地方の古い家では、秋口になると、居間の明かりに寄って蛾が入ってくることがある。網戸を閉めていても、ガラス戸を開けた隙や、網のほつれから入る。家の人は新聞紙で叩くか、網戸を開けて外へ追い出す。網の目より大きな虫は、網を抜けて出ていくことはない。
網戸の目より大きな蛾が、網戸を閉めたまま小さくなって外へ出ていった。北都県柳瀬市に住む槙内孝江さん(74歳)から、2024年10月24日にそう連絡があった。私は留守にしていたため、写真だけを送ってもらった。26日の夜に別の大きな蛾を捕まえたと聞き、翌27日の朝に訪ねた。
窓は居間から小さな庭に面していた。ガラス戸は左右に動かすもので、外側のレールに網戸がある。天気のよい日は、網戸を閉めた側のガラス戸を端まで開けて風を通していたという。網は何年も張り替えていなかったが、槙内さんは隅を指で押さえ、大きな穴はないと話した。私も網の四隅と枠の際を見たが、ほつれや隙間はなかった。
最初の蛾がいたのは23日の夜だった。机の脇の白い壁に止まっており、長い触角が左右に動いていた。槙内さんは、ガラス戸を開けたときに入り込んだのだと思い、折った新聞紙を取りに行った。
「つぶすと、壁が汚れるでしょう。こんなに大きいと」
それで、叩かずに紙の端へ乗せようとした。蛾は飛び、網戸の内側へ止まった。槙内さんが網戸を開けようと近づくと、蛾の頭が網の向こうへ出て、続いて羽も小さくなったという。網の外に残ったのは、指先より小さな蛾だった。
槙内さんは翌朝、隣の家の人にも、今年は蛾が多くないかと尋ねた。隣では、大きな蛾は一度も見ていないという返事だった。庭の植木にも、葉を食われた跡はなかった。
槙内さんが24日に送ってくれたのは、前夜の壁にいた蛾を撮った写真と、翌朝撮り直した網戸の写真だった。2枚からは、蛾が小さくなるところは確かめられない。私は電話で、次に同じことがあれば、離れた場所からでも見せてほしいと頼んでいた。
26日の夜に見つかった蛾は、同じ白い壁にいた。槙内さんは透明な保存容器をかぶせ、口と壁の間へ厚紙を差し入れた。容器を横にしたまま、机の上へ置いておいたという。部屋の中で飛ばれると困るので、捕まえておいたと話した。その夜は、ガラス戸も夕方から閉めてあった。
私が見た容器は、食べ物を入れる長方形のものだった。蛾は内壁へ足を掛けていた。両方の羽を広げると、私の手のひらほどになる茶色い蛾だった。羽の縁に白い細線があり、左の羽の先が少し欠けていた。私は槙内さんに断り、厚紙を差し込んだままの容器を撮った。容器を通して見るだけでは大きさを取り違えそうなので、横からものぞいた。羽が容器の内側に当たると、短い音がした。蛾は窓の方より、隣の和室のふすまの方へ頭を向けることが多かった。
槙内さんは、蛾を外へ出すため、網戸を閉めたまま容器の口を網へ当てた。網戸を開けた方が早いと思ったが、その目を通らせたいのだという。私は下から厚紙を支え、網と容器の縁が重なったところで紙を抜いた。
しばらくすると、蛾は足を伸ばし、容器から網へ移った。頭を網へ寄せると、頭の丸みが細くなり、網目の1つに入った。室内側には太い胴と重なった羽が残っていた。頭だけが網の向こうへ出たが、黒い目はもう、目の前の網目より小さかった。
私は窓の脇へ顔を寄せ、網を斜めから見た。頭と胴をつなぐ所は途切れていなかった。太い胴が網へ近づくにつれて細くなり、外へ出た部分は小さな虫の形になっていった。網の糸は横へ退かず、裂けてもいない。羽も同じ目へ引かれ、白い細線の間隔が詰まり、羽の先まで短くなった。最後に後ろ足が網から外れ、腹の先がその目を抜けた。室内側には何も残らなかった。
