柳瀬川沿いの休憩所のベンチに関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。川沿いの歩道に面した小さな屋根付き休憩所。屋根の下に木のベンチが1脚あり、座面には鞄、足元にはビニールの敷物が置かれている。

地方の川沿いの散歩道には、屋根の付いた小さな休憩所が置かれていることが多い。ベンチが1脚あり、歩いてきた人がしばらく座って、また歩き出す。人が立った後のベンチには、何も残らない。座っていた人の温みも、すぐに冷める。

北都県柳瀬市の柳瀬川沿いの休憩所で、孝成さん(仮名、76歳)が席を立った後も、座っていた辺りから息が出ていた。孝成さんが別の場所で息を吐くのに合わせ、温かな空気が同じ所から吹く。2023年10月8日、私は空いたベンチの前で、その息を手に受けた。

私を呼んだのは、孝成さんと散歩に来ていた友人の篤司さん(仮名、74歳)だった。以前に取材で知り合った人で、この日は柳瀬市内にいた私へ電話をかけてきた。2人ともベンチを離れたのに、孝成さんの吐く息だけが残っているという。

2人は休みの日に川沿いを歩き、橋の手前の休憩所で折り返していた。家からは片道3キロほどある。屋根の下には木のベンチが1脚あり、道を向いて座れる。座面が汚れているときのため、篤司さんは薄いビニールの敷物を持っていた。その日も2人分の幅に広げて休んだ。

孝成さんが立ち、手のひらに付いた菓子のくずを吹き払おうとしたとき、くずが動かなかった。すぐそばで敷物を畳みかけていた篤司さんの頬に、温かい息が当たったという。振り返っても、孝成さんは歩道の方にいた。

「こっちを向いていたわけでもないんです。自分の手を見ていましたから」

篤司さんは孝成さんを呼び止めた。戻ってきた孝成さんも、自分が座っていた位置から空気が出るのを感じたという。2人はその場を離れず、私を待っていた。

着くと、孝成さんは屋根を支える柱の横に立っていた。ベンチは無人で、敷物の半分だけが座面に残っている。篤司さんはベンチの脇に立ち、空中を指した。

「座っていたときの、顔の高さです」

私はベンチの正面にしゃがみ、示された位置から少し手前へ手を出した。空中には穴も物も見えない。手の甲へぬるい空気が当たり、いったん止まって、また当たった。孝成さんの胸が下がる間に当たり、胸が膨らむ間は止まっていた。

孝成さんは3メートルほど離れた柱の横で、私の手を見ていた。自分の口元へ手をかざしてから、手のひらを私へ向けた。私は立ち上がってそばへ寄ったが、開いた口の前では、息を吐く様子が見えても空気が当たらなかった。吸うときには鼻のそばで空気が動くのを感じた。

篤司さんが敷物を片付けようとしたのは、その直後だった。半分垂れているのが気になったという。ベンチの右端に立ち、ビニールの両端を持った。左右を合わせるため胸の高さへ広げたとき、孝成さんが座っていたときの顔の位置を、敷物が縦に横切った。

柱の横で、孝成さんが口を大きく開けた。肩が上がり、片手で胸を押さえた。私は孝成さんへ近づいた。篤司さんも手を下ろし、敷物を足元へ落とした。空のベンチの方から、短く強く息を吐く音がした。孝成さんは柱に手をつき、膝を曲げた。

「出せなかった。吸ったのが、出せなかった」

私は119番へ電話した。息を吐けなくなった人がいることと、柳瀬川の休憩所までの道順を伝えた。孝成さんは呼び掛けに答え、また呼吸していた。篤司さんは孝成さんの背に手を添え、私が電話で聞かれたことを本人に確かめるのを手伝った。

救急隊員が着くと、篤司さんは孝成さんが座っていた所を示した。私も別の隊員に、空気が当たった場所と、敷物を下ろした後に起きたことを話した。隊員はベンチの方も見たが、原因について私たちへ説明はしなかった。

孝成さんが担架で運ばれ始めると、篤司さんは後についていこうとした。それからベンチへ戻り、孝成さんが座っていた所に、自分の鞄を置いた。鞄は低く、息の出る高さには届かない。

