地方の古いアパートでは、隣の部屋との壁が薄く、物音の苦情が大家に持ち込まれることが多い。大家は双方の話を聞き、音がするときに一度聞きに行くと言って、たいていはそこで止まる。待ちきれない住人は、録音を取ったり、壁を叩いて知らせたりする。叩いた音もまた、隣へ届く。
壁を叩いて物音を知らせると、隣の住人が白い壁紙を破らずに部屋へ出てきた。北都県南條市内のアパートで、2024年9月14日の夕方、私はそれを見た。部屋の住人は関沢昌平さん(仮名、43歳)で、出てきたのは隣室の舟瀬利成さん(仮名、68歳)だった。
私は、関沢さんから届いた物音の録音について話を聞くため、部屋を訪ねていた。録音には何かを引きずるような音が何度か入っていたが、それだけでは何の音か分からなかった。関沢さんは、舟瀬さんが家具を動かしているのだろうと考えていた。先月から夕方によく聞こえるという。
大家の仙波俊代さん(仮名、74歳)には相談したが、音がするときに一度聞きたいと言われ、まだ来てもらえていなかった。関沢さんは、そのたびに壁を叩いて知らせるようになった。最初は軽く1度だったが、この1週間は2度、強めに叩いているという。
関沢さんは、音のした時刻を大学ノートに書き留めていた。8月半ばからの欄に、夕方6時から8時の間の時刻が並び、その横に叩いた回数が「1」「1」「2」と書き込まれている。関沢さんは市場の仕分けの仕事をしていて、朝4時に起きるため、夜7時には寝るようにしているという。
「こちらから叩くと、止まるんです」
関沢さんは低い机の前に座り、左の壁を指した。そこには棚も戸もなく、白い壁紙が床まで続いていた。机の壁寄りの端には、私に出された白い湯飲みがあった。玄関は短い廊下の先にあり、私を入れた後、関沢さんが内側のつまみを回していた。
しばらくすると、左の方から、硬い物を床で引きずるような音がした。関沢さんは立ち上がり、壁へ寄った。右手の指を曲げ、指の関節で2度叩いた。
叩いた場所より少し低い所に、青い布が出た。青い半袖シャツの肩が壁からせり出し、その下から肘と手が室内へ突き出した。肩の上から、耳と頬が横向きに出てきた。鼻が出る間も、鼻先のすぐ上には白い壁紙があり、裂け目も穴の縁も見えなかった。
私は立った。胸と腹が続き、男性の右足が床へ着いた。男性が「待って」と言った。私は出ている右腕を支えたが、その体はさらに部屋の中へずれた。左肩、腰、最後に左足の踵が壁から離れた。背後の壁紙には裂け目がなく、床へ落ちた板や粉もなかった。
男性が膝をつく途中、右膝が机の脚に当たった。机が揺れ、端にあった湯飲みが畳へ落ちた。茶が机の脚の下まで広がった。男性は裸足で、私の腕を握っていた。
「舟瀬さんですよね」
関沢さんに呼ばれ、男性はうなずいた。隣の玄関で挨拶することはあったが、関沢さんの部屋に入ったのは初めてだという。痛い所はないかと尋ねると、今はないと答えた。舟瀬さんは座布団を壁から離れた所へ置いてほしいと頼み、座り直すと、倒れた湯飲みへ手を伸ばした。
「すみません。こぼしてしまって」
舟瀬さんは湯飲みを机へ戻し、関沢さんが持ってきた薄茶色の布で茶を拭いた。自室の本棚から辞書を抜こうとしていたところで、壁を叩く音が聞こえ、右の肩が壁へ寄ったという。足を踏ん張ったが、肩が中へ入り、その後は関沢さんの部屋の床が見えた。自分から壁へ体を押し付けたつもりはないと話した。
舟瀬さんの部屋の玄関は内側から鍵を掛けてあり、鍵は机に置いていた。電話も靴も向こうへ残っている。体が壁を通ったのは、このときが初めてだった。誰も、理由を確かめるために、もう一度叩こうとは言わなかった。私は2人に断り、机の脚の下を撮った。舟瀬さんが拭いていた布は、濡れた畳の手前へ置いてあった。

