日は出掛けられないと答えた。博和さんがまだ玄関の外に立っていたので、言葉を足した。
「来週の日曜にして。同じ時間に来てくれたら、話せるから」
博和さんは、右手に見舞いの菓子が入った紙袋を持っていた。美代子さんによると、その手と袋が先に薄くなった。袋越しに、後ろの門柱が見えた。続いて上着の胸にも門柱の縦線が透け、顔と両足も消えた。門へ戻って歩く姿はなかったという。
門脇の駐車場所には博和さんの車が残った。美代子さんは庭と通りを捜し、携帯電話へ掛けたがつながらなかった。その日のうちに警察へ連絡し、市外に住む博和さんの弟、下牟田昌和さん(仮名、63歳)にも知らせた。博和さんは一人暮らしで、昌和さんが合鍵で家を確かめたが、戻っていなかった。昌和さんは20日、警察に行方不明者届を出した。警察は、事件や事故に巻き込まれた形跡は見当たらないとしたうえで、市内の病院や駅に問い合わせていた。車の鍵は、博和さんの上着のポケットに入ったままだった。
昌和さんは何度か美代子さんを訪ね、消える前に兄が何を話していたのか聞いたという。美代子さんはそのたびに、自分が「来週の日曜にして」と言ったことを説明した。警察にも同じように話した。
昌和さんは、向かいの家の玄関に付いた防犯カメラの映像も、持ち主に頼んで見せてもらっていた。映像には、19日の14時58分、博和さんが紙袋を提げて美代子さんの家の門を入るところが写っている。そこから先、門を出ていく姿は、どの時間にも写っていなかった。人がいなくなる理由として、まず疑われるのは、本人がどこかへ歩いて去ったことだ。映像は、その説明を狭めていた。昌和さんは後で私に、兄が最後に会った相手として、美代子さんを疑ったこともあったと話している。
23日、美代子さんから私へ連絡があった。博和さんの居場所は、まだ分からなかった。登志男さんが22日に亡くなり、24日に葬儀をするという知らせが来たことも、この電話で聞いた。翌週の日曜に戻ると決まったわけではないが、もし来たら1人で会いたくないという。私は26日の午後、美代子さんの家へ行く約束をした。
玄関の前にあるのはコンクリートの小さな段で、門まで敷石が続いていた。美代子さんに19日に立っていた場所を示してもらい、玄関と門の間を撮影した。私は門の内側へ立ち、美代子さんは玄関の戸を開けたまま待っていた。
15時を少し回った頃、玄関の段の上に、黒い靴のつま先が見えた。靴から足首が伸びてきたのではない。左右の靴と、その上のズボンが同時に濃くなり、向こうの戸が見えなくなっていった。紙袋の角も現れた。袋を持つ手、上着、顔までがそろう間、私はその場から目を離さなかった。門を通った人はいない。
博和さんは紙袋を持ち直し、美代子さんへ話し掛けた。
「じゃあ、何時なら出られる」
美代子さんは返事をせず、玄関を下りた。博和さんの袖に触れ、名前を呼んだ。私は2人のそばへ寄り、博和さんへ自分の名前を告げた。博和さんは私を見て、さっきから一緒にいたのかと聞いた。
美代子さんは、今日は26日だと伝えた。博和さんは、自分は今、来週にしてくれと言われたところだと答えた。いったん帰った覚えも、暗い場所や知らない場所にいた覚えもないという。私は電話の画面で日付を見せた。博和さんは自分の腕時計を見た。日付を示す小窓には19と出ていた。上着から出した携帯電話の電源を入れると、美代子さんと昌和さんからの着信が、30件あまり一度に表示された。
美代子さんは博和さんを家へ上げ、警察と昌和さんへ、戻ったと連絡した。博和さんは上がり口に腰を下ろし、電話を借りて昌和さんと話した。電話を終えてから、弟が仕事を休んで自分を捜していたと私に言った。夕方には警察官が2人来て、博和さんから話を聞いた。博和さんの話は、玄関で来週にしてほしいと言われたところで終わっていた。美代子さんも、19日と同じ説明をした。
私は、19日の消失を見ていない。26日に見たのは、空いていた段の上へ、靴も服も身に着けた男性が現れるところだった。本人が1週間をどこで過ごしたのかは分からない。美代子さんの言葉が原因だったのかも、ほかの言い方や日付で確かめてはいない。
美代子さんは、博和さんが持っていた紙袋を、上がり口の脇に置いていた。博和さんの了承を得て、その袋と靴を撮った。袋の口からは、菓子箱の白い包装紙が見えていた。

「来週なら行くつもりだったんですか」
私が尋ねると、美代子さんは首を振った。登志男さんが2016年に店を閉じたとき、美代子さんは登志男さんと言い争いになり、それから会っていないという。博和さんから入院の話を聞いても、見舞いに行くとは答えられなかった。
「その場で行かないと言えばよかった。でも、来てくれれば話すと言ったら、帰ると思ったんです」
博和さんは紙袋へ手を伸ばした。美代子さんは、見舞いにはもう行けない、と言った。博和さんの手が止まった。
美代子さんは、登志男さんが22日に亡くなったことと、24日の葬儀を伝えた。博和さんへ知らせようとしたが、連絡がつかなかったことも話した。博和さんは、美代子さんが話し終えても袋を持ち上げなかった。
「これ、あの人が好きだったから」
袋から菓子箱を出し、上がり口に置いた。包みを開けるためのテープへ指を掛け、それから手を離した。病室で一緒に食べるつもりだったという。
美代子さんには、昌和さんにも警察にも話していないことが、もう一つあった。19日、博和さんは門の前で、登志男さんが美代子さんに会いたがっていると伝えていた。病室で、店を閉めたときのことを謝りたいと話していたという。美代子さんは、それを聞いたうえで「来週の日曜」と答えていた。23日に届いた葬儀の知らせには、登志男さんの娘の字で、父は最後まで美代子さんの名前を口にしていた、と書き添えてあったという。
「あの人が会いたいと言っていたことを話したら、私が断ったせいで間に合わなかったことになるでしょう」
美代子さんが繰り返してきた説明は、うそではない。言った言葉も、時刻も合っている。ただ、その説明からは、博和さんが何を頼みに来て、美代子さんが何を断ったのかが抜けていた。博和さんは、菓子箱を見たまま黙って聞いていた。
博和さんは美代子さんに、登志男さんの家へ電話してほしいと頼んだ。今から線香を上げに行ってよいか、先に聞いてほしいと言った。そして、美代子さんも一緒に来てほしい、と付け足した。美代子さんは少し黙ってから、連絡先を探した。博和さんは箱をもう一度紙袋へ入れ、口の折り目を伸ばした。
電話を掛ける美代子さんの横で、博和さんは菓子を持って待っていた。自分が食べる分も入っている、と小さく言った。