「ここにいるから」

篤司さんは孝成さんへそう声をかけ、ベンチの横に残った。私は近くにいた人に場所を空けておいてほしいと頼み、誰も座っていないベンチと、座面の鞄、足元の敷物を撮った。写真には、空中から出ていた息は写らなかった。

霧島秀一撮影。木のベンチの左側の座面に置かれた紺の鞄と、右脚のそばの地面にたるんで重なった灰色のビニールの敷物。人は座っていない。
霧島秀一撮影。2023年10月8日、同じ休憩所。孝成さんが座っていた所に篤司さんの鞄があり、片付けかけたビニールの敷物は足元に落ちている。

救急車が出た後、道を歩いてきた女性が、ベンチの脇で立ち止まった。

「ここは、もう空きましたか」

篤司さんは「どうぞ」と言いかけ、鞄の持ち手をつかんだ。かがんだ頬に温かい空気が当たったのだと、後で話している。その場では何も言わず、少し持ち上げた鞄を同じ所へ下ろした。

「すみません。ここは空けておいてください」

女性は会釈して、橋の方へ歩いていった。

その日の夕方、篤司さんから電話があった。孝成さんは市内の病院に入院した。娘の真弓さん(仮名、48歳)が駆け付け、医師から説明を受けたという。孝成さんには肺の持病があり、8月から外出のときは小さな酸素ボンベを持つよう言われていた。医師は、ボンベを持たずに長く歩いたことで、持病が悪化したと話した。

この日、孝成さんはボンベを持っていなかった。篤司さんは、そのことを知っていた。

医師の説明に、ベンチの息は出てこない。篤司さんも、病院では話さなかった。私が見たのは、敷物がその位置を横切った直後に孝成さんが息を吐けなくなったことと、空のベンチから強く息を吐く音がしたことである。

10月9日、篤司さんに会い、携帯電話に残るメッセージを見せてもらった。9月2日、真弓さんから届いたものだった。「父は先月から酸素を使っています。遠くまで歩かせないでください。ボンベを持たない日は、散歩を止めてください」とあった。篤司さんは「分かりました」と返していた。メッセージは、ほかのやり取りの下に埋もれていた。篤司さんは、それを何度か読み返していたという。

それから10月8日までに、2人は5回、休憩所まで歩いている。孝成さんがボンベを持ってきたのは、最初の1回だけだった。

「重いし、人に見られるのが嫌だと言っていました。休憩所まで行けなくなったら、もう散歩はやめると。だから、行けるうちは一緒に行こうと思ったんです」

篤司さんは、真弓さんにそのことを伝えていなかった。孝成さんからも、娘には言わないでくれと頼まれていた。篤司さんは、自分が止めていればと、2度繰り返した。真弓さんは、父親が近所を少し歩く程度だと思っていたという。

篤司さんによると、5回とも、孝成さんは休憩所に着くとしばらく話せなかった。ベンチに座り、息が整うまで川を見ていた。10月8日は、いつもより座っている時間が長かった。立ち上がったのは、篤司さんが帰ろうと声を掛けたからだった。

篤司さんは10月9日の夜、真弓さんに電話で全部を話した。真弓さんは平日は仕事で家を空けており、父親がボンベを置いて出掛けたことには気付いていなかった。電話の向こうで、しばらく黙っていたという。

10月10日の朝、篤司さんは病院で孝成さんに会った。孝成さんは鼻に管を付けたまま、休憩所の息はまだあるかと尋ねたという。篤司さんは、これから見てくると答えた。孝成さんの退院の日は、まだ決まっていない。

10月10日の昼、篤司さんと私はもう一度休憩所へ行った。篤司さんは、前の日の朝に鞄を取りに来ていた。ベンチの前にしゃがみ、私が手を出すと、空気は当たらなかった。篤司さんも手を出し、しばらくそのままにしていた。

篤司さんは足元に残っていた敷物を拾い、小さく畳んで鞄へ入れた。それから携帯電話を出し、真弓さんへ、休憩所にはもう息が残っていないと短く送った。返事を待たずに、家へ向かう道を歩き始めた。

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