網戸を動かさず、私は勝手口から庭へ回った。網の外側には、羽を重ねて小指の爪に隠れるほどの蛾が止まっていた。左の羽の先に、小さな欠けが見えた。槙内さんに了解を取り、私はその蛾を近くから撮った。

私がカメラを下ろすと、槙内さんは窓越しに、まだそこにいるかと尋ねた。私が蛾の場所を指すと、槙内さんは机から白いティッシュを取り、勝手口から庭へ出てきた。ティッシュを2つに折って蛾の上へかぶせ、指で網へ押さえた。少し待ってから離すと、蛾は紙に付いていた。槙内さんはその部分を内側へ折り込んだ。網に残った薄い粉は、ティッシュの使っていない角で拭き取った。
「そのまま飛ばすのかと思いました」
私が言うと、槙内さんは、また入ってくると困るから、と答えた。網を抜けて出ていくのだから、入るときも同じ目を通れるはずだという。小さいうちに外で始末しておけば、家の中へ戻って大きくなることもない。そう考えて、網の外にいる間につぶすことにしたと話した。
居間へ戻ると、槙内さんは丸めた紙をごみ箱へ入れた。それから、どこから入ってくるのか心当たりがある、と言って、隣の和室の押し入れを開けた。上の段に、紺色のウールのコートが掛けてあった。3年前に亡くなった夫、槙内武さんのものだという。
槙内さんがコートを窓の明かりへかざすと、肩と背中に、針で突いたような小さな穴がいくつも開いていた。裾の裏には、白い粉のような食べ跡が残っていた。衣類につく小さな蛾の仕業だと、槙内さんは前から知っていた。
押し入れの下の段には、紙袋に入った防虫剤が封を切らないまま置いてあった。袋に貼られたレシートは、武さんが亡くなった年の11月の日付だった。買ってきてから、一度も使っていないという。
「あの人は、この匂いが嫌いだったんです。入れたら、コートがあの人の匂いでなくなるでしょう」
武さんは毎年、秋の終わりにこのコートを着て、庭の柿の木の下で落ち葉を集めていた。槙内さんは、その袖口に顔を近づけることが今もあるという。右のポケットには、軍手が片方と、乾いた柿の葉が1枚入ったままになっていた。武さんが最後に着た日のものだという。
9月の初めには、押し入れの前の畳で、米粒ほどの小さな蛾を何度か見ていた。10月に入ってから、それが壁で大きな姿になって見つかるようになった。小さいうちは、つぶさずに放っておいたという。穴が増えているのは見ていたが、防虫剤を入れる気にはなれなかった。
槙内さんは、23日も26日も、大きな蛾が止まっていたのは押し入れから近い白い壁だったと話した。壁と押し入れの間には、ふすま1枚しかない。網戸を開けずに目を通らせたかったのは、それを確かめたかったからだという。外へ出ると小さくなるなら、入ってきたときも小さかったはずだ。それなら、どこで大きくなったのかは、家の中にしかない。
私は押し入れの中を撮らせてもらえるか尋ねた。槙内さんは少し考えてから断った。コートの写真は、穴の所だけでも嫌だという。
コートを手放すつもりはないと、槙内さんは言った。穴を繕いに出すことも考えたが、店へ預ければ、戻ってきたときには店の匂いになっている。それなら、穴が増える方がまだいいと思っていた。ただ、蛾が大きくなって家の中を飛ぶようになったのは、今年が初めてだという。
槙内さんはコートを元の場所へ掛け、ふすまを閉めかけた。それから下の段の紙袋を取り出し、封を切った。防虫剤を1つだけ出して、押し入れのいちばん奥の、コートから最も遠い隅へ置いた。ふすまは、指1本分だけ開けたままにした。残りの防虫剤は袋ごと台所へ持っていった。