関沢さんは自分の電話で仙波さんに掛け、合鍵を頼んだ。仙波さんは、それまで壁に触らずに待っていてほしいと言った。関沢さんは電話を切る前に、言葉を足した。
「音のことは、さっき謝ってもらいました。そちらはもう大丈夫です」
舟瀬さんは顔を上げ、自分が謝ったのは茶をこぼしたことだと言った。関沢さんは、こちらへ来てすみませんと言ったではないかと返した。舟瀬さんは首を振り、まだつながっている電話を見た。
「切る前に、訂正してください」
関沢さんは電話を耳へ戻し、仙波さんに、音の件は後で話すと伝えた。
20分ほどで仙波さんが来た。合鍵で隣の玄関を開けると、舟瀬さんの部屋は関沢さんの部屋と左右が逆の造りだった。壁際に、引き出しの付いた古い本棚が置いてある。いちばん下の段は金属のレールで引き出す箱になっていて、辞書や紙の束が詰まっていた。
舟瀬さんは、それを引いて見せた。レールが錆び、硬い物を床で引きずるような音が出た。私は関沢さんの部屋へ戻って聞いた。録音の音と同じだった。舟瀬さんは自宅で翻訳の下請けをしていて、夕方から辞書を何度も出し入れするという。
机の上に、仙波さんの名前の入った封筒があった。舟瀬さんは中の手紙を、仙波さん本人の前で広げて私にも見せた。8月20日付けで、隣室から物音の苦情が来ていること、苦情が続くようなら次の更新は約束できないことが書かれていた。
仙波さんは、自分が書いた手紙だと認めた。関沢さんから3度目の相談を受けた日に、注意のつもりで書いたという。舟瀬さんからも一度、仙波さんへ相談が来ていた。夜に壁を強く叩かれるのが怖い、という内容だった。仙波さんはそれを関沢さんには伝えていなかった。
「家具を動かしたと謝ったら、苦情が本当だったことになります。ここを出たら、辞書を置く場所がないんです」
舟瀬さんは、音を出していたことは認めると言った。ただ、それを家具の音として謝ることはしないという。関沢さんは、手紙のことは知らなかったと話した。自分は音を止めてほしかっただけで、更新の話になるとは思っていなかった。叩く回数を増やしたのは、録音しても仙波さんが来てくれなかったからだという。
関沢さんは、自分の仕事のことを舟瀬さんに話した。朝が早く、夕方の音で眠れない日が続いていた。舟瀬さんは、夕方に辞書を引くのは、昼の間に届いた原稿をその日のうちに返すためだと話した。2人とも、相手の暮らしの時刻を知らなかった。
関沢さんは大学ノートを開き、自分が叩いた回数の欄を舟瀬さんに見せた。舟瀬さんは、そのうちの何日かは、叩かれた後に辞書を引くのをやめ、そのまま夜中まで原稿を置いておいたと話した。
仙波さんは、手紙の内容を取り消すと言い、自分の手帳に今日の日付と、本棚の音のことを書き込んだ。音がするときに聞きに行くと言いながら行かなかったのは自分だ、とも言った。
仙波さんは、本棚を反対の壁へ移せないかと尋ねた。舟瀬さんの部屋の反対側は窓と押し入れで、本棚を置ける壁はそこしかなかった。関沢さんの部屋も、寝床を敷けるのは左の壁際だけだという。関沢さんの寝床と舟瀬さんの本棚は、1枚の壁を挟んで向かい合っていた。
舟瀬さんは台所の引き出しからフェルトの当て布を出し、レールの下へ貼った。もう一度引くと、音は小さくなった。関沢さんの部屋では、ほとんど聞こえなかった。
関沢さんは自分の部屋へ戻り、壁の前に立った。指を曲げて手を上げたが、叩かずに下ろした。それから電話を取り、舟瀬さんの電話番号を仙波さんに聞いた。


